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2017年11月17日 (金)

苦難のとき マタイ24:15-28 亀有教会牧師 鈴木靖尋 2017.11.19

 マタイ24章は世の終わりの出来事を預言している箇所です。「小黙示録」とも言われ、マルコ福音書13章、ルカ福音書21章にも記されています。私たちは世の終わりの時代に生きていますが、ある時を境に、大きな苦難がやってきます。しかし、いつからその時がスタートするのでしょう?それは「荒らす憎むべき者」が聖なるところに立った時からです。 

1.苦難のとき

 マタイ2421「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。」マルコ1319「その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。」キリスト教神学には「終末論」というテーマがあります。他の多くのテーマは、議論し尽くされてきましたが、この「終末論」だけは未解決です。聖書の預言は、過去に起きたようなことが、将来も再び起るというのが定説です。歴史を見ますと、ユダヤ人が神殿を再建した後、ギリシャによって支配されました。最初は平和でしたが、紀元前167年にアンティオコス・エピファネスがエルサレム神殿を汚しました。なんと、豚を捧げさせ、自分の像を置いて礼拝させようとしました。そのことがユダヤ人の反発を買い、独立戦争が100年間続きました。その後、ユダヤはローマに支配され、紀元70年にエルサレム神殿が破壊されてしまいました。その時に成就されたのが、14-18節の内容です。ヨセファスは、エルサレムが陥落したとき、飢えて死んだ人の死体が2,000以上あったと伝えています。イエス様は「屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません」と言われました。クリスチャンはイエスさまの預言を知っていたので、エルサレムから逃げました。マタイは14節で「読者はよく読み取るように」と言っていますが、同じようなことが、世の終わりにも起こることを示唆しています。

 では、「苦難のとき」とはいつなのでしょうか?「世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったようなひどい苦難の日」と言われています。これはまさしく、「世の終わりの患難の時代」と言うことができます。神さまはダニエルを通して苦難の長さが70週であると啓示しました。69週目でメシヤが断たれ(十字架に処せられ)、歴史が中断しました。なぜなら、教会の時代が割り込んできたからです。そして、残りの1週、つまり7年間が、ある時からスタートするということです。聖書学者たちは、最後の7年間を「患難時代」と呼んでいます。そして、後半の3年半が特にひどい苦難の時代であることから、「大患難時代」と呼んでいます。ヨハネの黙示録11章には「聖なる都が42か月の間踏みにじられる」と書かれています。また同じ黙示録13章には「獣に42か月活動する権威が与えられた」と書かれています。42か月というのは、3年半であります。後半は反キリストが猛威をふるい、迫害がひどくなり信仰を持つのが命がけになります。

 「このとき、クリスチャンはいるのか?」「教会も大患難を通過するのか?」という議論がキリスト教会にあります。20世紀にアメリカに福音派のリバイバルが起こり、患難前に教会が携挙されるということを主張しました。携挙というのは、キリストが来られたとき、信者が空中に携え上げられるということです。これは、マタイ2540節、41節に書かれています。また、Ⅰテサロニケ4章でもパウロが言及しています。でも、本当にクリスチャン全員が、大患難を経験しないで、天に引き上げられるのでしょうか?虫が良すぎるような感じがします。私はクリスチャンであっても再臨に備えていない人は残され、患難の中で信仰を保てるかテストされると思います。つまり、自動的に教会が天に携えあげられるのではないということです。携挙については、クリスマスが終わった後でお話しいたします。7年の患難の時は、選民イスラエル、ユダヤ人が救われる最後のチャンスです。そのため、144千人が祭司として特別に選ばれ、彼らが宣教活動をします(黙示録7章)。パウロは「イスラエルの一分がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる」(ローマ1125-26と言っています。この7年の患難、つまり最後の1週は、イスラエルの回復が目的であると確信します。だから、マタイは2422「もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです」と言っているのです。神さまは約束を守るお方であり、一度選んだ、イスラエルの民をお捨てにならないのです。

 では、「苦難の時」がいつから始まるのでしょうか?マタイ2415「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように)同じような事が、過去においてもありました。紀元前167年と紀元後70年に「荒らす憎むべき者」によって神殿が汚され、踏みにじられました。世の終わりにポイントとなるのが、エルサレムであり、その神殿です。現在、聖地に行きますと神殿の跡地にイスラム教徒の黄金のドームが立っています。神殿の壁だけが残されており、ユダヤ教徒たちはその壁に向かって一生懸命祈っています。やがて、ドームが壊され、神殿が再建されたならば、もう時間はありません。イスラエルが攻撃される最中、世界平和をもたらすような指導者が現れるでしょう。しかし、間もなく彼は「荒らす憎むべき者」に豹変するのです。彼が神殿に立ったならば、要注意であります。しかし、前半の3年半は比較的平和なので、一般の人々にはわかりません。今は、「ワン・ワールド、世界は1つになるべきだ」という考えが航空会社から生まれました。やがては「宗教も1つになるべきだ」という考えが起こるでしょう。まもなく、それは「世界統一政府」というワン・ワールドになるのです。その指導者こそが、反キリスト、「荒らす憎むべき者」なのです。私たちは世の終わりの終わりに住んでいる者であり、まもなく7年間の「患難時代」が来ることを覚悟しなければなりません。もちろん、私たちは世の光、地の塩として伝道と証の生活をすべきであります。しかし、同時に世の終わりがいつか来ることを知っておくことが重要です。

2.荒らす憎むべき者

 マタイ2415「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)」まず、旧約聖書のダニエル書を調べてみたいと思います。ダニエル927「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」ここで言われている「1週の間」というのは、7年間です。7年間は「患難時代」と一致しています。彼が現れたら、患難時代がスタートするということです。そして、半週、つまり3年半後にその正体を現すということです。さらに、ダニエル書11章には彼のことが詳しく述べられています。ダニエル1131「彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。」37-38「彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。」彼は傲慢な指導者であり、まことの神を否定し、別の神をあがめさせます。ヨハネ黙示録13章にはもっと詳しく書かれています。彼は「反キリスト」と呼ばれ、人々に
「獣」を無理やり拝ませます。そして、その獣を拝まない者をみな殺させると預言されています。

 使徒パウロもⅡテサロニケ2章で彼のことを言及しています。Ⅱテサロニケ23-4「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」パウロは彼のことを「不法の人、すなわち滅びの子」と呼んでいます。やはり、彼が出現することによって、患難時代がスタートすることが分かります。彼は神殿に座を設け、自分こそ神であると宣言します。しかし、神さまは彼の出現をちゃんと定めています。今は引き止める者がいますが、ある時になると急に現れます。Ⅱテサロニケ29「不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。」患難時代は、救われるための愛を受けなかった人にとっては災いです。なぜなら、サタンの働きがものすごく強くなり、偽りと惑わしに敗けてしまうからです。現在は、主の恵みと聖霊の働きによって、信じるのがとても楽なのです。でも、患難時代は、サタンによる偽りと惑わしの力があまりにも強いので、偽りの方を信じてしまうのです。

 高木啓太師が『これからの世界情勢と聖書の預言』という本を書きました。彼は「荒らす憎むべき者」を「世界総督」と呼んでいます。少し彼の本を引用させていただきます。預言によるとこの指導者は、患難時代の中ごろに、突然イスラエル政府および世界人民との平和条約を一方的に破棄し、自分こそ世界の総督であると宣言して、国々を支配下に入れる。ユダヤ教の礼拝をはじめ、世界のあらゆる宗教を禁止させ、エルサレム神殿に座を設けて、自分は神であると宣言する。そのときから彼は、「不法の人」としての本性を現し、その絶対的支配権を世界に拡張し、世界の総督になる。大患難時代には、全世界に厳しい経済統制がしかれ、世界総督に従わず、彼を礼拝しない者は、だれ一人として食糧を買うことができないような措置がとられる。右の手か額かに受ける刻印、おそらく目に見えない刻印が押される。世界総督が絶大な権力を手中に収める1つの手段は、世界の宗教を統合して、その宗教の力を利用することである。統合された宗教がヨハネ黙示録では「大淫婦」「大バビロン」と呼ばれています。やがて、キリストが天から現れ、ハルマゲドンの戦いが起こります。つまり、患難時代の最後にキリストが再臨するということです。

 私たちの教会では「ヨハネ黙示録」から礼拝のメッセージを取り次いでいません。そのため、世の終わりについて話すと、ちんぷんかんぷんの兄弟姉妹もいるかもしれません。あんまり極端な終末論は問題ですが、聖書によって時代を見分けることが重要です。いつまでも、この時代は続かないということです。次の時代が来る前、イエス様がおっしゃったような「生みの苦しみ」があるということです。いろんな宗教が世の終わりのことについて言います。聖書を知らないと、惑わされてしまいます。でも、患難時代に突入すると、反キリストが猛威を振るうので、信じるのが困難になるというのは事実です。日本は現在、「信教の自由」がうたわれていますが、いつまでも続かないということです。特に他の宗教に排他的なキリスト教信仰は迫害の的になるでしょう。日本は文化国なのに、世界で稀に見るほど、伝道が難しい国です。9月の秋祭りのときは、多くの人たちが神社の氏子になって参加します。子どもから大人まで神輿を担いて、練り歩きます。私は夜中に神輿を担ぐ掛け声が、まるで地獄からの悲鳴のように聞こえます。昔、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉がはやりました。しかし、地獄はそうではありません。滅びは何としてでも避けなければなりません。患難時代がやってくると、みんなが信じないばかりか、迫害が強いので、全く信じられなくなるのです。イエス様はヨハネ12章でこのようにおしゃいました。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」(ヨハネ1235,36)。

3.山へ逃げなさい

 マタイ2416-20「そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。」まず、ここで言われていることは、ユダヤに住んでいる人たちのための預言であるということです。このことは紀元70年にエルサレムが滅亡した時に成就しました。ローマ軍が聖なる都を囲んだとき、エルサレムにいたキリスト者がペレヤ地方に避難したそうです。しかし、イエス様が預言されたのは、エルサレム滅亡についてだけではありません。いのちのことば社の注解書にこのように書かれていました。「『荒らす憎むべき者』が聖なる所に立つような事態を見たなら、その聖なる所にしがみついていることはせず、さっさと逃げなさい。福音は全世界に宣べ伝えられているので、必ずほかにあかしする場所が備えられている」と書いてありました。「逃げる」というのが良いですね。「屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。」とあります。20113月に「東日本大震災」がありました。90%の人たちが、津波に巻き込まれたことによる水死であったそうです。「津波てんでんこ」という教えがあるそうです。これは「津波はあっという間にやってくるから、周囲の者をかまうよりも、各自てんでんばらばらに逃げなさい」という意味だそうです。マタイ24章のこの記事は、津波が来たときの際、守ったら良い内容だと思います。なぜなら、大事なものを取るため家に戻ったために命を失った人が多いからです。預金通帳も大事ですが、命よりも大事なものはありません。

 イエス様は「山へ逃げなさい」と言いましたが、山は最も良い隠れ場であったからでしょう。しかし、これを新約時代の私たちが「何かあったら山へ逃げるべきだ」と解釈するのは早計です。ただし、「命を粗末にしないで、逃げることも必要である」と適用することも可能です。「災害時の危機管理が必要である」とよく言われています。よくテレビに出てくる山村武彦さんという防災システムの研究所所長さんがいます。彼は「正常性バイアス」ということを言います。人間が予期しない事態に対峙したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働き(メカニズム)を指します。何か起こるたびに反応していると精神的に疲れてしまうので、人間にはそのようなストレスを回避するために自然と「脳」が働き、「心」の平安を守る作用が備わっています。これが働くと、「大丈夫だろう」「もう落ち着いだだろう」と迅速な避難行動が取れなくなるということです。東日本大震災では、「大地震の混乱もあり、すぐに避難できなかった。まさかここまで津波が来るとは」と思った人がたくさんいたそうです。非常事態の際に「正常性バイアス」に脳を支配されないよう、本当に危険なのか、何をしたらいいかを見極める判断力を養っておくべだということです。

 また、正常性バイアスに似た、「集団同調性バイアス」というのもあります。あるウェブでこのように解説されていました。人間の心理とは不思議なもので、想像が付かない出来事が目の前で起こると、「頭の中が空っぽ」になったり、「頭が混乱してしまい、何を第一にやれば良いのか?」判断できなくなるケースがあるようです。すると、周りにいる人と同じ行動をとってしまう心理が働くのです。2003年に韓国で地下鉄放火事件が発生しました。この事件で約200人の尊い人命が奪われてしまいました。公表された写真の中に、焼ける前の地下鉄内で乗客が出火後の状況を写した写真がありました。煙が充満しつつある車内に乗客(10人くらい)が座席で押し黙って座っているという不思議な写真でした。「なぜ逃げようとしないのだろうか?」これが、「集団同調性バイアス」です。マタイ2437-39「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。」本来なら、大洪水に備え、ノアの箱舟に非難すべきだったのです。

 デモス・シャカリアンという実業家の証を紹介します。彼の祖父はアルメニア人で、カラカラで生活していました。その地方に住む「エフィム」が11歳の時、幻を見ました。彼は読み書きができませんでしたが、7日間かかって、幻で見た文字の形や図を苦心して写しました。それを村で字の読める人のところへ持って来ました。この文盲の子どもがロシア文字で一連の教えや警告を書き上げていることがわかりました。将来カラカラのクリスチャンはみな、恐ろしい危険に出会うようになる、と少年は書いていました。その時には、幾千万の老若男女が虐殺されるので、その地方の人々はみな逃げ出さなければならないときが来ると警告されていました。少年は脱出するクリスチャンたちが行くべき所をはっきり示した地図を書きました。そこには黒海やカスピ海ではなく、大西洋の向こうアメリカの東海岸、ゴールの西海岸まで明確に記されていました。カラカラの多くの人々は、この少年の空想物語を笑って聞いていました。1900年代に入った頃、エフィムは50年前に書いた預言の言葉が成就するときが近づいていると発表しました。「アメリカに逃げなければならない。ここに残る者はみな滅ぼされるだろう」と言いました。エフィムとその家族、そしてペンテコステ派の家族たちは荷作りをし、ずっと昔からの先祖の財産を残しました。ところが、残留した人々はあざ笑いました。懐疑的で、不信仰な人々は(多くのクリスチャンたちも含めて)神は現代においても、現代の人々に詳細で、的確な指示を与えることを信じようとしなかったのです。しかし、その指示の正しいことが証明されました。1914年、想像を絶する恐怖の時期がアルメニアを襲ったのです。トルコ人は、なさけ容赦のない強引さで、住民の三分の二をメソポタミヤの砂漠に追い出す血なまぐさい仕事に取り掛かったのです。カラカラの全住民を含めて百万人以上もの老若男女が死の行進の最中で死んでいきました。他の50万人は自分たちの村で虐殺されました。預言者の警告を受け入れて、アメリカに非難した人々は、非常なショックをもってこの知らせを聞きました。聖書は世の終わり、反キリストによる苦難がやってくるとはっきり預言しています。どうぞ、みんなが信じないから、私も信じないという集団同調性バイアスにはまらないようにしましょう。イエス様は「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(マタイ713,14と言われました。

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