2006年10月 8日 (日)

ひきこもり          ヨハネ14:18-21

 今、蒲郡の石原先生は「ひきこもり」の癒しに、教会あげて取り組んでいます。また、心理学者の服部雄一氏がクリスチャンになって、石原先生と日本のひきこもりのために力を合わせています。去る7月18,19日に、代々木において「ひきこもりセミナー」がありました。きょうは、石原先生や服部氏が提示してくれた「ひきこもり」を参考にして、お話したいと思います。最初に申し上げますが、ひきこもりは、教会のミニストリーの1部だと思います。それは、インナーヒーリング、心の癒しであると思います。この世の人たちのニーズを満たすことによって、福音宣教を進めていくことは、聖書が教える教会の原則であります。日本人の多くが、ひきこもり、あるいはひきこもりの可能性があるということをセミナーで学んできましたので、「ぜひ、礼拝で分かち合う必要があるなー」と感じました。

1.ひきこもりとは

 ひきこもりには2種類います。第一は物理的に家に何年間も閉じこもっている人です。こういう人は日本に100万人いるそうです。それから、不登校の若者が60万人います。第二のひきこもりは、潜在的ひきこもりです。これは社会に出ているひきこもりのことで、本音を隠しながら、やっとのことで生活している人たちです。服部氏に言わせると、こういう人が日本には6割から9割いるそうです。そうしますと、日本人のほとんどが、潜在的ひきこもりだと言うことになります。潜在的ひきこもりが、なんらかの原因で発病すると、ひきこもりになるのです。ひきこもりに共通する特徴というのがあります。どんな人がひきこもりなのでしょうか?

本音をいえない

自分を殺して相手に合わせる

人に要求するとか、質問できない。

感情がない、感情が麻痺している。

自分で決められない。

人間関係で緊張する

 実はこれらの特徴は、「共依存」と同じであります。共依存とひきこもりは、兄弟姉妹みたいなものであります。いや、中身はおんなじで表現が違うだけのことかもしれません。実は、日本人はみな共依存的な体質を持っています。目上の人になかなか本音を言えないでしょう。そして、自分を殺して相手に合わせる。人に要求するとか、質問できない。自分でなんとか解決しようとする。感情を出さないで、感情を押し殺す。他の人が気になるので自分で決められない。人間関係でとても緊張します。それに比べて、アメリカ人とか韓国の人は、お互いに、物事を言い合います。「私はそうは思わない」と、とことん議論します。喧嘩をした後に仲良くなるといいます。日本人は和を重んずるなどといいますが、本当は対決するのが怖いんです。一度、喧嘩したら、傷ついて、もうおしまいです。ですから、服部氏は「ひきこもりは、日本の文化病、国民病である」と言います。つまり、外国にはなく、日本人がかかりやすい病気だということです。

2.ひきこもりの原因

 ひきこもりの一番の原因となるものは親子関係であります。大体、親が本音を隠して、世間に合わせる潜在的ひきこもりです。これまで、世の中で必死に生きてきたわけです。そういう親が子供を育てるとき、やはり自分が育てられたように育てます。子供を頭から叱り付け、子供の言うことを聞かない。日本では親に逆らうということが悪であります。お互いにコミュニケーションを取るという体質がありません。親から子へと一方向であり、口答えは許されません。小さな子供が、親から叱り付けられた場合どうなるでしょうか。「ああ、本音を言ったらダメなんだ!」と理解します。言うことを聞けない子に対して、「うちの子じゃないから、出て行け」と言います。これは子供にとって、家から出たら生きていけないとは、死活問題です。お母さんが一番やるのが、無視です。子供が言うことをきかないと無視する。無視は子供にとっては一番恐ろしいことです。だから、仕方なく言うことを聞く。そして、親の機嫌を取る良い子になろうとします。石原先生は「大体3歳くらいのときに、既に心がひきこもっている」と言います。それだけではありません。本当の心がひっこんで、人に合わせる別人格で生きていくようになる。つまり、中の人格と表の人格と乖離した状態になります。ひきこもりは、中と表との二重人格だということです。表はものすごい良い子で120%の気配りの人です。しかし、中の人格は感情を押し殺し、感情のない子供がいます。疲れて、良い子を演じることができない、もうだめだ。そうして家にひきこもった人が、本物のひきこもりであります。

 服部氏は、ひきこもりは親子関係から生まれる病気であると言います。幼いときに本音を言ったら、怒鳴られ、家から出され、無視された。そのときのトラウマが、人間不信につながるのです。表現を変えると、親との絆がないために、ひきこもりになるのです。世の中の人が「ひきこもりは、甘えているんだ」と言います。しかし、ひきこもりは全く逆で、親に甘えたことがないのです。親から無条件で愛されたことがない。親から受け入れられた経験がない。本音を言ったら、ものすごく叱られた、あるいは無視された。一番最初に出会う親からそのような扱いを受けたら、「ああ、人間とは信用できないものなんだ」と心の底で受け取るでしょう。服部氏はひきこもりは親子関係から生まれると言います。日本の親子関係はどういうものでしょうか?

親の無視。

ちゃんと聞いていない。聞いているふりをしている。親自身、子供のとき、親から話しを聞いてもらっていない。親が子供の話を聞くという文化がなかった。

親が子供の本音をきらう。

「生意気言うな」「だれのお陰で飯くっているんだ」と言う。そうすると子供は本音をいえない。本音を言えば怒られる。だから、本音をひっこめる。

親が子供の話をきかない。

一方的な関係

 したがって、こういう家庭では、一方的な関係です。親と話し合う、つまり、子供が主張して、親が聞くという関係がない。親は「こうしなければいけない」と、一方的な指示を出して、子供を動かそうとする。

親子のコミュニケーションがない。

 ひきこもりの親が足腰立たないほど、子供を虐待するかと言うとそうではない。お母さんは弁当を作り、生活の世話をしてくれます。お父さんは一生懸命働き、お金を稼いできます。子供は大学も出られたし、海外旅行も行けた。「親はお前のために一生懸命やったんだ。何が不満なんだ」と言うでしょう。何が足りなかったんでしょうか。物質的なことは世話したかもしれませんが、親子のコミュニケーションがない。目と目を合わせて、話したことがない。

石原先生は、石原先生で、ひきこもりを「思考停止、ロボット化」と分析しています。今の日本のオヤジは、「俺たちは子供時代、貧乏な生活をして、耐えて来たんだ。勉強したくても勉強できなかったんだ。お前も我慢しろ!俺たちは耐え抜いてきたんだ。テメーたちも我慢しろ!」こういう気持ちで子育をしている。そして、日本にはそれを支える家長制度がある。家長制度では女と子供は、亭主に逆らってはいけない。逆らったら天皇に逆らうことになる。こういうシステムが支えているので、思考停止による感情のない人間が、どんどん生まれ育って、それが会社に配分されたり、公務員もそうなっている。教会に行っても、牧師が「俺たちは信徒のときめちゃくちゃされたけど、我慢してやってきたんだ。テメーらも我慢しろよ」と言う。では、どのようにひきこもりができるのでしょうか。

幼児期

親になつかず、偽りの自分を作る。0歳、1歳、2歳から人間不信が始まっている。だが、親を騙す。親を騙して、ウソの人間関係を始める。

成長期

 この人が成長期(幼稚園、小学校)に入ると、人に合わせる表の自分と本音を隠した自分の二重人格の構造が発達する。そして本当の自分を隠す。嫌われることを一番恐れている。そして、自分を殺して他人に合わせる。物事を決められない。そして、集団行動を取る。

成人してから

成人してからどういう感情が表れるか。人間不信、人間関係の緊張、対人恐怖、虚無感と孤独感、自分の意思で働けない、恋愛できない、人に合わせるだけの人生。そして、最終的には3段階の人間ができる。第一段階は自殺。自殺したい人は、鬱があったりするので、まだ感情がマヒしていない。「死にたい」という人は、ひきこもりの中ではとても健康的で、治療可能である。第二段階はロボット化。ロボット化すると、感情がマヒする。顔を見たら、無表情人間。明るい表情で仮面をつけているか、それとも暗いか、とにかくのっぺらぼうと言う感じ。これは、ロボット人間になっている。大体、トヨタの社員なんか多い。それから公務員も多い。第三段階は、社会的ひきこもり。社会的に関係を切ってしまった状態。部屋に閉じこもって、もう人間と付き合うのをやめた人間。完璧に努力もやめてしまったと言う状態。これは、社会との適用を諦めた人たちである。

3.ひきこもりの癒し

ひきこもりを強制的に治す名古屋の怖いおばさんがいます。「お前はなまけ者だからそうなったんだ」と強制的に部屋から出し、集団生活をさせます。私もテレビで見たことがありますが、ひきこもりがあのように社会復帰すれば良いんだと考えています。ところが、それは何の問題の解決にもなっていない。なぜなら、ひきこもりが、また、社会にあわせる人格をがんばって演じるようになるだけなんです。そこでも言っていましたが、ひきこもりの青年が、あるときから時間がとまっているといいました。つまり、子供のときに本心をひっこめてしまった。表人格で生きてきたけど、疲れてやめちゃった。表がダメになって、中の人格が出てくる。しかし、その人格は子供なんです。その人にとっては、ずーっと時間が止まった状態だったわけです。石原先生や服部氏がおっしゃっていますが、中の人格が2歳か3歳の場合は言葉もしゃべれない。本当に感情が麻痺した状態。日本にはボケがいるそうですが、欧米にはボケがいないそうです。アルツハイマーという脳の病気があるが、ボケ老人がいない。ボケは日本人独特のもの。じゃあ、なぜボケ老人になるのか。それは、中人格をひっこませて、表人格で一生懸命生きてきた。会社をやめて退職すると、もう人に気を使う必要もなくなる。表人格が壊れて、中人格が出てくる。石原先生に言わせますと、南京袋にくるまれたドローっと状態で出てくる。だから、感情もない子供の状態。それが、ボケ老人だということです。ボケ老人を作らないためには、一生、気を使うところで働かせておけば良いということです。しかし、それでは癒しになりません。どうしたらひきこもりが癒されるのでしょうか。一般に考えられているように、ひきこもりは甘えの病気ではありません。むしろ逆で、親に甘えたことがない、本音を言ったことがないためになった病気だということです。また、癒しは、単に社会復帰すれば良いというものではなく、心が癒さればなりません。

 服部氏は野良猫のたとえを用います。ひきこもりと野良猫は大変良く似ています。ひきこもりは、人間社会の野良猫です。野良猫はどんな特徴を持っているでしょうか?

人間を警戒しています。

人間がそばにいると緊張します。

人間とは親しくなれない。

人間と一緒に暮らせない。

 その点、飼い猫は安心しています。「ゴロニャー」とか言って、ひざに乗ってきます。飼い猫は人間と一緒にいても疲れないんです。ひきこもりの気持ちを理解するのが野良猫が一番です。ですから、ひきこもりの治療は、野良猫を飼い猫にするということです。ところが、現実のひきこもりは、飼い猫のふりをしているので始末が悪い。だから、人間関係で緊張し、疲れるのです。では、どうやって具体的にひきこもりを治すのか。これは石原先生や服部氏が実際にやっていますので、私たちはその秘訣だけを学びたいと思います。彼らは個人的なカウンセリングで治療しています。そういう場合は、患者とカウンセラーというふうになります。私などは、ここいらへんで、躓いてしまいます。患者とカウンセラーと、一線を引くのは、カウンセラーを守るためです。なぜなら、こういう人たちを相手にすると、プライベートな時間が全部取られてしまいます。ですから、服部氏は始めに契約を結んでから、治療にかかります。夜中に電話をかけないとか、物を壊さない。カウンセリングルーム以外では個人的に会わない。お金もちゃんと取ります。ここまで徹底しないと安全な形でできないわけです。しかし、私たち素人は、治療の原則を知ったら、潜在的にひきこもりに対して、手助けになることができます。家に物理的にひきこもっている人ではなく、社会的になんとか頑張って生きているけど、実際は辛い。そういう人に、助けの手を伸ばすことができるかもしれません。

 それでは治療、私たちでいう癒しの中心ポイントは何なのでしょうか。本当のひきこもりも、潜在的ひきこもりも、中の人格を隠して生きています。表面では問題なさそうに生きていますが、人間関係で疲れています。問題は、表の人格ではなく、隠れている中の人格です。まず、こちらが無条件に愛して、受け入れるということです。すると、その人はだんだん、防具をはずして、本音の部分を出してくれます。表現は悪いんですが、野良猫を飼い猫にする。でも、彼らはとても敏感です。人工的な愛とか、見かけだけの愛はすぐ見破られます。ですから、私たちは父なる神様の愛をいただいて、父の愛で接していくしかないのです。彼らは自分の両親にはすっかり心を閉ざしています。しかし、本能的に、本当の自分を受け入れてくれる人、自分のことを理解してくれる人はいないものかと探しているのです。ですから、私たちがその人の親代わりになるしかありません。カウンセラーは商売として、プロとして、それをしているので、一時的に親になり治療を与えることができます。でも、私たちはプロではありませんが、父の心を持っています。駆け引きとか、その人を操作するのではなく、アガペーの愛で接するしかありません。服部氏や石原先生はそのことを実行しています。そして、隠れている中人格を探し当てます。これは、地下室の瓦礫の下で埋もれている人を発見するレスキュー部隊のような仕事です。たぶん、その人は、こちらを試すんでしょうね。本当に、この人は私を愛してくれるのか。単なる興味本位なのか、お金のためか、いいかっこしーか…、試すんでしょうね。だから、普通の愛だったら、途中で、切れて、「いい加減にしろよなー。こんなにやってあげているのに」となるかもしれません。だから、父なる神の愛が必要です。服部氏はこう言います。ひきこもりの治療のできる人は、大学とか特別な訓練を受けていなくても良い。人を真に愛することのできる人ならだれでもできると言っておりました。

 私も潜在的なひきこもりだったかもしれません。私は両親と全く、きずなを持っていませんでした。親の世話で生きてきたとは思っていませんでした。父は子供たちに、立身出世を説いたわりには、自分の人生に挫折していました。酒を飲んでは愚痴と恨み言を吐いていました。母はそんな父を憎み、子供がいるので離婚もできませんでした。母は父の代わりに、長男や長女を信頼していましたので、私は自分の母だとは思いませんでした。いつも不平不満を言っていたので、「お前は、一番わがままだ。本当に情げねなー」といわれました。しかし、私の生涯を振り返るときに、友達がいました。友達の家によく遊びに行き、ハード・ロックとか井上洋水を聴きました。ジャン友もいました。会社に入っても、私を助けてくれた先輩が何人もいます。家では「お前は不器用だ!」といわれましたが、会社では「鈴木は器用だ!」とよく褒められました。しかし、一番の癒しは主イエス・キリストと出会ったことです。ヨハネ14:18「私は、あなたがたを捨てて孤児にはしません」と言われました。また、父なる神は、私を母の胎で組み立てられ、「あなたは私の目には高価で尊い。私はあなたを愛している」と言ってくださいました。また、イザヤ49:15,16「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある」と言われました。

 でも、皆さん、私たちがさらに癒されるためには、手で触れる人間も必要なのです。服部氏は「ひきこもりが社会に復帰するためには、神の価値観をもった共同体が必要である」と言っています。セルは互いに愛し合い、互いに赦し合い、互いに祈り合う小グループです。セルには子供がおり、若者がおり、父がおります。もし、私たちが父の愛によって、そういう人たちを受け入れ、ハグしていったらどうでしょうか。癒しのわざが進むと思います。また、神様の御声だけではなく、人間の声で「あなたを愛していますよ。あなたは赦されましたよ。あなたは価値がありますよ」と聞く必要があります。私自身はまだここいら辺が足りないと思います。人間関係で病気になった場合は、やはり人間関係で治すしかありません。日本人は告白することがとても苦手です。しかし、神様も、イエス様も、「愛しているよ。愛しているよ」と数限りなく人間に告白しています。だから、日本人はそうじゃないよとは言えません。私たちは日本という文化の中で生まれ、育ってきたので、全く別人になることはできないかもしれません。しかし、日本の文化を乗り越えた、神の国のライフスタイルを送ることは可能です。私たちはありのままを神様から受け入れられ、愛されています。神様に心を開いて癒されました。今度は、隣人にも心を開いていきたいと思います。それは冒険です。また傷つけられるかもしれません。でも、あなたの隣人を愛しなさいと聖書は命じています。神様の愛と命令こそが、自らのひきこもりから脱却する道ではないでしょうか。自ら神の愛と癒しを体験し、隣人に分かち合う者となりたいと思います。

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