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2017年11月24日 (金)

天変地異 マタイ24:29-36 亀有教会牧師 鈴木靖尋 2017.11.26

 ある人たちは「聖書は崇高な道徳倫理について書かれている」と称賛するかもしれません。そして、「クリスチャンというのは正直で真面目な人たちだ」と言うでしょう。だから、ミッションスクールに入れたがる親御さんたちが多いのです。でも、聖書には、世の終わりが来ることとキリストが再び来られることが書かれています。そのことをミッションスクールでちゃんと教えているでしょうか?キリスト教は危険で非常識な宗教と思われているのではないでしょうか?

1.天変地異

 マタイ2429「だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。」「これらの日の苦難」とは、反キリストによる迫害です。宗教が1つにまとめられ、獣を拝まない者は買うことも売ることもできなくなります。そういう中で信仰を守るというのは命がけであります。おそらく殉教さえも覚悟しなければならないでしょう。黙示録1412-13「神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」アーメン。殉教した人たちには、白い衣が与えられ、直通で小羊の婚宴の席に招かれるでしょう。私たちはその前に天に引き上げられていることを願いますが、どうなんでしょうか?「教会は大患難を受けないんだ」という神学がありますが、あまり楽観的に捉えない方が良いと思います。なぜなら、イエス様は「いつの日なのか分からないので、目をさましていなさい」(マタイ2442とおっしゃっているからです。私たちはこの地上の生活がいつまでも続くと考えてはいけません。世の中の地質学者や天体物理学者が何と言おうと「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません」とイエス様がおっしゃったからです。

 世の終わりの順番ですが、患難の時代は7年間続きます。前半は比較的おだやかですが、後半は反キリストの現れと共に激しい苦難が起こります。苦難に続いてすぐに天変地異が起こるのです。イエス様は「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます」とおっしゃいました。ヨハネ黙示録と突き合わせるとどうなるのでしょうか?黙示録8章には7つのラッパ」について記されていますが、ラッパを吹く度に、地上にいろんな災害がもたらされます。ヨハネ黙示録811「大きな星が天から落ちて来て、川の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ」。ある人たちは、これは核爆発ではないかと解釈します。「苦よもぎ」はロシア語で「チェルノブイリ」と言いますが、放射能による川の汚染が今も続いているようです。今日の箇所と同じようなみことばが黙示録812に記されています。「第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。」しかし、時間的には、反キリストがその正体を現す前であります。マタイのみことばは、キリストが再臨される直前のように書かれています。さらに調べていくと、黙示録15章から17章には「最後の7つの災害」と書いてあります。これらは、反キリストと獣の刻印を受けている人たちに対する災害です。海や川の生き物が死に絶え、太陽の火で人々が焼かれます。獣の国は暗くなり、大地震が起き、重さ35キロの雹が空から落ちてきます。ルカ福音書にはこのように書かれています。ルカ21:25-26「そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。」そのとき、この地上には、安全に住むべき場所がありません。これまで、何十本もの「世の終わり」に関する映画が作られましたが、それが現実となるということです。かなり前に『アルマゲドン』という映画を見ましたが、主人公はロケットで隕石の上に軟着陸し、それを破壊しました。しかし、隕石のかけらが地球に降って来て大災害が起こりました。昔、『幻魔大戦』という石ノ森章太郎の漫画を見たことがあります。最後は、月が血の色に染まっている絵でした。世の終わりは、SFの世界ではなく、そういうことが現実に起るということです。聖書は世の終わりについてはっきり預言しています。私たちの科学や常識では、全くついて行けません。クリスチャンというのは、個人の罪からの救いを得ているだけではありません。人生の終わりだけではなく、この世の終わりを乗り越えられるというのですから、ロマンの極みではないでしょうか?でも、ロマンではなく隠されていたことが露わにされる、黙示録の世界です。

ジョン・バニヤンが『天路歴程』をという本を書きました。基督者が一冊の書物を読んでいました。するとそこに「この都は天からの火で焼かれる。その恐ろしい破滅では、逃げ道が分からない限り、みじめな最後を遂げる」と書いてありました。この都が滅びると告げても、妻や子どもたちから「頭が狂った」と思われて相手にされませんでした。それで、彼ひとり「救われるためにはどうしたら良いか」と旅に出るのです。彼はいろんな試練を乗り越えて、天のエルサレムに到達します。そのジョン・バニヤンが『天路歴程』の続編も書いています。基督者の妻が、ある時、「救われるためにはどうしたらよかろう」という夫の叫びが耳に響いてきました。そして、息子たちに言いました。「私はお父さんに罪を犯しました。みんな一緒に行こうと言ったけど、私自身が行こうとしませんでした。その上、お前たちの命を得るのも妨げました」。それを聞くと息子たちは皆泣き出して、父の後に着いて行くと叫びました。妻は悔い改めて、4人の息子たちと旅立つのです。2つの本に共通しているのは、「世の滅びから救われるためにどうしたら良いか?」ということでした。しかし、彼らの旅を支えるものは、天のエルサレムにたどり着きたいという信仰と憧れでした。確かに聖書は「世の終わりが来る」と告げています。でも、それ以上に、「自分がどこから来て、どこへ行くのか」、救いへの道が知りたいのではないでしょうか?イエス・キリストこそが、道であり、真理であり、いのちなのです。

2.キリストの再臨

 マタイ2430「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」マタイによる福音書は、短いけれどもキリストの再臨について語っています。「キリストが患難時代の終わりに現れる」というのはどの神学者も一致しています。「再臨」とは「再び臨む」と書きますが、初臨はキリストが肉体をとってこられたクリスマスです。キリストは「平和の君」として地上に来られ、最後に十字架にかかって贖いのわざを成し遂げられました。そして、3日目に復活し、40日間、地上におられた後、天に昇られました。そのとき、天使が弟子たちにこう告げました。使徒111「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」パウロもそうですが、初代教会の人たちは、「イエス様はすぐ戻って来る」と期待していました。パウロなどは、「時が縮まっているので、結婚しないで、そのままでいるのが良い」(Ⅰコリント726-29と勧めています。ところが、すぐに来ませんでした復活の目撃者たちも、死んで天に帰っていきました。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか」(Ⅱペテロ34と言う人たちも出て来ました。後の人のため、文書に残す必要があります。イエス様が天にお帰りになってから、25年後に3つの福音書、パウロや使徒たちの書簡、最後にヨハネ福音書と黙示録が書かれました。それらが、今日、私たちが持っている新約聖書です。あれから約2,000年たちました。イエス様は「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰がみられるでしょうか」(ルカ188と語ったことがあります。

 キリストが世の終わり、それも患難時代の終わりに来られます。キリストが世の終わり来られますが、教会ではいろんな表現を用いています。現れ、顕現、啓示、来臨、その日、イエス・キリストの日、主イエスの日、主の日、そして再臨です。再臨は英語でsecond comingと言いますが、今日ではこの表現が最も多く用いられています。キリストが再臨されるとき何が起こるのでしょうか?また、何の目的でキリストが再臨されるのでしょうか?このことを話し出したら、時間が足りません。でも、2つだけ取り上げたいと思います。第一は選ばれた者たちが集められます。マタイ24:31「人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」そのときキリストにあって死んだ者はよみがえり、主のみものとに引き上げられるでしょう。パウロは「死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです」(Ⅰコリント1552と書いています。第二は反キリストと不信仰な者たちを滅ぼすためです。黙示録1911「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、『忠実また真実』と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる」。黙示録1915「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。」おそらく、選民を集めるのが先で、その後、反キリストと獣を拝んでキリストを信じない者がさばかれるのではないかと思います。不信仰な者たちは、「何故、キリストが来たんだ」と嘆くのであります。マタイ2430「すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」私たちは「主よ、来てください」(黙示録2217と喜んで待つ者となりたいと思います。

 昭和のはじめ、中田重治監督のもとで、ホーリネスの教会にリバイバルが起きました。ところが、再臨信仰がものすごく加熱し、イスラエルの救いのために祈るようになりました。来る日も来る日も、教会で熱く祈り、大声で賛美して、主が来られるのを待っていました。ある人たちは、白い衣を着て屋根に上って旗を振りました。ところが来ませんでした。そのため、ホーリネス系の教会は3つもしくは4つに分裂しました。ホーリネス系の教会には信仰の特色が4つありました。「新生、聖化、神癒、再臨」です。新生はキリストを信じて新たに生まれることであり、回心の経験を強調しました。聖化は罪から離れ、聖い生活をすることです。神癒は癒しですが、あまり強調しなくなりました。そして、再臨はもっと強調しなくなりました。なぜなら、一度、しくじったからです。頭では再臨信仰は大切だと思っていますが、二の足を踏むと言いましょうか、弱くなりました。聖教団の小笠原牧師は「自分たちの団体は中田重治監督の直系です」と自負しており、再臨信仰とイスラエルの救いを強調しています。現在、中川健一先生が、この2つを強調するセミナーを独自で開いています。9月の半ば、真っ赤な夕焼けを見ました。ちょうど、生協に買い物に行く途中でしたが、涙がどっと出て来ました。思わず「夕べ雲やくる」という聖歌を口ずさんでいました。「夕べ雲やくる空を見れば、主のきたりたもう日のしのばる。ああ、神の前に我いそしまん。わざやむる時のまぢかきいま。」

 初代教会はなぜ力があったのでしょうか?それはイエス様の十字架と復活を目撃した人たちがまだたくさんいたからです。もう1つは、イエス様がまもなく戻って来られるという再臨信仰があったからでした。ところが、20年たち、30年たって目撃した人たちが、だんだん召されてしまいました。そして、すぐ来ると言われていたイエス様も来ません。「どうしたんだろう?」という疑いも出て来ました。教会の歴史をたどりますと、「世の終わりが来た」という急進的な信仰者が度々現れました。カルト的な教会は「世の終わり」を過度に強調します。恐れによって人を支配しようとします。不信者たちにとって世の終わりにキリストが来ることは、良い知らせではありません。ノストラダムスが「空から恐怖の大王が来る」と預言しましたが、彼にとっては恐ろしい存在でした。しかし、私たちはそうではありません。花嫁なる教会は、花婿なるイエス様を心待ちにしている存在です。ヨハネ黙示録の最後を見ると分かりますが、御霊と花嫁が「来てください」を主に呼びかけています。私たちは主が再び来られることを、喜びと期待と憧れをもって待つ存在でありたいと思います。

3.再臨の兆候

 マタイ2432-36「いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」世の終わりの前兆については、すでにお話ししました。しかし、マタイはもう一度、キリストの再臨がいつなのか述べています。いちじくは、昔からイスラエルを象徴する木です。イエス様は「枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります」と言われました。これはたとえなので、歴史的な事柄にあてはめる必要があります。終末論を学ぶと、いちじくの木の枝が柔らかくなって芽が出るのは「あの時のことだ」と分かります。ご存じのとおり、西暦70年、ローマ軍によってエルサレムが攻撃を受け、神殿が跡形もなく破壊されました。何千人ものユダヤ人が殺され、残った人たちは国外へと逃亡しました。それ以来、ユダヤ人は世界中に散らばって、ユダヤ商法によってしぶとく生きています。『ベニスの商人』には、悪名高いユダヤ人の金貸しが出てきます。しかし、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって大迫害が起こりました。ユダヤ人は強制収容所に入れられ、約600万人が殺されました。「ホロコースト」というのは「焼かれたいけにえ」という意味のギリシャ語を語源とする言葉です。その時、教会は見て見ぬふりをしました。なぜなら、彼らがイエス様を十字架につけたとき「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかっても良い」(マタイ2725と言ったからです。

 しかし、1948514日、イスラエルが建国しました。そのいきさつはひとことでは言えませんが、ある資料から引用いたします。第二次大戦でのユダヤ人資金の協力及びそれまでのナチス始めとするヨーロッパでのユダヤ人虐殺の罪悪感により、連合国側は1947年に国連による決議でパレスチナ分割案(ユダヤ人に有利)を示しましたが、アラブ側はこれを拒否。1948年イスラエル建国宣言と同時に、アラブ各国のイスラエル侵攻による第一次中東戦争が勃発しました。終戦後にパレスチナはイスラエル、エジプトのガザ地区、ヨルダン(ヨルダン川西岸)の三者によって分割され、パレスチナ人の土地は一切無くなってしまいました、これがパレスチナ難民の発生原因です。195610月第二次中東戦争勃発、19675月第三次中東戦争勃発、197310月第四次中東戦争勃発…今も不安定であります。シオニズムというのがありますが、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教の文化の復興運動を興そうとするユダヤ人の近代的運動のことです。世界に散らばっていたユダ人がイスラエルに帰還しました。しかし、シオニズム運動はすべてのユダヤ人に歓迎されているわけではありません。ユダヤ人に共通しているのは、世の終わりメシヤが来てイスラエルを建て直すということです。私たちクリスチャンは、イエス・キリストというメシヤはすでに来たと信じています。しかし、彼らはキリストの初臨を認めないで、キリストの再臨だけを待っているのです。

 とにかく、イスラエルが1900年以来、建国したということは奇蹟であります。イエス様が「枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります」とおっしゃいました。夏というのは、キリストの再臨でありましょう。世の終わりの前兆については、前に学びましたが、もう1つはイスラエル情勢であります。今後、多くの国がイスラエルを囲み、混乱をきたすでしょう。しかし、一人の人物が立ち上がり平和をもたらします。エルサレムに神殿が建てられると、その人物は豹変し、自分こそ神であると言うでしょう。彼こそが「荒らす憎むべき者」であり、大患難が始まります。きびしい迫害と苦難の中で信仰を守るのは大変です。天変地異が起こり、キリストがやってくるのです。その第一の目的は、選びの民を四方から集めることです。第二は反キリストと不信仰の者たちを滅ぼすためです。旧約聖書で何度も「主の日」と預言されているのは、その日のことです。イエス様はいつ来られるのでしょう?マタイ2436「ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」これはイエス様が地上におられたときのことばでした。その時は、完全に父なる神さまにゆだねていました。しかし、現在、イエス様は神の右の座に座っておられます。つまり、その時がいつであるか知っておられるということです。父なる神さまとイエス様はちゃんとその日を決めておられます。その日が近づいたなら聖霊によって教えてくださるでしょう。

キリストの再臨に関して私たちはバランスが必要です。再臨信仰だけを強調すると、この世に対する使命がないがしろにされます。なぜなら、私たちは神の大使として、御国の福音を宣べ伝え、あらゆるところに神の国をもたらす使命があるからです。私たちは神の支配による祝福が、家庭、政治、経済、教育、医療、芸術、あらゆる所にもたらされるように遣われています。もし、この世がまもなく終わるならば、家を建て直したあとすぐ壊すような愚かな行為です。しかし、矛盾するようでありますが、イエス様は「この時代は過ぎ去る。この天地は滅び去ります」とはっきりおっしゃっています。神さまのタイムテーブルと私たちのタイムテーブルは必ずしも一致しません。ひょっとしたら、今晩もしくは明日にでも、イエス様が再臨なさるかもしれません。そういう意味で、この世の中で活動しつつ、霊的には目覚めていなければなりません。深酒をあおったり、遊興や好色にふけっていてはいけません。主の再臨は今晩かもしれないし、30年後かもしれません。でも、はっきり言っておきますが、100年ということはありません。なぜなら、世の終わりに関する多くのことが既に成就されているからです。主はまもなく来られます。でも、私たちは締りのある歩み方を続けたいと思います。もしこれを私たちの信仰にたとえるならどうでしょう?短期と長期の遠近両用のメガネが必要です。一方は、キリストはまもなく来られるという再臨信仰です。もう一方は、キリストの来臨は少々遅れるらしいので、この地に御国が来るように働きかけるということです。主が再び来られることを待ち望みつつ生活したいと思います。

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2017年11月17日 (金)

苦難のとき マタイ24:15-28 亀有教会牧師 鈴木靖尋 2017.11.19

 マタイ24章は世の終わりの出来事を預言している箇所です。「小黙示録」とも言われ、マルコ福音書13章、ルカ福音書21章にも記されています。私たちは世の終わりの時代に生きていますが、ある時を境に、大きな苦難がやってきます。しかし、いつからその時がスタートするのでしょう?それは「荒らす憎むべき者」が聖なるところに立った時からです。 

1.苦難のとき

 マタイ2421「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。」マルコ1319「その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。」キリスト教神学には「終末論」というテーマがあります。他の多くのテーマは、議論し尽くされてきましたが、この「終末論」だけは未解決です。聖書の預言は、過去に起きたようなことが、将来も再び起るというのが定説です。歴史を見ますと、ユダヤ人が神殿を再建した後、ギリシャによって支配されました。最初は平和でしたが、紀元前167年にアンティオコス・エピファネスがエルサレム神殿を汚しました。なんと、豚を捧げさせ、自分の像を置いて礼拝させようとしました。そのことがユダヤ人の反発を買い、独立戦争が100年間続きました。その後、ユダヤはローマに支配され、紀元70年にエルサレム神殿が破壊されてしまいました。その時に成就されたのが、14-18節の内容です。ヨセファスは、エルサレムが陥落したとき、飢えて死んだ人の死体が2,000以上あったと伝えています。イエス様は「屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません」と言われました。クリスチャンはイエスさまの預言を知っていたので、エルサレムから逃げました。マタイは14節で「読者はよく読み取るように」と言っていますが、同じようなことが、世の終わりにも起こることを示唆しています。

 では、「苦難のとき」とはいつなのでしょうか?「世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったようなひどい苦難の日」と言われています。これはまさしく、「世の終わりの患難の時代」と言うことができます。神さまはダニエルを通して苦難の長さが70週であると啓示しました。69週目でメシヤが断たれ(十字架に処せられ)、歴史が中断しました。なぜなら、教会の時代が割り込んできたからです。そして、残りの1週、つまり7年間が、ある時からスタートするということです。聖書学者たちは、最後の7年間を「患難時代」と呼んでいます。そして、後半の3年半が特にひどい苦難の時代であることから、「大患難時代」と呼んでいます。ヨハネの黙示録11章には「聖なる都が42か月の間踏みにじられる」と書かれています。また同じ黙示録13章には「獣に42か月活動する権威が与えられた」と書かれています。42か月というのは、3年半であります。後半は反キリストが猛威をふるい、迫害がひどくなり信仰を持つのが命がけになります。

 「このとき、クリスチャンはいるのか?」「教会も大患難を通過するのか?」という議論がキリスト教会にあります。20世紀にアメリカに福音派のリバイバルが起こり、患難前に教会が携挙されるということを主張しました。携挙というのは、キリストが来られたとき、信者が空中に携え上げられるということです。これは、マタイ2540節、41節に書かれています。また、Ⅰテサロニケ4章でもパウロが言及しています。でも、本当にクリスチャン全員が、大患難を経験しないで、天に引き上げられるのでしょうか?虫が良すぎるような感じがします。私はクリスチャンであっても再臨に備えていない人は残され、患難の中で信仰を保てるかテストされると思います。つまり、自動的に教会が天に携えあげられるのではないということです。携挙については、クリスマスが終わった後でお話しいたします。7年の患難の時は、選民イスラエル、ユダヤ人が救われる最後のチャンスです。そのため、144千人が祭司として特別に選ばれ、彼らが宣教活動をします(黙示録7章)。パウロは「イスラエルの一分がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる」(ローマ1125-26と言っています。この7年の患難、つまり最後の1週は、イスラエルの回復が目的であると確信します。だから、マタイは2422「もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです」と言っているのです。神さまは約束を守るお方であり、一度選んだ、イスラエルの民をお捨てにならないのです。

 では、「苦難の時」がいつから始まるのでしょうか?マタイ2415「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように)同じような事が、過去においてもありました。紀元前167年と紀元後70年に「荒らす憎むべき者」によって神殿が汚され、踏みにじられました。世の終わりにポイントとなるのが、エルサレムであり、その神殿です。現在、聖地に行きますと神殿の跡地にイスラム教徒の黄金のドームが立っています。神殿の壁だけが残されており、ユダヤ教徒たちはその壁に向かって一生懸命祈っています。やがて、ドームが壊され、神殿が再建されたならば、もう時間はありません。イスラエルが攻撃される最中、世界平和をもたらすような指導者が現れるでしょう。しかし、間もなく彼は「荒らす憎むべき者」に豹変するのです。彼が神殿に立ったならば、要注意であります。しかし、前半の3年半は比較的平和なので、一般の人々にはわかりません。今は、「ワン・ワールド、世界は1つになるべきだ」という考えが航空会社から生まれました。やがては「宗教も1つになるべきだ」という考えが起こるでしょう。まもなく、それは「世界統一政府」というワン・ワールドになるのです。その指導者こそが、反キリスト、「荒らす憎むべき者」なのです。私たちは世の終わりの終わりに住んでいる者であり、まもなく7年間の「患難時代」が来ることを覚悟しなければなりません。もちろん、私たちは世の光、地の塩として伝道と証の生活をすべきであります。しかし、同時に世の終わりがいつか来ることを知っておくことが重要です。

2.荒らす憎むべき者

 マタイ2415「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)」まず、旧約聖書のダニエル書を調べてみたいと思います。ダニエル927「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」ここで言われている「1週の間」というのは、7年間です。7年間は「患難時代」と一致しています。彼が現れたら、患難時代がスタートするということです。そして、半週、つまり3年半後にその正体を現すということです。さらに、ダニエル書11章には彼のことが詳しく述べられています。ダニエル1131「彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。」37-38「彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。」彼は傲慢な指導者であり、まことの神を否定し、別の神をあがめさせます。ヨハネ黙示録13章にはもっと詳しく書かれています。彼は「反キリスト」と呼ばれ、人々に
「獣」を無理やり拝ませます。そして、その獣を拝まない者をみな殺させると預言されています。

 使徒パウロもⅡテサロニケ2章で彼のことを言及しています。Ⅱテサロニケ23-4「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」パウロは彼のことを「不法の人、すなわち滅びの子」と呼んでいます。やはり、彼が出現することによって、患難時代がスタートすることが分かります。彼は神殿に座を設け、自分こそ神であると宣言します。しかし、神さまは彼の出現をちゃんと定めています。今は引き止める者がいますが、ある時になると急に現れます。Ⅱテサロニケ29「不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。」患難時代は、救われるための愛を受けなかった人にとっては災いです。なぜなら、サタンの働きがものすごく強くなり、偽りと惑わしに敗けてしまうからです。現在は、主の恵みと聖霊の働きによって、信じるのがとても楽なのです。でも、患難時代は、サタンによる偽りと惑わしの力があまりにも強いので、偽りの方を信じてしまうのです。

 高木啓太師が『これからの世界情勢と聖書の預言』という本を書きました。彼は「荒らす憎むべき者」を「世界総督」と呼んでいます。少し彼の本を引用させていただきます。預言によるとこの指導者は、患難時代の中ごろに、突然イスラエル政府および世界人民との平和条約を一方的に破棄し、自分こそ世界の総督であると宣言して、国々を支配下に入れる。ユダヤ教の礼拝をはじめ、世界のあらゆる宗教を禁止させ、エルサレム神殿に座を設けて、自分は神であると宣言する。そのときから彼は、「不法の人」としての本性を現し、その絶対的支配権を世界に拡張し、世界の総督になる。大患難時代には、全世界に厳しい経済統制がしかれ、世界総督に従わず、彼を礼拝しない者は、だれ一人として食糧を買うことができないような措置がとられる。右の手か額かに受ける刻印、おそらく目に見えない刻印が押される。世界総督が絶大な権力を手中に収める1つの手段は、世界の宗教を統合して、その宗教の力を利用することである。統合された宗教がヨハネ黙示録では「大淫婦」「大バビロン」と呼ばれています。やがて、キリストが天から現れ、ハルマゲドンの戦いが起こります。つまり、患難時代の最後にキリストが再臨するということです。

 私たちの教会では「ヨハネ黙示録」から礼拝のメッセージを取り次いでいません。そのため、世の終わりについて話すと、ちんぷんかんぷんの兄弟姉妹もいるかもしれません。あんまり極端な終末論は問題ですが、聖書によって時代を見分けることが重要です。いつまでも、この時代は続かないということです。次の時代が来る前、イエス様がおっしゃったような「生みの苦しみ」があるということです。いろんな宗教が世の終わりのことについて言います。聖書を知らないと、惑わされてしまいます。でも、患難時代に突入すると、反キリストが猛威を振るうので、信じるのが困難になるというのは事実です。日本は現在、「信教の自由」がうたわれていますが、いつまでも続かないということです。特に他の宗教に排他的なキリスト教信仰は迫害の的になるでしょう。日本は文化国なのに、世界で稀に見るほど、伝道が難しい国です。9月の秋祭りのときは、多くの人たちが神社の氏子になって参加します。子どもから大人まで神輿を担いて、練り歩きます。私は夜中に神輿を担ぐ掛け声が、まるで地獄からの悲鳴のように聞こえます。昔、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉がはやりました。しかし、地獄はそうではありません。滅びは何としてでも避けなければなりません。患難時代がやってくると、みんなが信じないばかりか、迫害が強いので、全く信じられなくなるのです。イエス様はヨハネ12章でこのようにおしゃいました。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」(ヨハネ1235,36)。

3.山へ逃げなさい

 マタイ2416-20「そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。」まず、ここで言われていることは、ユダヤに住んでいる人たちのための預言であるということです。このことは紀元70年にエルサレムが滅亡した時に成就しました。ローマ軍が聖なる都を囲んだとき、エルサレムにいたキリスト者がペレヤ地方に避難したそうです。しかし、イエス様が預言されたのは、エルサレム滅亡についてだけではありません。いのちのことば社の注解書にこのように書かれていました。「『荒らす憎むべき者』が聖なる所に立つような事態を見たなら、その聖なる所にしがみついていることはせず、さっさと逃げなさい。福音は全世界に宣べ伝えられているので、必ずほかにあかしする場所が備えられている」と書いてありました。「逃げる」というのが良いですね。「屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。」とあります。20113月に「東日本大震災」がありました。90%の人たちが、津波に巻き込まれたことによる水死であったそうです。「津波てんでんこ」という教えがあるそうです。これは「津波はあっという間にやってくるから、周囲の者をかまうよりも、各自てんでんばらばらに逃げなさい」という意味だそうです。マタイ24章のこの記事は、津波が来たときの際、守ったら良い内容だと思います。なぜなら、大事なものを取るため家に戻ったために命を失った人が多いからです。預金通帳も大事ですが、命よりも大事なものはありません。

 イエス様は「山へ逃げなさい」と言いましたが、山は最も良い隠れ場であったからでしょう。しかし、これを新約時代の私たちが「何かあったら山へ逃げるべきだ」と解釈するのは早計です。ただし、「命を粗末にしないで、逃げることも必要である」と適用することも可能です。「災害時の危機管理が必要である」とよく言われています。よくテレビに出てくる山村武彦さんという防災システムの研究所所長さんがいます。彼は「正常性バイアス」ということを言います。人間が予期しない事態に対峙したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働き(メカニズム)を指します。何か起こるたびに反応していると精神的に疲れてしまうので、人間にはそのようなストレスを回避するために自然と「脳」が働き、「心」の平安を守る作用が備わっています。これが働くと、「大丈夫だろう」「もう落ち着いだだろう」と迅速な避難行動が取れなくなるということです。東日本大震災では、「大地震の混乱もあり、すぐに避難できなかった。まさかここまで津波が来るとは」と思った人がたくさんいたそうです。非常事態の際に「正常性バイアス」に脳を支配されないよう、本当に危険なのか、何をしたらいいかを見極める判断力を養っておくべだということです。

 また、正常性バイアスに似た、「集団同調性バイアス」というのもあります。あるウェブでこのように解説されていました。人間の心理とは不思議なもので、想像が付かない出来事が目の前で起こると、「頭の中が空っぽ」になったり、「頭が混乱してしまい、何を第一にやれば良いのか?」判断できなくなるケースがあるようです。すると、周りにいる人と同じ行動をとってしまう心理が働くのです。2003年に韓国で地下鉄放火事件が発生しました。この事件で約200人の尊い人命が奪われてしまいました。公表された写真の中に、焼ける前の地下鉄内で乗客が出火後の状況を写した写真がありました。煙が充満しつつある車内に乗客(10人くらい)が座席で押し黙って座っているという不思議な写真でした。「なぜ逃げようとしないのだろうか?」これが、「集団同調性バイアス」です。マタイ2437-39「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。」本来なら、大洪水に備え、ノアの箱舟に非難すべきだったのです。

 デモス・シャカリアンという実業家の証を紹介します。彼の祖父はアルメニア人で、カラカラで生活していました。その地方に住む「エフィム」が11歳の時、幻を見ました。彼は読み書きができませんでしたが、7日間かかって、幻で見た文字の形や図を苦心して写しました。それを村で字の読める人のところへ持って来ました。この文盲の子どもがロシア文字で一連の教えや警告を書き上げていることがわかりました。将来カラカラのクリスチャンはみな、恐ろしい危険に出会うようになる、と少年は書いていました。その時には、幾千万の老若男女が虐殺されるので、その地方の人々はみな逃げ出さなければならないときが来ると警告されていました。少年は脱出するクリスチャンたちが行くべき所をはっきり示した地図を書きました。そこには黒海やカスピ海ではなく、大西洋の向こうアメリカの東海岸、ゴールの西海岸まで明確に記されていました。カラカラの多くの人々は、この少年の空想物語を笑って聞いていました。1900年代に入った頃、エフィムは50年前に書いた預言の言葉が成就するときが近づいていると発表しました。「アメリカに逃げなければならない。ここに残る者はみな滅ぼされるだろう」と言いました。エフィムとその家族、そしてペンテコステ派の家族たちは荷作りをし、ずっと昔からの先祖の財産を残しました。ところが、残留した人々はあざ笑いました。懐疑的で、不信仰な人々は(多くのクリスチャンたちも含めて)神は現代においても、現代の人々に詳細で、的確な指示を与えることを信じようとしなかったのです。しかし、その指示の正しいことが証明されました。1914年、想像を絶する恐怖の時期がアルメニアを襲ったのです。トルコ人は、なさけ容赦のない強引さで、住民の三分の二をメソポタミヤの砂漠に追い出す血なまぐさい仕事に取り掛かったのです。カラカラの全住民を含めて百万人以上もの老若男女が死の行進の最中で死んでいきました。他の50万人は自分たちの村で虐殺されました。預言者の警告を受け入れて、アメリカに非難した人々は、非常なショックをもってこの知らせを聞きました。聖書は世の終わり、反キリストによる苦難がやってくるとはっきり預言しています。どうぞ、みんなが信じないから、私も信じないという集団同調性バイアスにはまらないようにしましょう。イエス様は「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(マタイ713,14と言われました。

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2017年11月10日 (金)

ファリミー礼拝「新しくつくられる」Ⅱコリント5:17 亀有教会牧師鈴木靖尋 2017.11.12

 新しくつくられる 

「あれ、死んでいるのかな。全く動きません。」「美しいちょうになりました」全く別の姿に生まれ変わりました。これが「新しくつくられる」ということです。

「だれでも、キリストのうちにあるなら、その人は新しくつくら れたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてがあたしくなりました。 Ⅱコリント517

「新しくなった」とは、全く姿が変わったという意味です。

1.創造(そうぞう)

 神さまはことばによって、広い宇宙を創られました。 そして私たちが住んでいる地球も造られました。

 自然も

 山々、川、海 木々や植物も

 動物も

 昆虫、魚、鳥、そして、動物(哺乳類)おっぱいで育つ動物

人間も

白、黄色、黒、茶色…

肌の色はみな違いますが、みんな赤い血が流れています。

神さまによってくつられた。 しかし、人間は神のかたちにつくられた。手作りの作品である。

 ここに黒っぽい茶碗があります。なんと、500万円くらいします。私たちは神さまの手作りなのでひとり一人違います。大量生産でつくられた製品ではありません。

 あなたをつくったのは神さまで生んだのはお母さんである。

 これはお母さんの中の赤ちゃんです。 あなたもこういう時代がありました。今は、大きな口をたたいていますが…

それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立て

 られたからです。詩篇13913

「組み立てた」は英語の聖書ではknitted me together   編んだ(毛糸のように編んだ)細胞核のDNA…なんだか毛糸を編んだように見える。

 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わた
しはあなたを愛し

 ている。イザヤ434

 あなたは、高価なダイヤモンドのように価値があるのです。 道端に落ちていても、汚れていてもダイヤやダイヤです。

2.罪(つみ)

アダムとエバが罪を犯してから、すべての人に罪が入りました。 心が壊れたような状態です。神さまと人とも分かり合えない。 冷たくて霊的に死んだ状態です。

 互いに憎み争う…罪があるからです。

 友達どうし喧嘩をします親子で喧嘩をします。ぷんぷん。

 人間は神さまが分からない…罪があるからです。 ?

 キツネが神さま? いや、仏様? 本当の神さまが分からない。人間が作ったものを拝んでいる。

 自分が分からない…これも罪の結果 ?

 学校では、人間はサルからだんだん進化したと教える。 サルに似ている人がいますが、ご先祖がサルなんでしょうか?

 混乱…罪があるから。人間の本当の価値は何なのでしょう?

 「勉強のできる子、できない子」頭の良さで決めます。

 「行ないの良い子、悪い子」行いできめます。

 日本人はよくがんばりますが、自分の価値を上げるため?

3.まことの人・神

 イエス様は神さまですが、私たちと同じ人間として生まれました。なんと赤ちゃんからスタートしました。 完全な人間として成長しました。 イエス様はまことの神であり、まことの人でした。

 神さまをあらわした。

 イエス様はこの世に来られて、神さまをあらわしました。父なる神さまと親しく交わり、みこころを行いました。 「私は道であり、真理であり、命である」と言われました。

 神の国と義を教えました。

 イエス様は神の国がどういうものなのか教えました。また、神さまが求める正しさは何なのか教えました。イエス様の教えを聞いた人たちは、私も神の国に入りたいと思いました。

十字架のあがない

 人はそのままは神の国に入ることができません。罪があるからです。イエス様は私たちの罪を取り除くために、十字架にかかって死んで下さいました。それは罪の中にある私たちを買い戻すためでした。

  よみがえられた

 イエス様は死んで3日目に、墓からよみがえられました。イエス様がすべての罪を解決したという証拠です。イエス様は死と悪魔に勝利され、栄光の姿になられました。

4.救い(信じる)

 人はどうしたら罪赦され、救われるのでしょうか?十字架で死んで、よみがえられたイエス様を救い主として信じる必要があります。 信じるとはイエス様を心の中にお迎えすることです。

神の子になる

 イエス様を信じると、神の子どもになります。神さまが天のお父様になります。 地上のお父さんと天のお父さまがいます。地上の父母はあなたをずっと守ることはできません。父なる神さまはこれから先、永遠にあなたを守り、導いてくださいます。

新しく生まれる

肉体的にはお母さんから、霊的にもう一度生まれる。

新しく造りかえられる

芋虫から蝶に変身!

人生の回復

イエス様を信じると心が癒され、失っていたものが回復されます。以前は壊れたバイオリン、ゴミ箱に捨てられていました。神さまはあなたを見つけ出し、造りかえてくれました。名手によって握られて、美しい曲を奏でるようになりました。神さまはあなたの人生のために目的を持っておられます。

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2017年11月 3日 (金)

世の終わりの前兆 マタイ24:1-14 亀有教会牧師鈴木靖尋 2017.11.5

 聖書は「世の終りが来る」とはっきり預言しています。しかし、それは必ずしも人類の破局ということではありません。イエス・キリスト様が再び来られ、神の国が完成されるときでもあります。悪が一掃され、キリストのご支配がやってくるのです。ですから、世の終りの一連の出来事は、神の国が完成する産みの苦しみでもあります。世の終り、キリストが来られる時、どのような前兆があるのでしょう? 6つのポイントで学びたいと思います。

1.にせキリスト

 マタイ24:4-5 「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。」キリストとは、メシヤ、救い主という意味です。たとえ、そのように言わなくても、「私は神である」とか「神と等しい」と言うのも「にせキリスト」であります。釈迦やマホメット、教祖的存在もにせキリストです。現在、教祖的な人といえば、文鮮明の統一教会があります。今は「世界平和統一家庭連合」と名称を変えています。韓国よりも、聖書を知らない日本人の方がカモにされています。また、非常に反社会的なオウム真理教があり、今も存在しています。終末思想と超能力が入口になり、インテリ層も洗脳されました。大川隆法の「幸福の科学」があります。これは仏教とキリスト教徒と哲学の混合であり、金儲けのために造られた宗教です。世界大戦後、アメリカで生まれた新興宗教「エホバの証人」があります。日本でもご婦人方が訪問していますが、真面目な人ほど惑われやすいのです。いわゆる教祖はいませんが、ニューヨークの本部が「にせキリスト」になっています。キリスト教会でも、奇跡やしるしを行う場合、自分が神的な存在であると思う誘惑があるでしょう。目覚ましい奇跡を行なうベニー・ヒンはぎりぎりのところにいるかもしれません。サタンは「あなたがたが神のようになる」(創世記35と誘惑しました。私たちはたとえ大きなことを成し遂げたとしても、神さまのしもべであり、すべての栄光は主に帰すべきです。

 イエス様は「人に惑わされないように気をつけなさい」とおっしゃられました。偽モノが多くあるからと言って、本物がないという理由にはなりません。たとえば、ニセ札を例にとって考えたいと思います。千円札のニセ物ではコスト高になります。かといって、10万円札を造ってもすぐニセ物とバレてしまうでしょう。だから、偽札造り屋は1万円の偽札を造るのです。もし、世に偽1万円札が出回っているとしたら、人々は1万円札を使わないでしょうか。本物があることをちゃんと知っているので、1万円札を使います。同じように、この世にニセモノがあるから、宗教はみなおかしいと考えるのは早計です。キリスト教のニセ物が多いのは、本物にまねようとしているからではないでしょうか。銀行員はどのように偽札がわかるのでしょうか。彼らは偽札にどのようなものがあるのか研究しません。いつも、本物のお札を見て触っているので、偽札がすぐわかるそうです。私たちもいつも本物に触れていたら、だまされることはありません。

2.戦争と戦争のうわさ

 マタイ246-7「また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」。歴史は戦争の歴史ですが、これは世界をまきこむ世界大の戦争です。20世紀は第一、第二次世界大戦がありました。近年「核拡散防止条約は先進国の我がまま」ということで、インドやパキスタン、北朝鮮も核を持ちました。イスラエルは核を持っているのではないかと噂されています。国同士、核弾頭を世界の主要都市に狙いを定めセットされています。現在のものは広島の何百倍もの威力のある原爆で、そういうのが4つか5つ落ちたら地球が自体なくなるといわれています。そういう、第三次世界大戦がいつ起こるとも限りません。最近、北朝鮮のミサイルが日本海に何発も落ちています。いざという時のため、アメリカ軍の空母やイージス艦が何隻も備えています。まさしく、戦争のうわさに満ちています。

 また、7節には「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」と書かれています。これは単なる戦争ではなく、民族同士の紛争や戦争のことです。第二次世界大戦後、多くの国が独立して平和になったように思えました。ところが、国の中で民族どうしが争うようになりました。たとえば、黒海とカスピ海の間のカフカス地方、アルメニアとかアゼルバイジャンなどです。そして、旧ユーゴ、スラビヤなどの東ヨーロッパでも紛争がありました。東南アジアではカンボジアやミャンマーの内戦がありました。アフリカの場合、植民地時代は安定したように見えていました。しかし、独立した後、民族間の紛争が勃発しました。ケニア、ブルンジ、ルワンダなど部族同士の恐ろしい殺戮がありました。現在のアフリカは、私が小学校で習った地図よりも、はるかに多い国々があります。また、中東のパレスチナの紛争は、世の終りのハルマゲドンの舞台となると言われています。今、この時も世界中の10数か所で紛争が起こっています。  

      

だれしもが平和を望んではいますが、人間には罪があるので戦争をしてしまうのです。恒久的平和は、イエス様が再び来られて、この世を統べ治めるときです。イザヤ24「主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない」と書かれています。本当の平和は神の国の完成時にやってきます。それでは、今は無理なのでしょうか。私たちは何よりも先に、神との平和を持つことが必要です。その次に、隣人どうし愛し合うのです。社会や世の中を変える前に、まず、隣人、夫婦、家庭の平和から始めるべきです。そして変えられた人たちが、はじめて平和な社会を作ることができるのです。私たちクリスチャンは平和を作り出す者として召されています。

3.ききんと地震 

 

 マタイ247「方々にききんと地震が起こります」。ききんというのは、自然災害(干ばつ、津波、火山噴火)や、紛争などによって、突発的に起こる食糧不足のことです。ききんが長期間続くと飢餓状態になります。近年は、熱帯雨林の伐採や焼き畑によって砂漠化が進んでいます。化石燃料を燃やすので、CO2が多くなり地球温暖化が進み、海面温度が上昇しています。そのため世界のあちこちに異常気象が起こっています。あるところでは全く雨が降らず、また、あるところでは大洪水になっています。台風が発生する頻度やその大きさも桁外れです。日本は山地なので、九州沖縄、北海道まで安全なところがないくらいです。

世界ではききんがますます深刻化しています。さらに度重なる内戦が食料不足に追い討ちをかけています。国連WFPなどが発表した報告書によると、世界で約8億人もの人々が飢えに苦しんでいると言われています。これはすごい数字です。全世界の9人に1人が飢えているという計算になります。その中の約2億以上が5才未満の子供達だそうです。10数年前、カンボジアから渡辺宣教師が報告のため当教会を訪れたことがあります。日本は不景気と言われながら、とっても豊かな国です。日本人は1年に数百万人も海外に旅行しているようですが、東南アジアに行かれたら、人生観が変わるのではないかと思います。ゴミをあさっているストリートチルドレン、一杯のミルクをもらうために半日も並んでいる人たちがいます。当教会のCSでも参加していますがチャイルド・スポンサーがあります。毎月4,500 円を送れば、1人の子供が食べて学校に行けるそうです。また、キリスト教の国際飢餓対策機構もあります。ハンガーゼロを目指しています。今、アフリカのモザンビークで宣教しておられるヒンディ・ベイカーの本を読んでいます。世界で最も貧しい国であり、親から見捨てられた子どもたちが道路で倒れています。ベイカーご夫妻はあえて、極貧の国へ行って、ゼロから開拓しました。彼らにパンを与えるだけではなく、自分の子どもとして迎え、ハグして、自分がだれかを教えてあげました。瞬く間に6000の教会ができ、100万人が救われました。

世の終わりには、大きな地震がたくさん発生します。インターネットで『全世界のマグニチュード6以上の地震の発生数と推移』という記事を見ました。マグニチュード6以上の地震は、1890年から1960年にかけて、1年で1件以下のペースでした。ところが、1970年からは1年間で5件位になりました。ところが、2000年以降は突然、大きな地震が増加しました。1年間に35から45件発生しています。日本でも2011年、東日本大震災がありました。マグニチュード9で、日本周辺における観測史上最大の地震でありました。津波被害と原発事故のため、今も苦しんでいます。近々、関東や東海沖の地震もあるかもしれません。昔、葛飾区役所からお電話がありました。「大震災のとき、教会ではどのくらいの方を安置できるでしょうか。お寺さんにも同じような通知をしているのですが」という問い合わせがありました。その時は役員会で相談してからと申し上げ、後でお断りしました。「教会は亡くなった人よりも、生きている人を助けるようにすべきかなー」と考えたからです。

 今から35数年前、韓国の申賢均牧師が幻を見たそうです。ある日の早天祈祷会の後、体を伸ばしてウトウトしていました。すると、目の前に高層ビルが見えました。突然、ビルに亀裂が入り、「ガラガラ、ドスーン」とものすごい地響きで崩れたそうです。申賢均先生は、ガバット跳ね起き「主よ、これは何ごとですか」とお聞きしました。すると、主が「これは日本の東京だ。日本が悔い改めなければこのようになる」とおっしゃったそうです。それから、申先生は毎年に45回、リバイバルの火を付けるため日本に来られました。聖会で何度もお会いしましたが「愛なる神は、あのニネベの町のように、さばきではなく、救いを与えようとしておられる。それでも、日本が偶像崇拝と淫乱の罪を悔い改めなければあのようになる」と、おっしゃっていました。申先生は既に、天にお帰りになられましたので、私がその遺志を継ぎたいと思っています。神様は地を揺り動かして、霊的なききんを与えようとしておられます。その時は、大勢の人々が教会にやって来るでしょう。そのため、ちゃんとした受け皿を教会は持たなければなりません。まさしく、産みの苦しみのはじまりが来ようとしています。

4.迫害、背教、にせ預言者

 リバイバルと迫害は密接な関係があります。現在、リバイバルが起こっている中国の地下教会やインドネシアにも迫害があります。トルコやパキスタンでは、自分がクリスチャンであると言うと危険です。アフリカの国々の教会もイスラムからの迫害があるようです。これから、日本にも本格的なリバイバルが来ることを信じます。その時に、聖書に書かれているような迫害も起こるでしょう。迫害で本当の信仰があるかどうか試され、救われる人も多いのですが、つまずく人や背教者も多く出てきます。ある人々は「神様はそれぞれの国の文化に、様々なかたちで現れたのだ。だから、どの宗教でも救われる。特定な宗教だけの救いを言うのは偏狭だ」と言うでしょう。しかしそれは間違っています。使徒4章でペテロが言いました。「イエス・キリスト以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」アーメンです。皆さんは、お薬屋さんに行って、風邪をひいているのに、水虫の薬を出されたら、あぶないと思うでしょう。罪にきく薬は新約と旧約に示されるイエス・キリストだけです。

 

11節「にせ預言者が多くの人々を惑わす」と書かれています。最後の大患難の時には「獣と反キリストとにせ預言者」が現れます。しかし、世の終わりにも数多く現れるということです。特に問題とされるのは、「世の終わり」についての預言です。これまでも、世の終わりが来ると何度も預言されていました。ノストラダムスの大預言というのがありました。しかし、最近は聖書がはっきり述べていないことを断定的に言うものがあります。あるブログには「バチカン、イエズス会、イルミナティ、ロスチャイルドなどの陰謀論は極端すぎる」と書いてありました。「世間の裏情報」にはまりすぎるのは「にせ預言者」の思う壺ではないかと思います。また、世界的に有名な伝道者や大教会の牧師を「にせ預言者」と詮索するのも反対です。それでも、私はマイクロ・チップ国民総ナンバー制には、反キリストが準備をしているのではないかと思います。ヨハネの黙示録の書き出しは「イエス・キリストの黙示」と書いてあります。世の終わりは、サタンや反キリストではなく、イエス・キリストが現れるということなのです。世の終わりの教会は、なまぬるいラオデキヤの教会になります。ラオデキヤの教会への勧めです。黙示録318「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」私たちは霊的に目覚め、にせ預言者に翻弄させられることがないようにすべきです。そのためには聖書の正しい解釈とキリストの御霊に導かれる必要があります。

5.不法がはびこる

 マタイ24:12-13「 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」世の終わりには「不法がはびこり、愛が冷える」と預言されています。一昔前までは、「罪とは人間は進歩の途上のことである。教育を施せば人間は罪を犯さなくなる」と言われていました。ところがどうでしょう。人間は教えられた知識を使って、もっと巧妙に罪を犯すようになったのです。昔は、「よしのぶちゃん誘拐事件」がものすごいショックでした。しかし、今は、殺人事件は日常茶飯事であり、「またか」と心が麻痺しています。まず、刑事もののドラマが良くないと思います。犯罪の仕方を教えています。また、最近のドラマでは一人ではなく、4,5人殺されています。若者たちは戦争のゲームにはまっています。彼らはバーチャルと現実の境目がなくなるのではないでしょうか?「愛は冷たくなり」とありますが、犯罪だけではありません。離婚率が高まり、崩壊している家庭が多くあります。親がいるのに、養護施設に入らざるを得ない子どもたちがいるとは何と悲しいことでしょう。

 パウロが世の終わりに人々がどのようになるか私たちに警告しています。Ⅱテモテ31-5「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。」聖書は「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と命じています。終わりの時代は「こういう人々を避けなさい」と言われています。神の武具で身をまとい、御霊の知恵をいただきながら、人を愛することが必要でしょう。

6.福音宣教

マタイ24:14「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」奥山実先生もおっしゃっていましたが、これこそ、再臨の最も画期的なしるしです。この意味は、世界のすべての人が信じたらキリストが来るというのではなく、「世界のすべての人が福音を聞いたら」であります。福音はエルサレムから始まり、ヨーロッパ全土に広がりました。やがて海を渡りアメリカ大陸に伝わりました。そして、20世紀はアジア、アフリカの時代です。韓国、インドネシア、中国がリバイバルされました。アフリカでもウガンダ、タンザニア、ザイール、ナイジェリア、南アフリカなど大半がクリスチャンだそうです。でも、イスラム教徒からの迫害もあります。ラインハルト・ボンケ宣教師が、アフリカの各地で伝道しました。1回の集会に多いとき50万人も集まったときがありました。彼は年間800 万人の人々にメッセージを語り、200 万人の人々が救いを受けたそうです。現在、Cfanという団体が、宣教活動を受け継いでいますが、2015年で7500万人以上の魂が救われたそうです。残されているのは、イラン、イラク、トルコ、サウジアラビアなどのイスラム圏です。そして、最後にはユダヤ人に戻るのです。最近はユダヤ教徒からクリスチャンになる人がだんだん起こされています。福音は地球をまもなく1周することでしょう。聖書もすべての国民部族が読めるように、1千以上の民族の言葉に翻訳されています。また、ラジオ、テレビ、衛生放送で、世界のどの場所にも福音が伝えられるようになりました。つまり、福音が全世界に宣べ伝えられつつあるのです。そして、終りがきます。

こう考えますと、日本の教会、クリスチャンというのは、やはり島国的な信仰だなーと思います。目先の自分の所のことしか考えていません。世界のことより、自分の教会が少しでも成長しないかなーと思っています。青年たちは、時々、短期宣教に行きます。インドやフィリッピンなどで、伝道すると不思議なくらいに多くの人が救われるそうです。青年たちは本当に変えられて帰ってくるそうです。伝道は簡単だと思うわけでしょう。日本の電化製品はあらゆるところまで行っています。日本人が宣教に出かけたら、現地の人は「優秀な日本人がわざわざやってきた」と歓迎するようです。日本の教会は黙示録のラオデキヤのように、なまぬるいかもしれません。やはり、世の終りが来るという、再臨信仰がボンヤリすると、信仰もボンヤリしてしまいます。ただいま、6つのポイントで申しあげましたが、イエス様は世の終りの前兆を示しながら、いくつかの注意点を与えておられます。第一は「人に惑わされないように」です。偽キリストや戦争のうわさに気をつけて慌てないようにするということです。ききんや地震があっても、それらは「産みの苦しみのはじめなんだ」というのです。今は聖書の他にたくさんの本が世の終りのことを書いています。どうぞ、だまされないようにしましょう。聖書が言う「希望の終末論」を持ちましょう。第二は「最後まで耐え忍ぶ者は救われます」と書かれています。これは、大勢の人がつまずいても、迫害が起こっても、信仰を捨てないということです。キリストは花婿であり、教会はキリストの花嫁です。神さまのみこころは、世の中がどうであっても、花嫁がきよく美しい状態になるということです。私たちは、キリストを待つ花嫁なる教会です。

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