2014年8月31日 (日)

クロスとハガイ     ハガイ1:1-8

 エレミヤはかつて「ユダの国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に70年仕える」(エレミヤ25:11)と預言しました。見方を変えると、エルサレムの地は70年が満ちるまで安息を得たことになります。やがて、罪を犯していたバビロンさばかれ、ペルシヤが支配しました。ペルシヤの王クロスは、囚われていたユダの民を解放しました。そのとき、預言者ハガイが「主の宮を建てよう」と励ましました。


1.クロスによる解放

 ペルシヤの王クロスの名前が最初に出てくる箇所は、イザヤ書45章です。イザヤ45:1「主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。『わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。』」イザヤはそのことが起こる130年も前に、ペルシヤのクロスが世界を支配すると預言しました。主はユダの民を解放するために、クロス王を用いるということです。そして、Ⅱ歴代誌の最後の章に、それはエレミヤによって預言されたことが成就するためであると書かれています。Ⅱ歴代誌36:22-23 ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた【主】のことばを実現するために、【主】はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。「ペルシヤの王クロスは言う。『天の神、【主】は、地のすべての王国を私に賜った。この方はユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた。あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神、【主】がその者とともにおられるように。その者は上って行くようにせよ。』」クロス王は天の神が「ユダにあるエルサレムにご自分のために宮を建てることを私にゆだねられた」と言っています。「異国の王が、何でまた?」と思われるでしょう?1つの理由は、バビロン時代を経て、クロス王のときまでダニエルが王宮で活躍していました。歴代の王たちはダニエルの神がまことの神であることを知らされていました。2つ目の理由は、主が直接、ペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたからです。だから、イザヤは「油そそがれた者クロス」と言いました。「油そそがれた者」とは、まさしくメシヤという意味です。彼は異教の礼拝者であったと思われますが、神様から特別に救世主として立てられたのです。これは、主の奇跡としか考えられません。

 ユダの民は異国に70年間も住んでいました。そして、エルサレムの神殿はバビロンによって破壊され、火で焼かれました。城壁もくずれ去り、キツネやジャッカルの住かとなっていました。そんな廃墟に、もう一度、神殿を建てるということは不可能なことです。労働力や材料をどこから持ってくるのでしょう。この続きがエズラ記1章から記されています。紀元前538年、クロス王が主の宮を建てよという勅令を出しました。クロス王はそのために、それまで捕えられていたユダの民を解放しました。みなさん、よく私たちは「ユダヤ人」と言いますが、バビロンから帰還した人たちをユダヤ人というのです。もちろん、彼らはイスラエル人ですが、厳密にいうなら、ユダとベニヤミンの2部族です。彼らがエルサレムに帰還しました。しかし、70年間も住んでいたので、ヘブル語ではなく、アラム語ということばを話していたようです。エズラ1:3-5「あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、【主】の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。残る者はみな、その者を援助するようにせよ。どこに寄留しているにしても、その所から、その土地の人々が、エルサレムにある神の宮のために進んでささげるささげ物のほか、銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ。』」そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、すなわち、神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある【主】の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった。」このところに、「ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち」とあります。彼らも神によってその霊を奮い立たされた者たちでした。クロス王は、人々に「銀、金、財貨、家畜をもって援助せよ」と命じました。彼らの回りの人たちは、一番良いものを喜んで与えました。また、クロス王はネブカデネザルがエルサレムから持ってきていた、主の宮の用具、金や銀の皿、香炉、鉢も携えていくように命じました。

 これこそが、エレミヤが預言していた、「わざわいではなくて、平安を与える計画」だったのです。かつてイスラエルはヤコブのとき、エジプトに避難し、そこで栄えました。しかし、後半はパロによって奴隷とされていました。イスラエルの民は430年間もエジプトにいました。主は彼らの叫びを聞かれて、モーセを立てて脱出させました。これが「出エジプト」であります。しかし、今度はユダ王国がバビロンに捕囚となりました。70年後、主はクロス王を立てて、ユダの民を解放しました。これは「第二の出エジプト」ということができます。イザヤはこのように預言していました。イザヤ48:18-19「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」ここで言う「先の事ども」とは、出エジプトのことであります。そして、「新しい事」とは、バビロン捕囚からの帰還のことです。かつて、イスラエルの民はかわいた地を通らされました。今度は、荒野に道を、荒地に川を設けるようなことが起こるということです。詩篇の記者たちは、「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。…主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ」(詩篇126:3)と言いました。それほど、エルサレムに戻って、神の宮を再建できるということはすばらしい事だったのです。神様はご自分の計画を果たすために、王様を動かし、周りの人たちを動かして、私たちに必要を与えるお方です。たとえ、私たちの手もとに何もなくても、主が王様や周りの人たちのふところを揺り動かして、必要を与えてくれるのです。ハレルヤ!


2.ハガイの第一の預言

 最初に帰還した人たちは約4万2千人であり、その1割が祭司でした。彼らは自分たちの町々に住みつきました。そして、第七の月になると、エルサレムに集まり祭壇を築いて、全焼のいけにえをささげました。その後、石材や杉材を運び、建築士たちが主の神殿の礎を据えました。その時、祭服を着た祭司たちが、楽器をならしながら、「主はいつくしみ深い」と賛美しました。多くの人たちの喜びと叫びと泣き声が遠いところまで聞こえました。ところが、神殿の再建を喜ばない人たちがいました。北に住んでいたサマリ人です。アッシリヤが北イスラエルを滅ぼしたあと、5つの民族をその地に住まわせました。サマリヤ人たちは、ユダの民の気力を失わせ、彼ら脅しました。さらに、議官を買収して彼らに反対させ、この計画を打ち壊そうとしました。ペルシヤにおいては、クロス王の後、息子たちの代になっていました。反対者たちは、アルタシャスタの時代、このような手紙を書き送りました。「ユダヤ人たちはエルサレムで、反抗的で危険な町を再建しています。このままでは王たちと諸州に損害を与えます。昔の記録文を調べてください」。ペルシヤの参事官や書記官が調べたところ、その町は昔から暴動と反逆が行われたことがわかりました。反対者たちは、王からの書状の写しを手に取り、武力をもって彼らの働きをやめさせました。そのため、エルサレムにある神の宮の工事は中止させられました。なんと、16年間も、工事が中断されました。

 その時に出てきたのが、預言者ハガイと預言者ゼカリヤです。ゼカリヤは次週取り上げますが、きょうはハガイについて語りたいと思います。ここからハガイ書を引用します。これまで話したことは、みな前置きでした。なんと、ハガユイことでしょう。ハガイ1:1-2「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアとに、次のような【主】のことばがあった。「万軍の【主】はこう仰せられる。この民は、【主】の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。」もうあれから16年経過し、ペルシヤではダリヨスが王になっていました。人々は「主の宮を建てる時はまだ来ていない」と、自分の生活を第一にしていました。主はハガイを通して語られました。ハガイ1:4「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。今、万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。」帰還してきた人たちの言い分は「まず、自分たちの家を建てて、畑を耕し、生活の安定を建てなければならない」ということでした。彼らが「板張りの家に住んでいた」とありますが、当時、木材は石よりも高級でした。ペルシヤに住んでいた頃を思い出して、絨毯なんかも敷いていたのかもしれません。神様のことを忘れ去り、毎日の生活に追われていました。それでは、自分たちの生活が潤っていたかというとそうでもありません。ハガイは「あなたがたの現状をよく考えよ」と言っています。多くの種をまいたのに、虫に食われたり、干ばつにあったりします。どんなに美味しいものを食べても満足しません。いっぱい飲んだのに酔えません。着物を何枚も着たけど暖まらない。一生懸命かせいだはずなのに、財布があっという間にからっぽになります。

 なぜ、こんなことが起こるのでしょうか?それは、神様のことを忘れているからです。私もクリスチャンになる前は、給料を全部使い果たしても足りず、毎月2万円前借りしていました。給料をもらうとすぐ飲みに出かけ1週間でなくなります。月が明けるとお金がほとんどありません。現場でしたから、泊まるところと食事はあります。仕事を終わると、麻雀をするかテレビを見るかです。あの頃は、ファミレスというのがなく、レストランでした。けっこうおいしかったんですが、食べても何だか空しい感じがしました。心の奥が満たされていないので、食べても、飲んでもダメでした。あの頃は、JUNというのが流行っており、田舎に帰るたびに、着飾っていました。しかし、クリスチャンになってから、心が満たされたせいか、飲むこともなくなり、前借りがなくなりました。貯金するほどではありませんでしたが、ちゃんと献金できました。献金できるということが誇りに感じました。でも、まもなく直接献身をしたので、お金のない生活が長い間続きました。それでも、なんとかなりました。大川牧師は先生の車を洗うと5000円くれました。教会で働いても給与が低いので、家内が病院で働いたので、なんとかなりました。信仰歴25年になりますが、経済的な問題に関しては「なんとかなる」という信仰はあります。

 イエス様はマタイ6章で、「空の鳥を見なさい、野のゆりを見なさい」と言われた後、「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」と言われました。神様を第一にしていくと、経済的な問題に悩まされることがないということです。なぜ、ユダの人たちは、一生懸命働いているわりに貧しかったのでしょうか?彼らは家を建てたあと、畑を耕し、多くの種をまきました。家畜も世話をして、安定した暮らしを求めました。ところが、なぜ、貧しかったのでしょうか?ハガイ1:9-12「それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。それゆえ、天はあなたがたのために露を降らすことをやめ、地は産物を差し止めた。わたしはまた、地にも、山々にも、穀物にも、新しいぶどう酒にも、油にも、地が生やす物にも、人にも、家畜にも、手によるすべての勤労の実にも、ひでりを呼び寄せた。」何ということでしょう。神様が邪魔をしていたのです。だから、労したわりには収穫が少なかったのです。チョーヨンギ牧師がおっしゃっていました。「世界で日本人ほど勤勉な国民はいない。しかし、ウサギ小屋に住んでいる。欧米の人たちはあまり働かないのに豊かだ。それは、日本人が働いたお金が外国に流れているからだ」と。そんなに単純ではないでしょうが、ある部分は当たっています。「あなたがたの現状を良く考えよ。山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。主は仰せられる。」これは、神の国とその義とをまず第一に求めなさいというチャレンジです。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

3.ハガイの第二の預言

 私は旧約聖書の人物を語る前に、沢村五郎師の『聖書人物伝』を必ず読むことにしています。ハガイについてこのように書かれていました。「彼らは預言者のことばに励まされて神殿建設の工事に再び立ち上がった。しかし、引き揚げ者の悲しさ、資材は足らず、用具も乏しく、食糧もまた欠乏して、十分な働きができない。粉粒辛苦の末に建て上げた神殿の構造はきわめて小さく、また貧弱なものであった。彼らの中には、以前の広壮な神殿を見た老人たちもおり、それとこれを比較してあまりにもみずぼらしい建物を見て悲しんだ。若者たちも、大きな骨折りをし、犠牲を払ったのに、その結果の貧弱なことを知って心くじけた。ハガイの第二の預言はそのときになされたものであった。」その本に「引き揚げ者」と書いてあって、びっくりしました。これは戦争を経験していな者には語れない、重たい言葉だと思いました。この教会の故山崎長老さんは、北朝鮮から引き揚げてこられた人です。おじいちゃんは「めんたいこ」を発明して、子供の頃はとても裕福だったそうです。ところが、贅沢ざんまいして家が傾き、子供時代山崎さんは親戚をたらしまわしにされたそうです。19歳で朝鮮鉄道の助役になり、ものすごい早さで出世しました。ところが、その後、敗戦になり、雪をかき分け北から南に逃げました。途中に山賊がいて、身ぐるみ全部はがされて、一文なしになりました。なんとか長崎に着いたそうです。それから、貧しさとの戦いがはじまるわけです。申し訳なくて、戦争を体験でしていない人が「引き揚げ者」ということばを使うことができませんので、少し説明させていただきました。第一神殿はソロモン王が建てたそれは、それは荘厳なものだったでしょう。80歳くらいの老人は子供のときにそれを見たことがあります。しかし、それとくらべて、この神殿はなんとみすぼらしいものでしょう。

 それで、ハガイは2つ目の預言を人々に告げました。ハガイ2:3-4「あなたがたのうち、以前の栄光に輝くこの宮を見たことのある、生き残った者はだれか。あなたがたは、今、これをどう見ているのか。あなたがたの目には、まるで無いに等しいのではないか。しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。──【主】の御告げ──エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。──【主】の御告げ──仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。──万軍の【主】の御告げ──」これから先、何度か出てきますが、神殿を再建するために、預言者ハガイの他に2人の指導者がいました。一人は総督ゼルバベルです。彼は、帰還者4万2千人のリーダーであり、行政の指導者です。おそらく彼はダビデ直系の子孫だったのでしょう、マタイ1章の系図では「ゾロバベル」という名で出てきます。もう一人は大祭司ヨシュアです。こちらの方は宗教的指導者でした。彼は預言者ゼカリヤによって、「汚れた衣を脱いで、新しい衣を与えられる者」として描かれています。預言者、総督(王)、大祭司の三位一体が大事なのであります。キリスト教会において、牧師が3つのことを兼務することは大変です。預言者的な人は神の方向性を示したり、罪を提示する人です。総督、つまり行政的なリーダーは神様から与えられたプロジェクトを手分けして実行させる人です。大祭司はとりなしの祈りをしたり、信徒を世話する人です。現在、新約聖書においては神殿とは、キリストの教会です。一人一人が生ける石であり、一人一人が組み立てられて、神の神殿になるのです。エペソ2:21-22「この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」アーメン。

 ハガイは、必要は神様から与えられることをみんなに告げました。ハガイ2:7-9「わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の【主】は仰せられる。銀はわたしのもの。金もわたしのもの。──万軍の【主】の御告げ──この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の【主】は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。──万軍の【主】の御告げ──」私がこの教会に赴任して3年後、1990年、新会堂の建築の熱が高まりました。当時の旧会堂は床がたわんで、戸もきっちり閉まっていませんでした。会堂と牧師館の間の継ぎ目からよく雨漏りもしていました。そのとき、故山崎長老がハガイ書1:4「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。」と口火を切りました。その頃は、会堂建築積立金が700万円でした。1991年4月の総会で会堂建築を決議した後、どんどん献金が集まりました。山崎長老さんは「教会は借金をしちゃいかん。備品を含めて予算は1億円だ」と言いました。それでは建坪80坪の建物しか建てられません。私が基本設計をしましたが、どうしても135坪の大きさになります。そうすると予算が1億3500円になります。私は予約献金を募ろうと決意しました。その時、与えられたみことばがハガイ2:7「銀はわたしのもの。金もわたしのもの」でした。神様が国々を揺り動かして、必要を与えてくださるという信仰が与えられました。1992年12月には利息を含めて、1億3598万円になりました。ハレルヤ!次の年、1993年5月に新会堂が献堂されました。新会堂を建築しようとすると、教会内に分裂が起きたり、牧師が病気になるということを聞いていました。会堂建築は信仰の良い訓練になります。お金の問題が出てくると急に、肉的になる人が出てきます。今までだまっていた人が、経済的な才能があるためか、いろんな口出しをしてきます。いろんな知恵は歓迎しますが、最終的には信仰によって決めるしかありません。

 おそらく、帰還後、神殿を建てるときも、似たような問題があったと思われます。そのとき、預言者ハガイが立ち上がり、主からのチャレンジを与えました。総督ゼルバベル、大祭司ヨシュアも一緒に立ち上がりました。そして、必要は「銀はわたしのもの。金もわたしのもの」と言われる主が与えてくださるという信仰にたどりつきました。そうなのです。すべての必要は主が与えてくださるのです。私たちは自分のふところを見るのではなく、天の神様のふところを頼るべきです。神様を第一に求めたなら、すべての必要が添えて与えられるのです。私たちの神さまは世界を創造されただけではなく、私たちのために、今も世界を動かしておられます。


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