2010年8月 1日 (日)

最初のトレーニング 使徒2:40-47 (第一礼拝:鈴木牧師)

※第二礼拝は石井豊師を迎えての特別礼拝になります。

 イエス様は「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」(マタイ
937,38と言われました。ですから、私たちは収穫のために、働き手を養成すべきであります。初代教会は私たちの教会の模範であります。私たちは初代教会のように成長したいのですが、そこにはいくつかの秘訣があります。使徒240-47の間にandが16回、thenが2回用いられています。日本語の聖書は「そして」「そこで」というふうに訳されています。初代教会には現代の教会にないものがありました。何でしょう?それはすべてが同時進行であったということです。エディ・レオ先生は4つのimmediate「即座」があると教えておられます。4つのimmediate「即座」こそが、初代教会が持っていた力強いトレーニングのシステムであります。

1.即座のフォローアップです。immediate follow up

彼らは、洗礼を受けた後どうしたでしょうか?使徒2:42 「そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」とあります。同じ日かどうか分かりませんが、彼らは非常に早く、フォローアップしたということです。エディ・レオ師のアバラブ教会では、新来者が来たら、だれかが48時間以内にコンタクトを取るそうです。一番良いのが訪問ですが、少なくとも必ず電話はするそうです。私はインドネシアに行ったとき、このことでびっくりしました。午前の礼拝で初めて来られた方を、その夜、訪問するのです。確か、あの時は夜の8時頃でした。日本ではありえないかもしれませんが、向こうでは歓迎してくれてお話を聞いてくれます。話し出したら、隣りの住民もやって来て、6,7人になりました。最初、セルリーダーの人はその家のご婦人と1メートル50センチくらいの距離で話していました。だんだん福音の確信にせまると、50センチくらいになりました。いただいたコップを手にして、「キリストを受け入れるとはこういうことです」と水を飲んで見せました。日本と文化の違いはありますが、インドネシアでは、訪ねられることがとても嬉しいのです。そして、セルリーダーが「何か、お祈りすることはありますか?」と聞きます。すると「私のおばさんが病気なのです。祈ってもらえませんか?」と言います。それで、みんなが、おばさんのために祈ります。すると彼らはとっても喜んでくれます。そして、奇跡が起こります。日本では最初は、家の中ではなく、玄関か縁側くらいかもしれません。それでも良いのです。生命保険の業務の人は、玄関か縁側で座り込んで、「これ良いですよ、あれ良いですよ」と勧誘しています。

 日本では教会に行くということ自体、勇気のいることです。一人ではとても入れません。私の場合は、1979年2月に、職場の先輩が一緒に誘ってくれました。立ったり、座ったりします。聖書と言われても、どこを開いて良いのか分かりません。聖歌も初めてです。牧師らしき人が一人でガンガン話すので、それも驚きました。献金ってどれくらいしたら良いんだろう? 1000円を入れたときには、大金でも失ったような気がしました。礼拝が終って、食事を誘われましたが、とても恥ずかしくて寄られませんでした。次の日、会社で先輩に「あれはどういう意味なのか?これはどうなのか?」と質問します。水曜日の祈祷会にも行きましたが、みんなニコニコしていました。証のときになり、「与えられました」「導かれました」「示されました」など、全部、受動態です。「ありゃ、この人たちは自分の考えがないんじゃないの?ちょっと変じゃないの?」と反感を持ちました。するとまた、次の日、会社で先輩と、「ああじゃない、こうじゃない」と話し合います。1979年3月、あることで躓いて1ヶ月休みました。その間、先輩は礼拝のテープを貸してくれました。また行き出して4月のイースターにイエス様を信じました。先輩がその日の午後12時半から9時半まで伝道して、根負けして、「それじゃ、信じるよ」と言ったのです。5月の連休、大川牧師が洗礼準備会をしてくれました。でも、なんだかうまくやられたような気がして、洗礼を断念しようと思いました。でも、翌週、放蕩息子のメッセージで悔い改めました。そして、6月10日に洗礼を受けました。しかし、その午後、月定と会堂の二つの献金袋を見て躓きました。次の日、先輩から献金の意味を聞いて考え直しました。受洗後、1ヶ月後に彼女と親友を失い、ものすごい試練がやってきました。夜になると「今から包丁をもって二人を殺しに行こうか」と思いました。先輩は「復讐は神さまのやることです。神さまに任せなさい」と諭してくれました。3ヶ月くらい礼拝でずっと泣いていました。12月「イエス様の弟子になりたいです」とお祈りしました。12月末、クリスチャンとして倫理的にやっていけないので、先輩と一緒に会社をやめました。翌年3月は神学校の基礎科に入りました。躓きの連続だったのに、どうして献身まで行けたのでしょうか?それは職場の先輩が私をフォローアップしてくれたからです。フォローアップといのは、「倒れないように支える」「倒れたら引き上げる」という意味でしょう。イエス様を信じたての頃は霊的にとても不安定なので、どうしてもフォローアップが必要なのです。

2.即座の弟子訓練、immediate discipleship

彼らは使徒たちの教えを新しい人たちに教えました。使徒たちの教えとは何でしょう?使徒たちの教えとは、イエス様の教えです。なぜなら、使徒たちとはイエス様が教えたことを書きとめた、いわばイエス様の証言者たちです。それでは、イエス様の教えとは何でしょうか?イエス様の教えの中心は神の御国の教えでした。その教えの中心は、マタイ5章から7章の「山上の説教」です。イエス様は、最後に「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます」(マタイ724と言われました。ですから、新しいクリスチャンがこの上に人生の土台を建てないなら、困難が来たときに倒れてしまうでしょう。ですから、できるだけ早く、彼らを訓練しなければなりません。アバラブ教会では、山上の説教をベースにした、テキストを作っています。洗礼を受ける前は5回の短いクラスがあります。これは途中から入っても構いません。回転寿司のようになっているので受け損なったクラスを学べるようになっています。それから彼らは23日で解放のキャンプに出かけます。そこで、癒しを解放を受け、最後の日に水のバプテスマも受けます。私が行ったときには80人くらいの人がプールで洗礼を受けました。それで帰ってくるとその次の日曜日は証し会です。洗礼を受けた人が家族や友人を連れてきて、そこでキャンプの証をします。ものすごくパワフルです。そこで、またイエス様を信じる人も起されます。そのあと、5回のクラスがあります。ここでの特徴は、最初からキリストの弟子になるということです。日本の教会の場合は、信じたあと、キリストの弟子になるかどうか決めます。キリストの弟子になることが、まるでオプション(選択)になっています。しかし、そうじゃありません。信じたら、即、キリストの弟子になるのです。だから、成長が早いのです。

私も最初の頃、愛知県の蒲郡で行われた解放のキャンプに信じたばかりの人たちを送りました。良いところもありましたし、悪いところもありました。そこでは、アバラブとは違って、「共依存からの解放」ということが、強調されました。「あなたはありのままで良い。自分の感情を正直に出して、イヤのものはイヤと言って良いんだ」みたいに教わります。すると、怪物のように変身してキャンプから帰ってくる人もいます。ある程度、社会にもまれて苦労した人は、バランスがとれて良いくらいなんですが、若い人はわがままになって帰ってきます。そこいら辺が、失敗の原因でした。ですから、外国のものを日本に入れるとき、そのままではなく、文脈化しなければなりません。また、一回のキャンプで全く解放されるということは、まず、ありえません。応急処置みたいなものです。必要最低限、神の国で暮らすためのトレーングみたいなものです。アバラブ教会では、キャンプが終ったあと、5回のクラスがあり、神さまの前に従順になるとはどういうことなのか十分に学びます。私も弟子訓練に関しては、試行錯誤してやってきました。日本では、一度、失敗すると全部ダメみたいなところがありますが、そうではありません。私たちは、成功からは何も学ぶことができません。私たちは失敗から学ぶことができるのです。「鉄は熱いうちに打て」ということわざがあります。イエス様を信じたての熱いとき、「神の国ではどのように生きるのか!」ということを教えてもらう必要があります。弟子訓練ということばがイヤならば、マタイ5章から7章までを何回も読んで、自分の生活に適用することであります。初代教会の人たちは、救われて即座に、使徒たちの教えを守ったのです。これが重要です。

3.即座のセル、immediate joining the sell

 即座のセルとはどういう意味でしょう?教会の交わりに入るということです。本当はセルグループと言いたいところですが、中には「加わりたくない」という人もいますので困難を覚えている次第です。当亀有教会は従来の教会からセルチャーチに移行しましたので、それ以前の人たちは、従来の教会の体質を持っています。従来の教会の交わりとはどういうものでしょうか?それはあたりさわりのない交わりで、入るのも自由、出るのも自由という、あまり拘束されないものです。従来の教会には青年会、壮年会、婦人会、学生会というふうに分かれています。私も前の教会でははじめ、青年会に属しました。青年会自体は4,50人いるのですが、参加する人たちは、20人くらいでした。話す内容というのは、本当に表面的な話題でした。私は神学校の基礎科を出たばかりなので、霊的に燃えていました。しかし、当時の青年会や学生会は遊ぶことしか考えていませんでした。「なんて生ぬるくて、世的なんだろう」と思いました。私はすぐ、「鈴木教室」という勉強会を開きました。そこから献身者も何人か出ました。それから、私は30年も同じことをしています。でも、セルというのは勉強会ではありません。互いに信仰を分かち合う、グループであります。日本の場合は、本心を打ち明けるほど親しい交わりを持つのが教会でも困難です。「これは、なんとかしなければ」と試行錯誤しながらやってきました。今も、「これだ、これしかない」と言えない弱さがあります。セルなんか作らないで、従来のような交わりで良いのかもしれないという誘惑もあります。

でも、初代教会には3000人の人たちを受け入れる家の教会がありました。生きた小さな交わりがあったのです。だから、新しく信じた人たちは使徒たちの教えを守りつつ、交わりの中で成長することができたのです。新しく信じた人たちは、赤ん坊のような人たちです。赤ん坊に一番必要なものは何でしょうか?お母さんとお父さん、家族です。赤ん坊を会社に送ったなら死んでしまうでしょう。赤ん坊を軍隊に送って、トレーニングさせたら死んでしまいます。その人が肉体的に40歳であっても、信じたばかりであるなら霊的な赤ん坊です。ですから、彼らが神の家族の中に入れられる必要があります。赤ん坊は、ただちに家族を必要としています。これは、教会にとって非常に大事なことであります。これまでの学びで、教会が神の家族であり、霊的な父や母がいるということをお話ししてきました。もし、これを実行しないならば、霊的な赤ん坊は死んでしまいます。日本ではせっかく洗礼を受けても、教会に残るのが半分以下だと言われています。信じたばかりの人というのは、圧倒的に未信者の友人や知り合いが多いんです。彼らに信仰上の悩みを打ち明けたらどうでしょう?「そんなの信じるのやめなさい。馬鹿馬鹿しい」と言われるのがおちでしょう。でも、反対に教会の交わりで信仰に満たされたなら、未信者の友人を連れてくるのです。どんな名前でも良いですから、3人から5人くらいのグループを作ってください。そして、一週間あったことを分かち合って祈る。互いに励まし合うグループを持ちましょう。とにかく、霊的な父や母である人は、新しく信じた人をケアーする。そういう働きに積極的に参加してくださいますよう心よりお願いいたします。

4.即座の伝道、immediate evangelism 

使徒2:47「神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」どうして神さまは毎日のように、人々を教会に送ったのでしょうか?おそらく、彼らは毎日、自分の友達を連れて来たからだと思います。皆さん、だれが新しい人を連れてくるのでしょうか?新しく信じた人たちです。あるデーターによりますと、クリスチャンになって最初の2年間は、最も効果的な伝道ができる期間だということです。なぜなら、未信者の友人がたくさんいるからです。新しく信じたばかりの人は、救われた喜びがあります。自分の中に起きた変化をストレートに証できます。しかし、教会は「あなたはきよめられていない」とか「人々に弁明するために聖書を勉強しなければならない」と言います。そして、2年ぐらいたってから、「さあ、伝道してください」と言われます。伝道の賜物のある人は、クリスチャンの2割ぐらいであろうと言われています。多くのクリスチャンは新しい人に伝道することが困難です。さらに、教会生活を10年、20年、続けていますとほとんどの友人はクリスチャンです。未信者に証をしたくても、向こうもこっちも新鮮味がありません。伝えても、あんまりインパクトがないのです。しかし、新しく信じたばかりの人は、伝道はできなくても証ができます。だから、教会は新しく信じた人たちに、福音を語って友だちを連れてくるように励ます必要があります。クリスチャンとして、多少の欠けがあっても良いのです。彼らには「自分は救われた」という喜びと熱心さがあります。それを証するように指導するのです。

聖書にサマリヤの女性が出てきます。彼女は人々から嫌われていました。なぜなら、5人の男性と結婚してもうまくいかず、今、6人目の男性と同棲しているような女性だからです。しかし、彼女は、自分のことを言い当てたばかりか、命の水を与えるメシアに出会ったのです。彼女は水がめをそこに置いて、サマリヤの町へ行きました。人々に「来て見てください。私のしたこと全部を言い当てた人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか?」と伝えました。するとどうなったでしょう。その町のサマリヤ人のうち多くの者が、その女性の証言によってイエス様を信じたと書いてあります。彼女は非常に単純に、イエス様が自分にしたことを伝えたに過ぎません。それで良いのです。牧師になると、こういうところで説教はできます。しかし、未信者の友人がほとんどいないので、証をすることがほとんどできません。もちろん、未信者の友人を作るように努力しなければなりません。でも、一番すばらしいのは、信じたばかりの人が、今、関係を持っている家族や友人に自分のことを証することです。イヤなことを言われたり、いろんな迫害も起こるかもしれません。そのとき、励まして、また送り出すのです。そうすると、必ず、何人か導かれます。ある人が言いました。樹木で伸びる所はどこか?一番、先端の部分です。若葉が出てくるところです。幹の部分はベテランの信仰者とか、役員さんたちです。弱々しい、先端の部分が延びるんです。新しく信じたばかりの人が伝道の要になるのです。私たちがその人たちを支えていくのです。

 救いの証は、3つのポイントで伝えると効果的です。救われる前はどうであったか?「こういうわけでひどかった」とか暗い部分を伝えます。でも、あんまり露骨に言ってはいけません。人を殴ったら「血がどばっと出た」とか、罪の生活を生々しく語っても逆効果です。「あなたみたいにヒドイ人だからイエス様が必要でしょう。私はそれほど悪くないので結構です」と言われます。ま、とにかく救われる前の状態です。第二はイエス様を信じるきっかけ、経緯であります。「どんなとき、だれを通して、イエス様と出会ったか」であります。ゴスペルに行ったとか、友人に誘われたとか、本を読んだとか何かあるはずです。ギデオンの聖書で教会に行く人もいれば、ラジオの放送で聖書と出会う人もいます。でも、一番、多いのは友人や家族から誘われることかもしれせん。そのときは、きっと「うざいなー」「しつこいなー」と思ったかもしれません。でも、どこかで「信じる」と決断したはずです。第三は信じたらどうなったかです。使用前、使用後のように、どこか必ず変化があるはずです。暗かったら明るくなった、迷っていたら真理を発見したとか、その人によって違います。でも、信じた喜びが必ずあるはずです。それを自分のことばで表現するのです。多少、ぎこちなくても構いません。上手すぎるとかえって疑われます。一番、大切なのは自分が信じてどうなったかです。説教する必要はありません。自分の証として、伝えれば良いのです。

 本日のまとめをします。信じたばかりの人に必要なものは4つあります。

1.即座のフォローアップです。immediate follow up

2.即座の弟子訓練、immediate discipleship

3.即座のセル、immediate joining the sell

4.即座の伝道、immediate evangelism

 「三つ子の魂、100までも」ということわざがあります。霊的に新しく生まれて、クリスチャンになったときもこれと同じです。このとき、「クリスチャンとはこういうものなんだ!」と教え込まれると、これから先、ずっとそのように生きるということです。ハレルヤ!

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