2014年3月 2日 (日)

神に求めたヨシャパテ     Ⅱ歴代誌17:1-6 

 ヨシャパテは、南ユダの四代目の王様です。イスラエルのダビデに次ぐ、善い王様ではないかと思います。現在、多くの国は王制ではなく民主国家であり、大統領や首相が国を治めています。日本も含めて、「このような政治をしたなら神さまの祝福が受けられる」という共通点が記されています。また、国レベルまでいかなくても、教会や個人のあり方においても十分に学ぶところがあります。きょうは、Ⅱ歴代誌17章から20章まで、1章ずつ分けながらお話したいと思います。


1.神に求めたヨシャパテ

 Ⅱ歴代誌17章から、ヨシャパテがした良いわざを見てみたいと思います。17:2「彼はユダにあるすべての城壁のある町々に軍隊を置き、ユダの地と、彼の父アサが攻め取ったエフライムの町々に守備隊を置いた。」国が軍隊を持つことの是非はともかく、国を守ることは大切だと思います。ヨシャパテは攻撃するためではなく、国を守るために城壁の町を作り、守備隊を置きました。私たちも心の中に守りが必要ではないでしょうか?何を見るか、何を聞くか情報を制限することが必要です。現代は情報があふれ過ぎて、不必要なものまで入ってきます。また、どんな仕事をするか、どんな人と付き合うか、どんな教会に属するかも考えなければなりません。当教会は聖書を誤りなき神のことばとして、信じている教会です。メッセージのジョークは霊感されていませんので、少し笑って聞き流してください。また、ヨシャパテは霊的に正しい道を求めました。17:3-4「主はヨシャパテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、その父の神に求め、その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。」北イスラエルは手て造った神々を拝んでいました。しかし、彼はダビデの道を歩み、バアルの神ではなく、真の神さまに求めました。彼は「その命令に従って歩んだ」とありますが、それは律法と命令を守ったということです。9節にありますが、彼はレビ人の中から、リーダーを任命し、主の律法を教えるために町々を巡回させました。その結果、どうなったのでしょう?17:5「そこで、主は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャパテに贈り物をささげた。彼には、富と誉れが豊かに与えられた。」アーメン。10節以にそのことが具体的に書かれています。17:10-12そこで、【主】の恐れが、ユダの回りの地のすべての王国に臨んだため、ヨシャパテに戦いをしかける者はだれもなかった。また、ペリシテ人の中から、ヨシャパテに贈り物とみつぎの銀を携えて来る者があり、アラビヤ人も、彼のもとに羊の群れ、すなわち、雄羊七千七百頭、雄やぎ七千七百頭を携えて来た。こうして、ヨシャパテはしだいに並みはずれて強大になり、ユダに城塞や倉庫の町々を築いた。」言うことなしという感じです。このように、神さまを第一に求めるならば、祝福が後からついてくるのです。この原則は国家レベルにおいても、個人の生活においても適用できる神の法則です。法則というのは、どの時代、どの国、どんな人にも共通して起こる真理であります。

 続いて、Ⅱ歴代誌18章にはヨシャパテの失敗した出来事について記されています。彼は神さまが憎んでいる北イスラエルと同盟を結びました。歴代誌18:1-2「こうして、ヨシャパテには富と誉れとが豊かに与えられたが、彼はアハブと縁を結んだ。何年かたって後、彼が、サマリヤに下ってアハブのもとに行ったとき、アハブは彼および彼とともにいた民のために、おびただしい羊や牛の群れをほふったうえ、彼を誘い込んで、ラモテ・ギルアデに攻め上らせようとした。」政治においては、他の国と同盟を結ぶことはとても重要かもしれません。南ユダは、父アサの時代に、北イスラエルに責め込まれたことがありました。その理由もあってか、ヨシャパテは北イスラエルのアハブと同盟を結びました。その証として、アハブの娘を自分の息子の嫁にもらいました。このことが後で災いの火種になります。ヨシャパテは、北イスラエルと同盟を結んだために、アラムとの戦争に誘われました。アラムは戦場において、イスラエルの王だけを狙いました。姑息にも、イスラエルの王は普通の兵士に変装していました。なんと、王服を着ていたヨシャパテがアラムに取り囲まれてしまいました。そのとき、ヨシャパテが助けを求めたので、主が彼を助けました。アラムの一人の兵士が何気なく弓を放ちました。その矢がイスラエルの王の首から胸に刺さりました。王は血を流したまま戦車の上で死にました。ヨシャパテは命からがら逃げてきました。

 Ⅱ歴代誌19章には、ヨシャパテが悔い改めたことが記されています。ヨシャパテが戦争から帰ってきたとき、予見者からこのように言われました。19:2「悪者を助けるべきでしょうか。あなたは主を憎む者たちを愛して良いのでしょうか。あなたの上に、主の前から怒りがくだります。しかし、あなたは良いことも幾つか見られます。あなたはこの地からアシェラ像を除き去り、心を定めて神を求めて来られました。」このとき、ヨシャパテは心を翻して主に従いました。彼の父アサは、予見者から忠告されたとき、怒りを発して、彼に足かせをかけて拘留しました。両足が病気になっても、主に求めることをしませんでした。しかし、ヨシャパテは悔い改めて、国を正しく治めました。Ⅱ歴代誌19章4節からヨシャパテが行ったことが1つ1つ記されています。彼は、民の中に出ていき、その父祖の神、主に立ち返らせました。また、ユダにあるすべての城壁のある町々にさばきつかさを立て、主を恐れ、正しいさばきをするように命じました。また、エルサレムにおいては、レビ人と祭司あるいは一族のかしらたちの中から、主のさばきと訴訟に携わる者たちを任命しました。ヨシャパテは彼らにも「主を恐れ、忠実に、また全き心をもって、行いなさい。」と警告しました。そして、最後に「勇気を出して実行しなさい。主が善人とともにいますように」と祝福しました。まとめていうなら、王は司たちを任命し、彼らに権威を与え、正しいさばきをするように命じたということです。英語にエンパワリングという言葉があります。日本語では、「権威委譲」とか、「能力付与」などと訳されています。ヨシャパテは一人で国を治めることができません。それでふさわしい長を選び、彼らに、政治、防備、裁判、律法の教育などを任せていったということです。彼らに対して、主を恐れるように警告し、励まし、そして祝福しました。ヨシャパテはダビデやソロモンのようなカリスマ的なリーダーではありませんでしたが、忠実に国を治めた王様でした。

 私たちは前半のメッセージからどのようなことを適用として学ぶべきでしょうか?ヨシャパテの良いところは何だったのでしょうか?Ⅱ歴代誌17から19章までお話しました。また、第二ポイントでは20章からお話します。それら中で、注目すべきことばがあります。それは、ヨシャパテが「神に求めた」「主の助けを求めた」ということです。残念ながら、北イスラエルのアハブと同盟を結ぶときは、神に求めませんでした。だから、失敗を犯してしまいました。20章後半でも再び、北イスラエルと同盟を結び、失敗しました。しかし、他のところでは神に求めたので、神さまの守りと祝福が及びました。彼は神さまからいただいた王としての権威をひとりじめしないで、長たちを選んで分与しました。私たちの信仰生活において、神さまに求めている分野と、神さまに求めていない分野があるのではないでしょうか?でも、「神に求める」とはどういう意味なのでしょうか?箴言3:6-7「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を知恵のある者と思うな。【主】を恐れて、悪から離れよ。」とあります。「どこにおいても、主を認めよ」と例外はないということです。私たちはこの世のことに対しては、頭が切り替わってしまいます。いろんな保険がありますが、「万が一のことがあるから」と言われて、補償を大きくします。医者の診断を絶対的なもののように信じます。多くの医者は責任逃れするために、最悪のことを言います。お金のこととなると、信仰を度返しする人がいます。特に経済的に手腕のある人がそうです。自分の得意分野になると、別のスイッチが入って、主を認めないで、自分の知恵や力でやってしまいます。

本当に私たちは意識しないと、主を忘れ、自分の思いを優先させてしまいます。そのためには、まず手を休めて、祈ることが大切です。いろんな祈りがありますが、重要なことに対しては両手を組みます。これは大変すばらしい形だと思います。「主よ、今、このところでもあなたを認めます。私自身の力には頼りません。どうかあなたが助けてください。私の思いではなく、あなたの思いがなりますように。どうかあなたのみこころが、私の思いを支配しますように。アーメン。」しばし、そのような時間を持つと、思いが切り替わるのではないでしょうか?神さまに求めることは、弱々しいという意味ではありません。むしろ、主の助けを求めながら、主の王道を歩むということです。この世の道が目の前に美しく開かれているかもしれません。あるいは、八方塞がりの時もあるでしょう。しかし、どんな時でも、神さまを求めましょう。そうすると、この世には隠された道が開けてきます。箴言3:6-7「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を知恵のある者と思うな。【主】を恐れて、悪から離れよ。」


2.主を賛美したヨシャパテ

Ⅱ歴代誌20章には、敵がユダ王国に攻めて来た時のことが記されています。ヨシャパテはどう対処したのでしょうか?Ⅱ歴代誌20:1-4「この後、モアブ人とアモン人、および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。そこで、人々は来て、ヨシャパテに告げて言った。『海の向こうのアラムからおびただしい大軍があなたに向かって攻めて来ました。早くも、彼らはハツァツォン・タマル、すなわちエン・ゲディに来ています。』ヨシャパテは恐れて、ただひたすら【主】に求め、ユダ全国に断食を布告した。ユダの人々は集まって来て、【主】の助けを求めた。すなわち、ユダのすべての町々から人々が出て来て、【主】を求めた。」恐れたヨシャパテは、ひたすら主に求めました。それだけではなく、ユダ全国にも断食を布告し、主に助けを求めさせました。それから、ヨシャパテは主の宮の庭で、みんなの前で祈りました。とても長い祈りです。祈りの内容が20章6節から12節まで記されています。簡単にまとめますと、まず神さまがどんなお方なのか呼びかけています。「あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗して、もちこたえうる者はありません」とほめたたえています。次に、現在の状況を述べています。「アモン人とモアブ人、そしてセイル山の人々をご覧ください」と訴えています。最後に「おびたたしい大軍を前にして、私たちとしては、どうして良いか分かりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです」と祈りました。ヨシャパテ一人で、主の前に立ったのではありません。ユダの人々全員、それに彼らの幼子たち、妻たち、子どもたちも共にいました。つまり、ユダの民、総出で、主に求めたのです。普通の王様だったら、「俺に任せろ!」とか言って、勝手に戦うかもしれません。しかし、ヨシャパテは自分の弱さを丸出しにして、祈りました。

そうしたら、どのような主のおことばがあったのでしょう?旧約聖書の時代は、今と違って、神さまと民の間に、預言者がいました。預言者が主から受けたことばを語ります。しかし、新約の時代は、聖霊がおのおのに語ってくださいます。預言者がいないわけではありませんが、多くの場合は、確認を与えるためです。ヨシャパテが民の代表に立って祈ったら、どうなったでしょうか?預言者は「主があなたがたにこう仰せられます。あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから」と言いました。「彼らに向かって、出陣せよ」と命じられましたが、主はどのような戦法をヨシャパテたちに与えたのでしょうか?一般に戦いをする場合は、武装した者が一番前を進みます。しかし、この時は、主を賛美する人たちが彼らよりも前に立って行進しました。Ⅱ歴代誌20:21-23「それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。『主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。』彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。アモン人とモアブ人はセイル山の住民に立ち向かい、これを聖絶し、根絶やしにしたが、セイルの住民を全滅させると、互いに力を出して滅ぼし合った。」ヨシャパテは、兵士よりも聖歌隊を前に進ませました。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」と、彼らが喜びの声、賛美の声を上げ始めたとき、「主は伏兵をもうけて襲わせた」とあります。しかし、「伏兵」とはだれか分かりません。最終的に、彼らは互いに力を出して滅ぼし合いました。同志打ちです。ユダは1つも戦っていません。ただ、聖歌隊が賛美しただけです。ヨシュアたちが城壁の周りをまわって、時の声を上げたとき城壁が崩れました。しかし、聖歌隊の賛美で敵が打ち負かされたという話は、このところしかありません。兵士よりも、聖歌隊を前に出して、戦わせたヨシャパテの信仰をここに見ることができます。いつも、こういう戦いをすべきだとは思いませんが、「この戦いは、神の戦いである」と信じたからです。

そういえば、どこの軍隊にも、軍楽隊(ミリタリーバンド)というものがあるようです。金管楽器や太鼓などの楽器を用いて、行進します。そのなごりなのかもしれません。ヨシャパテが立てた歌い手の中には、聖なる飾り物を着けて賛美する者もいたようです。どんな飾りか分かりませんが、金とか銀の光ものだったのではないでしょうか?昨年のKGCのクリスマス・コンサートでも光りものを着けて歌っていました。賛美は神さまを立ち上がらせ、敵を打ち負かしてくれる絶大な効果があるようです。そういえば、使徒の働き16章にも似たような物語があります。ピリピの暴動に巻き込まれ、パウロとシラスが鞭打たれ、牢にぶち込まれました。普通だったら、「何でこんな目に逢わなけりゃいけないんだ!」とつぶやいたり、嘆くところです。しかし、二人は手かせ足かせを掛けられたにも関わらず、真夜中ごろ、神に祈りつつ賛美の歌を歌いました。「主をほめよ。主をほめよ。主の御名をほめよ」手拍子を打つ度に、「ガチャガチャ」という音がしたのではないでしょうか?他の囚人たちは、「真夜中に歌うなんて、迷惑な奴らだなー」と思ったでしょう。しかし、「何だか元気が出そうな歌だなー」と聞き入っていました。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動きました。それだけではありません。獄舎のとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまいました。普通の地震ではそんなことが起こらないでしょう。そうです。神さまが地震を起こして、二人を救おうとされたのです。この奇跡によって、看守とその家族が救われました。このところからも、賛美には力があることがわかります。

このことを現代の私たちにどのように適用することができるでしょうか?かなり前に、マーリン・キャロザーズが『賛美の力』という本を書きました。この本の中にヨシャパテのことが書かれていました。「困難な場に直面して、主を賛美することは結構なことであり、良いことです。しかし、馬鹿げたことはやめましょう。神は自ら助ける者を助けられるのです。出て行って、可能な限りは戦い、出来るだけのことはすべきです。そしてあとは神にまかせるのです」と私たちは言うかもしれません。もし、ヨシャパテが変わったことはしない方が良いと決断して、部下に戦うように命令したとすれば、その結果は違っていたのではないでしょうか?その戦いが神の戦いであって、私たちの戦いではないということを受け入れようとしないために私たちの多くは絶えず周囲の状況に負けてしまうのです。敵に対抗できない自分の無力さが分かっている時ですら、私たちは神の力に目を向け、ゆだねることを恐れています。このことが、自分の知性の占めるべき立場を誤らせてしまう点なのです。『私は理解できない。だから、あえて信じることをしない』というわけです。この戦法は、ヨシャパテの知性を動揺させたに違いありません。しかし、ヨシャパテは、知性をもって主により頼み、信頼したのです。」と書いてありました。つまり、「人間の知性では全く愚かに見えても、まず、神さまに信頼し、神さまを賛美しなさい」とこの本は勧めています。実際、本の中には麻薬中毒の兵士が賛美と感謝によって解放された記事とか、自殺を考えていた未婚の母が賛美と感謝によって生きる力が与えられたという記事がいくつも書かれています。ある青年が、大家さんの1室を借りて住んでいました。大家さんには3歳くらいの一人娘がいたのですが、この子が癇癪持ちで、彼がそこに移り住んでからずっと、ほぼ毎晩、泣き叫ぶ声が聞こえくるので彼はそれに悩まされていました。あるとき、彼は「賛美の力」という本に出会いました。その本には「現状のありのままの状態のすべてを感謝すること。神への賛美を通して、神の力がその状況に働き始める」と書いてありました。事実、聖書は神への賛美の言葉であふれています。彼はこう祈りました。「イエス様、大家の娘さんがいつも泣き叫んでいることを感謝します。このことで私が悩まされていることを感謝します。また、このことが働いて私の益になることを信じ、感謝します。すべては主なる神の御手の中にあり、主がなさることはいつも最善なので感謝します。」彼は何日か祈り、そして、そのことについてすっかり忘れていたある日でした。彼と一緒に、下の別の部屋に住んでいた友人が、「そういえば最近、あの子泣かねえよなぁ」と言いました。ここ何週間、彼女が泣いている声が全く聞こえてこなかったので、そのことについてすっかり忘れていたのです。

 どうして、賛美には力があるのでしょう?Ⅱ歴代誌20:22「彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、人々を襲わせた」と書かれていました。私は「伏兵」とは主の御使いであると信じます。私たちが主に向かって賛美すると、主が御使いを私たちのために遣わしてくださるのです。つまり、これは霊的戦いのことを私たちに教えているのです。エペソ6章には「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものである」と書かれています。悪しき霊との戦いにおいては、私たちの知性や力では勝ち目はありません。どんなことでも、ヨシャパテのように、神さまに求める必要があります。そして、私たちの知性では理解しえなくても、現状のありのままの状態のすべてを感謝しましょう。なぜなら、神への賛美を通して、神の力がその状況に働き始めるからです。ヨシャパテのように、いかなる時でも神を求め、主を賛美しましょう。


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2014年2月23日 (日)

アサ王の最初と最後     Ⅱ歴代誌14:1-6

 ソロモンの死後、イスラエルは北イスラエルと南ユダに分裂しました。北イスラエルの王はむちゃくちゃ悪いので説教として語ることができません。しかし、南ユダにはダビデほどではありせんが、善良な王さまがいました。きょうは、南ユダ王国の三代目、アサ王から学びたいと思います。アサ王の前半はとても良かったのですが、最後は良くありませんでした。私たちはそのような人生を歩んではいけません。反面教師的ではありますが、きょうはアサ王から学びたいと思います。


1.アサ王の最初

 アサ王は41年間、南ユダ王国の王でした。彼の最初の人生はとても良いものでした。アサ王のことは1つ前の書物、Ⅰ列王記にも書いてあります。Ⅰ列王記15:11「アサは父ダビデのように、主の目にかなうことを行った」と書いてあります。南ユダにおいては、ダビデが正しい王さまとして模範でした。彼はどんな良いことをしたのでしょうか?第一にアサ王は偶像を壊して、神殿を清めました。Ⅱ歴代誌14:2-3「アサは、彼の神、【主】がよいと見られること、御目にかなうことを行い、異教の祭壇と高き所を取り除き、柱を砕き、アシェラ像を打ちこわした。ソロモン王は多数の外国の女性をめとりました。そして、彼女らが拝んでいた神々をイスラエルに導入しました。その後、イスラエルは、北と南に分裂しました。北は別の神殿を建てて、金の子牛を拝みました。南ユダにおいてもヤーウェの神の他に、異教の祭壇がいくつもありました。そこには、神殿男娼がいて、不道徳なことをしていたようです。アサ王は異教の祭壇を壊し、神殿男娼を国から追放しました。また、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除きました。ここにアシェラ像とありますが、これは木の柱で、異教の神のシンボルでした。ある研究家は、日本語の「柱」はアシェラが語源ではないかと言っています。15:16「アサ王の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼は王母の位から彼女を退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、粉々に砕いて、キデロン川で焼いた」と書いてあります。このように、王母まで追放したのですから、アサ王の宗教改革は徹底したものでした。

 第二にアサ王は、律法と命令を行わせました。Ⅱ歴代誌14:4-5「それから、ユダに命じて、彼らの父祖の神、【主】を求めさせ、その律法と命令を行わせた。さらに、彼はユダのすべての町々から高き所と香の台を取り除いた。こうして、王国は彼の前に平安を保った。」アサ王は、律法と命令を書いた巻物を取り出して、それをちゃんと読ませ、実行させました。こういうことが、イスラエルの歴史において、何度か繰り返されました。イエス様も宮をきよめました。両替の箱を倒し、なわの鞭で鳩や牛を追い出しました。そして、言い伝えを取り除き、聖書を復活させました。16世紀、ルターによる宗教改革がありましたが。そのときもローマ・カトリックが行っていた儀式や異教的なものを排除しました。それまで、人々は、聖書をミサの時しか聞くことができませんでした。しかし、宗教改革者たちは、ラテン語の聖書を自国語に翻訳し、だれでも聖書が読めるようにしました。アサの宗教改革の結果、ユダ王国はしばらくの間、平和と繁栄を享受することができました。

 第三にアサ王は国の防備を固めました。Ⅱ歴代誌14:6-7「彼はユダに防備の町々を築いた。当時数年の間、その地は平安を保ち、【主】が彼に安息を与えられたので、彼に戦いをいどむ者はなかったからである。彼はユダに向かってこう言った。『さあ、これらの町々を建てようではないか。そして、その回りに城壁とやぐらと門とかんぬきを設けよう。この地はなおも私たちの前にある。私たちが私たちの神、【主】を求めたからである。私たちが求めたところ、神は、周囲の者から守って私たちに安息を下さった。』こうして、彼らは建設し、繁栄した。」アサ王は防備の町々を築きました。本当は、主ご自身が安息を与えたので、アサ王に戦いをいどむ者がなかったのです。アサ王は城壁とやぐらと門とかんぬきを設けました。しかし、彼らが主を求めたので、神さまが周囲の者から守って彼らに安息をくださったのです。つまり、防備の町や城壁の建設も大切ですが、主を求めることが大事だということです。神さまと民たちが正しい関係にあるならば、神さまご自身がその国を守ってくださるのです。これは日本においてもそうであります。敗戦後、アメリカと同盟を結んで、ここまできました。沖縄をはじめ、いろんな犠牲を強いられています。しかし、本当は、ユダ王国のように、まことの神さまを求め、正しい関係を持つならば、神さまご自身が守ってくださるのです。「防備がいらない」と言っているのではありません。神さまが周りの国に対して、侵略をしないように働いてくださるのです。アサ王は主を求めたので、ユダの国は、20年間にわたり、安息と繁栄を享受することができました。

 神さまはアサ王に対して、南ユダを治める王権を与えました。アサ王はそれを正しく用いて、国中の偶像を壊し、律法と命令を行わせ、そして、国の防備を固めました。周囲の国が南ユダを侵略しないように守ってくださいました。その結果、南ユダは平和と繁栄を享受することができました。ですから、一国の国王、大統領、あるいは総理大臣は、とても責任があるということです。一国の大統領や総理大臣が偶像を拝んだり、不道徳なことをして、「それは個人の問題です」とは言えません。彼らは民の代表として、神さまと向き合っているからです。少し前、フランスの大統領のスキャンダルが報道されていました。しかし、フランスやイタリヤでは権力者の私生活について追及しないという伝統があるのですが、どうなんでしょうか。聖書的に見るならば、それは堕落であります。国王や大統領は国民を代表しているので、彼らの罪が、国民にも影響を及ぼすのは必至でありましょう。神さまがその人に権威や権力を与えているのは、国を正しく納めるためであります。好き勝手を行って良いとか、政党の願望を成し遂げるためではありません。そのためには、まことの神を恐れ、その指針である神のみことば聖書に堅く立つ必要があると信じます。


2.アサ王の最後

 アサ王は、南ユダを41年間治めました。前半の20年間は比較的良好でした。彼はまさしく、「父ダビデのように、主の目にかなうことを行った」ので、神さまが祝福してくださいました。ところが、彼の後半の生涯はどうだったでしょうか?Ⅱ歴代誌16:1-3アサの治世の第三十六年に、イスラエルの王バシャはユダに上って来て、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにするためにラマを築いた。アサは【主】の宮と王宮との宝物倉から銀と金を取り出し、ダマスコに住むアラムの王ベン・ハダデのもとに送り届けて言った。「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間に同盟を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金を送りました。どうか、イスラエルの王バシャとの同盟を破棄し、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」アサ王の治世36年目に外交問題が起こりました。北イスラエルのバシャ王が南ユダに攻めてきました。しかも、北イスラエルのバシャ王はアラム王ベン・ハダデと同盟関係にありました。二対一ですから、勝ち目がないように思えます。アサ王はどうしたでしょう?アラム王ベン・ハダデを買収したのです。主の宮と王宮との宝物倉から銀と金を取り出して、それを差し上げました。そして、「イスラエルの王バシャとの同盟を破棄して、彼らがこちらに攻めてこないように軍を差し向けてください」とお願いしました。アラム王ベン・ハダデは「わかった」と言って、自分の配下の将校たちを北イスラエルの町々に差し向け、それを壊しました。北イスラエルは、「戦争どころではない」と要害を築くのをやめて、自分たちの町に帰りました。その後、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来てこう言いました。Ⅱ歴代誌16:7-9「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、【主】に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手からのがれ出たのです。…【主】はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」アサ王はこの予見者に、怒りを発し、足かせをかけました。彼は自分の失敗を認めませんでした。

 また、アサ王はその治世の39年目に、両足とも病気にかかりました。Ⅱ歴代誌16:12-13「彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は【主】を求めることをしないで、逆に医者を求めた。アサは、彼の先祖たちとともに眠った。すなわち、その治世の第四十一年に死んだ。」アサ王の心は完全に頑なになっていました。医者に頼ることは悪いことではありません。しかし、病が重かったにもかかわらず、神さまに癒しを求めることをしませんでした。私たちは「ああ、神さまに祈ったら良いのになー」と思うでしょう。旧約時代における、預言者は王様に対して、神のみこころを示したり、矯正することができました。王様は国を治めますが、預言者は「神さまがどう思っておられるか」提示しました。どちらも等しい権力がありました。その当時、エリヤとかエリシャが北イスラエルで活躍していました。病気になると、預言者が神さまに「これはどういう病気なのか、癒されるのか」求めてくれます。ところが、アサ王は自分に神さまのみこころを示してくれた予見者(預言者)に怒りを燃やし、足かせをはめました。さらには「民のうちのある者を踏みにじりました」。つまり、アサ王は神さまに求めてくれる預言者や正しい人を退けていたのです。当時の医者は現在の医者と違って、まじないや占いで癒す人たちがほとんどでした。アサ王は意地を張って、主のもとにはいかず、そういう医者を求めたのです。重い病の病名はわかりませんが、アサ王は2年後に死んでしまいました。彼が悔い改めて、主を求めていたなら、癒されていたかもしれません。彼はどの王様よりも立派な葬式をしてもらいました。

 だれでも失敗はあるものです。そのとき、悔改めて正しい道を歩めば良いのです。あのダビデもそうでありました。「私は主に対して罪を犯しました」と告白しました。すると、主が直ちに彼の罪を赦してくださいました。アサ王のように、権威とか権力が与えられると、悔改められないかもしれません。アサ王はこれまで大変、良いことを行ってきました。国中の偶像を壊し、律法と命令を民に守らせ、町も建てました。20年以上うまくやってきたのです。慢心が原因で、主を頼らないで、アラムの王様を頼りました。それも、ユダ王国を守るためでした。「結果的に良いじゃないか!」と思うかもしれません。「これだけやってきたのに、どうして足の病になるのですか?」これがアサ王の気持ちだったかもしれません。「意地を張る」というと聞こえが良いかもしれません。でも、それは主の前に心を頑なにすることであり、罪であります。罪を悔い改められるのは幸いです。それができないくらい、心が頑なになってしまうなら悲しいことです。私たちは最後まで主の道を歩み、人生を全うしたいものです。


3.最後まで走りとおす

 使徒パウロは最後まで主の道を走りとおした人です。ピリピ3:13-14「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」パウロは「うしろのものを忘れる」と言いました。うしろのものと言うのは、悪いものもありますし、良いものもあります。つまり、失敗や成功も忘れて、過去には生きないということです。アサ王はそれまで大変、良いことを行ってきました。国中の偶像を壊し、律法と命令を民に守らせ、町も建てました。20年以上うまくやってきました。しかし、そのことで慢心して、主を頼らないで、自分の知恵を頼りました。また、予見者ハナニが注意しても、心を頑なしして悔い改めませんでした。アサ王はハナニに足かせを付けて、牢獄に閉じ込めておきました。予見者ハナニは私たちの良心あるいは、御霊の声と言えるでしょう。人間、年をとればとるほど、「昔は良かった」と過去のことを懐かしみます。そればかりか、「今はダメだとか」言い出します。そうなると、将来に対する希望やビジョンがなくなり、過去に生きる人となります。たまには過去を見るときがあるでしょう。過去の失敗やトラウマがよぎる時もあります。また、過去の栄光を喜ぶことがあるでしょう。でも、思い出にひたっていると、前が見えなくなります。車を運転する人はわかりますが、車を走らせる時は、広い全面ガラスの風景を見ます。しかし、全面ガラスの上の方に、小さいバック・ミラーがあります。それは、後ろを見るものです。バックしたり、後続車を知るために小さいバック・ミラーが必要です。でも、運転中はほとんど、広い全面ガラスの風景を見ます。何故でしょう?小さいミラーに集中していたなら、事故に遭うからです。車の全面ガラスとバック・ミラーの比率はどれくらいでしょうか?私たちの人生もそれと同じであるべきです。悪いことも良いことも、後ろにおいて、私たちは前を見て走る必要があります。あるところに有名な建築ディザイナーがおりました。彼はたくさんの高層ビルやミュージアムをデザインしました。彼が晩年に達したとき、ジャーナリストたちがインタビューに来て、こう質問しました。「これまでの数ある作品の中で、最も良かったものはどれですか?」彼は目を大きく開けて、「次の作品を期待してください」と答えたそうです。

 第二にパウロは目標を目ざして一心に走りました。パウロは「ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っている」と言っています。目標は神の栄冠であります。おそらく、パウロは当時のオリンピックをたとえているのではないかと思います。当時の花形は、陸上のマラソンだったと思います。目標はゴールであり、月桂樹でできた栄冠でした。私たちにはそれぞれ、走るべきレースがあります。人によってそれぞれ目標が違うでしょう。しかし、共通しているのは、自分のレースを走りつくして、神さまの栄冠をいただくことであります。そのためには、「神さまが自分に与えた人生の目標は何なのかな?」と知ることであります。ある人は、3年ごとに仕事を変えています。転職が悪いとは言いません。ただ、そこに一貫した目標があるかどうかです。クリスチャンになると、「神さまのみこころ」とか「神さまの導き」という言葉を使います。しかし、ある人たちは、そういう言葉を頻繁に使いながら、道が定まっていない場合があります。客観的に見て、それが神さまの目標だとは言えないように思います。なぜなら、神さまは一貫したお方だからです。神さまは永遠の視点から、私たちの人生を見ており、そして永遠の目標へと導いておられます。もし、行き当たりばったりの人生だとしたら、「神さまの導き」とは言えないのではないでしょうか?私は神さまがその人に与えた聖なる運命(天命)が必ずあると信じます。それを発見して、自分に与えられた人生を走るのです。ある人はお母さんの人生を走っている人がいます。またある人はお父さんの人生を走っている人がいます。お母さんやお父さんに認められることは悪いことではありません。それだからと言って、他人の人生を走って良いとは限りません。神さまが自分に与えた聖なる運命(天命)があるからです。

 パウロは死ぬ前にこのように言っています。Ⅱテモテ4:7-8「 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」パウロは「走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」とはっきりと言うことができました。しかも、「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです」と断言しました。パウロは最後まで走りとおしたすばらしい人の見本であります。最後まで走りとおすことを英語では、finish wellと言います。まことに残念ですが、アサ王はfinish wellできなかった人の見本です。最初はとても良い人生でした。しかし、最後は心が頑なになり、神さまに癒しを求めませんでした。聖書の人物においても、また牧師や伝道者でも、finish wellできた人は、全体の3割だと言われています。私は子どもの頃、親や兄弟から「意地っ張り」と良く言われました。なぜ、意地を張ったのか?それは、誰も自分を分かってくれなかったからです。せっかくの好意も「もういらない」とか「もういい」とか言って、断りました。「意地」が私のエネルギーだったのかもしれません。では、その「意地」がどのように変えられたのでしょうか?会社に入って、人の親切を素直に受けてから、だんだんと変えられました。世の中には自分のことを分かってくれる人が何人かいるものです。そういう人たちは自分の宝物です。生涯において、友とか恩人を持っているというのは幸いです。でも、人間には限界があります。やはり、主イエス・キリストに出会って、父なる神さまとつながる必要があります。そうしないと、本当のエネルギーも本当の目標もないからです。使徒パウロが「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠」と言ったのはそのためです。キリストなしの目標は、自己満足に終わる可能性があるからです。自分のレースを走ると言いながらも、「神さまのものではなかった!」という場合もあります。

 クリスチャンであるならば、信仰の道を最後まで走りとおすという課題があります。パウロは「私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです」と言っています。自分の人生の終わり、あるいは、世の終わりイエス様が来られるまで、信仰の道を走りとおすということです。黙示録2:10「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」とあります。私の家内は、洗礼を受けたとき本をプレゼントされたそうです。表紙を開いたら、「死に至るまで忠実であれ。大川従道」と書いてあったそうです。おそらく、そのときに「ああ、信仰はそうあるべきなんだ」と受け止めたのでしょう。はっきりとしたデーターはありませんが、洗礼を受けても、半数以上の人たちが教会を去って行きます。彼らがみな信仰を捨てたということではないと思います。母教会でなくても、どこかの教会につながっていれば良いでしょう。でも、主イエス・キリストを否むならば、どんなすばらしい生き方をしても、走り終えたとは言えないでしょう。私たちは主の道をひたすら歩み、いのちの冠をいただくべきであります。人によって成し遂げることの大小は異なるでしょう。大成して名を上げる人もいるかもしれません。しかし、信仰の道を忠実に歩むことが、最も基本的で重要なことではないでしょうか?死に至るまで忠実でありたいと思います。


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