« 麦と毒麦のたとえ マタイ13:24-30 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.11.27 | トップページ | ありえないこと ルカ1:5-13 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.12.11 »

2016年12月 2日 (金)

天国のふくらみ マタイ13:31-35 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.12.4

 マタイ13章には天国のたとえが記されています。今日は、その中の2つを学びたいと思います。天国はユダヤ人が用いた名称ですが、日本人は死んだ人が行くところだと誤解しています。私はあえて天国ではなく、神の国に置き換えて語らせていただきます。神の国は目に見えませんし、行ったこともありません。イエス様だけが神の国のことを良くご存じであります。なぜなら、向こうからやって来られた方だからです。重要なことは神の国はイエス様が来られた時から始まったということです。イエス様が地上に来られた頃は、神の国の領土もなく、国民もいませんでした。イエス様は地上に神の国がどのように来たのかたとえを持って語られました。

1.からし種のたとえ

 マタイ1331-32イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」最初はからし種のたとえからです。ケシなどのように、からし種よりも小さい種は存在します。しかし、ユダヤでは、最も小さいものを形容するのに「からし種1粒のように小さい」という表現がありました。この、からし種を畑にまくと、高さが3メートルほどにもなり、まさしく鳥が宿るのです。その種は小さいのですが、見る見るうちに大きくなって、他の木を追い越してしまいます。つまり、種粒の小さい割には、成長発達の度合いが大きいのです。イエス様は神の国をからし種の成長にたとえました。最初はイエス様とその弟子たちだけで、吹けば飛ぶような小集団でした。イエス様は弟子たちにこのようにおっしゃいました。ルカ1232「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」神の国はイエス様がお集めになった12人からスタートしました。その後、70人になりました。さらに、使徒の働き1章を見るとわかりますが、二階座敷で120人の弟子たちが祈っていました。さらに、Ⅰコリント15章から、イエス様の復活を見た弟子たちは500人以上いたことがわかります。ペンテコステの日はペテロの説教によって3000人ほどが弟子に加えられました。その後、足のなえの人が歩く奇跡によって5000人なりました。ステパノのことで大迫害が起り、異邦人の教会がサマリヤ、アンテオケ、小アジア、ヨーロッパと広がっていきました。起源後313年にはキリスト教会はローマ国教となりました。現在、世界中にキリスト教会があり、総人口の33%がクリスチャンです。なんという広がりでしょう?世界人口が現在73億人だとすると、23億人になります。でも、2000年間、すでに天に召された人たちをも合わせると数千億に達しているのではないでしょうか?

 私たちはここで「めでたしめでたし」と言いたいところであります。しかし、「空の鳥」は複数形で書かれています。古くから聖書解釈者たちは「そこには悪い者も含まれている」と言います。彼らは「悪い者とはサタンの教えを報じている者たちである」と解釈しました。確かに起源313年にキリスト教はローマ国教となりましたが、その後の歴史は異端との戦いでした。中世の時代は聖書が封印されていたために、教会内に迷信がはびこっていました。1517年にルターによる宗教改革がなされ、教会は聖書に立ち返りました。しかしそれでも、教会が健康に成長していったかというとそうではありません。この世と妥協したり、聖書に反した神学が起りました。あながち、聖書解釈者たちが誤っているとは思えません。そうなると、さきほどの23億人とか数千億というのは、水増しした数字になってしまいます。しかし、たとえの解釈の原則は、中心的な教えは1つだということです。このところで「からし種」が何だとか、「鳥」が何だとか解釈してはいけません。イエス様が教えたかったことは、神の国が外的発展を遂げるということです。JB.フリップスはこのたとえをThe kingdoms power of growth、王国の成長の力と題しています。そして、パン種のたとえはwidespread influence、王国の影響力の拡大と題しています。からし種は、1ミリで重さが1ミリグラムです。イスラエルのガリラヤ湖畔の種は成長すると3メートルに達するということです。これほど大きく成長すると野菜というよりは、木のように見えるでしょう。空の鳥が宿ると言ってもオーバーでありません。イエス様がおひとりで、この地上に来られました。神の国を作るために、まず12人を集めました。その頃はローマが世界を支配していました。彼らのほとんどはガリラヤの漁師たちです。教育も権力もありませんでした。そんなからし種のような群れが、やがてはヨーロッパ世界を支配するのです。パウロがギリシャで捕えられたとき敵たちはこう言いました。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます」(使徒176)。口語訳は「天下をかき回してきたこの人たち」と訳しています。この世の人たちからみたら、キリストの弟子たちは厄介者だったということです。極端に言いますと、神の国は、イエス様以前はなかったのです。なぜなら、アダムが罪を犯したために、失楽園、エデンから追い出されました。そして、この世は悪魔の支配下になりました(Ⅰヨハネ519)。ところが、イエス様が神の国を引っ下げて、この世に来られたのです。そして、本来、神の救いから漏れている異邦人である、私たちのところに招待状が来たのです。何とありがたいことでしょう。

 私は199710月にこの箇所から説教しています。今から約20年前です。その原稿を少し引用させていただきます。神の国の枝は日本にまで届き、その枝の中に宿ったのが私たちクリスチャンです。日本のクリスチャンは人数こそ少ないですが、日本にも救いが及んでいることを感謝したいと思います。教会の事務室や牧師室は道路に面していますので、窓が開いている時は、道を通る人々の話し声が聞こえてきます。今年の4月頃、入学したばかりの高校生が「あれ、どうしてこんな所に教会があるんだ!」と言っていました。あっちゃいけないというニュアンスでした。また、数日前、2人の女の子が自転車で教会の前を通りました。「ね、ね、教会に行ったことある?」「だって、お母さんが行っちゃいけないと言うから」。お母さんは何か他の宗教をやっているのだろうか?それともキリスト教に対して偏見をもっておられるのか?このように、日本という国では、キリスト教はよそ者、異質なように見えているのかもしれません。からし種のようにクリスチャン人口も微々たるものです。亀有駅前の公共の地図には神社やお寺がちゃんと表示されているのに教会の表示はありません。日本ではキリスト教が異質なものでもあっても、救われている人がいます。数は少ないけど神の国に属している人々がいるということに感謝すべきだと思います。やがて、日本も福音の種が爆発的に成長し、多くの人々を宿す日が来ます。今は数が少ないですが、希望を捨ててはいけません。あっと驚くべき成長発展が来ることを信じましょう。アーメン。20年も前から、同じようなことを言っています。私は今もなお、圧倒的に成長するとき、つまりリバイバルの時が来ると信じています。

 先日、『神が日本に残した指紋』というDVDを見ました。そのDVDによると、日本は古くから創造主を礼拝していたということです。青森県に三枚丸山遺跡がありますが、縄文時代中期に造られた丸太の塔です。塔の建造はだんだん南下して行き、弥生時代には九州の吉野ケ里にも塔が作られました。その塔は明らかに礼拝するものでありました。また、日本で一番古い神社は出雲にあります。中央に「天之御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)と両脇の霊なる神、三神が祭られています。この三神による創造物語は古事記に書かれています。平田篤胤(あつたね)は、禁書であったキリスト教関係の書籍を読み、万物の創造神という観念を持ったそうです。創世記1章に「はじめに神(エロヒム)は天と地を創造した」とありますが、聖書の神は複数形になっています。また、京都の神社仏閣から、たくさんの聖書的なものが発見できます。これは朝鮮から渡って来た秦氏の指導であったと考えられます。さらに1549年、フランシスコ・ザビエルが日本に来て宣教を開始しました。その時、ザビエルは伝道師に「茶道によって伝道するように」と言いました。千利休が茶道をきわめ、彼の5人の弟子はキリシタンになりました。迫害が増してくると、茶室で聖餐式をしたそうです。そして、多くのお寺がキリシタンをかくまってくれたそうです。キリシタンは灯篭や仏像の下に十字架のキリストを隠しながら礼拝をしました。このビデオの結論は、神さまが日本人と日本人の文化を愛していることでした。外国から来た宣教師が、自分たちの文化が優れているかのように、日本人の文化を軽んじたことをお詫びしていました。 

 私は現在、救われているクリスチャンの数しか見てきませんでした。でも、極東の日本にも創造主なる神への信仰心があったということは確かです。旧約聖書のキリスト教は、仏教や神社のお祭りにも入っています。だからと言って、日本人が救われているかというとそうではありません。いくらイスラエルの散らされた部族が入っていると言っても、イエス様を救い主をして信じなければなりません。なぜなら、イエス様が神の国を持ってきたのであり、イエス様を信じなければ神の国に入ることはできないからです。でも、日本人も神さまが創造した人種です。そして、縄文時代、弥生時代、大和、江戸時代、小さかったかもしれませんが福音の種はまかれていたということです。日本は確かに福音が育たない、砂漠のような不毛の国かもしれません。科学者は、もし砂漠に灌漑をとおして水を引くなら、草木が繁茂すると言っています。たまに砂漠に雨が降る時がありますが、そのときは、一斉に芽がでるそうです。日本にもからし種がまかれ、地中に埋もれています。やがて大雨が降るなら、日本からも大勢救われる人が起こると信じます。

2.パン種のたとえ

もう一つのたとえは、パン種のたとえです。からし種が外的進展を教えているなら、パン種は内的進展を教えています。聖書でパン種すなわちイースト菌は、ものを腐敗させる偽善性をあらわすのが普通です。しかし、たとえの原則は、1つのものを表わすのに1つの比喩を用います。このたとえは、パン種の持つ発酵力、影響力をたとえていますので、悪い意味にとってはいけません。もう一度お読み致します。マタイ1333イエスは別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」「天国のふくらみ」という題だけ聞いても何か夢があるように思えませんか?イエス様が天国、神の国の最初のパン種でした。預言者イザヤは「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもしない」と言いました。そして主の弟子たちも、貧しく卑しく、無学のただ人でした。しかし、キリストが復活し、聖霊が降ってから弟子たちが世界中に出て行きました。権勢や能力によらず、聖霊によって、世の光、地の塩となって世の中に浸透していったのです。神の国のパン種はあまり目立ちませんでしたが、ひとりひとりの心の中に働き、ひとりひとりを変えていき、神の国の住人にしていったのです。神の国は目には見えません。見えないからと言ってもないわけではありません。密かに静かに、何世紀もかかって救われる人を集めているのです。最初にヨーロッパとロシアが福音化されました。16世紀、ウィリアム・ケアリーが「インドに宣教に行く」と言い出しました。英国教会の人たちは「もう世界中の人たちは救われている」と言いました。彼らは「インド人は人間じゃない」と思っていたのです。スペインやポルトガルが南米に渡りました。しかし、奴隷売買と植民地支配が主な目的でした。多くの犠牲を経て、北米と南米の人たちもクリスチャンになりました。アジアそしてアフリカにも福音が宣べ伝えられました。キリスト教会は「ハム族である黒人は奴隷になるのが当然なんだ」と考えていました。しかし、神さまの計画はそうではありませんでした。色で分けるのは失礼ですが、白、黄色、茶色、黒人も救いたいと願っておられるということです。

からし種のたとえは外的な発展性をたとえています。これに比べ、パン種のたとえは内的な影響力をたとえています。JB.フリップスはwidespread influence「影響力の拡大」言っていました。Influenceは日本語のインフルエンザにもなっています。風邪のウィルスによって、何万人もの人たちが感染して、命を落とす人たちもいます。冬が近づくたびに、「〇〇型インフルエンザのワクチン」が必要だと騒がれます。神の国の福音も同じで、伝染性があるということです。これにかかったなら、一ころにクリスチャンになるということです。アメリカのビルハイベルスは『感染力の強いクリスチャンになる』という本を書いています。先生が、ある講演で語られたひとことです。「伝道というと、義務とか教会を大きくするためというイメージがあるようだけど、それは間違いだよ。それに、構える必要なんてない。だって、人がクリスチャンになるのは、聖霊の働きだからね。イエスが人々を愛されたように僕たちも人々を愛し、聖霊が語れと言えば語り、静まれと言われれば静まり、相手の話を聞けと言えば聞く。そして、次のステップは何かを聖霊に聞きながら歩んでいけば、いつの間にか伝道になっているんじゃないかな。」彼が言うには、聖霊に導かれれば可能だということです。使徒18「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」まさしく、聖霊によって感化された人たちが、世界を内側から変えていったのです。ですから、あまり頭で考え過ぎると、恐れがやってきて感化力が落ちてしまうということでしょう。香港のベン・ウォン師は救われた当初は一生懸命伝道し、多くの人たちが信仰へと導かれたそうです。すると教会は、「牧師になるなら神学校に行かなければならない」と言ったそうです。奥さんも後から神学校に行ったそうです。何が変わったのでしょう?知識が増えたと同時に、恐れもやってきました。ベン・ウォン師も奥さんも全く伝道ができなくなったそうです。言い換えると、感染力が全くなくなったということです。数年後、やっと福音を伝えることができるようになったそうです。そのため、ベン・ウォン師は神学校を痛烈に批判していました。神学校は悪いわけではありませんが、伝道力と神学は比例しないということです。聖霊による熱心さというのは、別もんだということでしょう。ある人は「伝道は頭ではなく、心だ」と言いました。また、奥山実師は「伝道は足だ」と言いました。なぜなら、ローマ1015「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう」と書いてあるだそうです。つまり、伝道は足しげく通うことなんだということです。

私は、パン作りはあまり経験がありません。かなり前に、パン焼き器を買ったことがあります。その時、1回だけ作りました。娘が何度かパンを作ってくれました。しかし、今、そのパン焼き器がどこにあるのかも分かりません。イエス様がおっしゃりたいことは、パン種の力です。ただイースト菌を入れて、こねて放っておくと自然にふくらむということです。同じように、伝道はあきらめてはいけません。あせらず、急がず、たゆまず行なうものだと思います。生活の中でジワ、ジワすべきであります。最後に、既に天に召された五藤ご夫妻について話させていただきます。五藤千代姉妹は60歳のときイエス様を信じてクリスチャンになりました。なんと、私が赴任した年のクリスマス・イブ礼拝に初めて来られた姉妹です。姉妹は英会話が好きで、英会話同好会もやりました。やがて、彼女の家で家庭集会も持たれ、近所の人やご主人が参加されました。ご主人は宗教について良くしっており「天国と極楽は二階でつながっている」と言っていました。ある日、突然、姉妹から電話があり亀有病院に駆けつけました。ご主人が温泉で湯あたりして倒れて、意識も食欲もなく、病院から「もうすぐ亡くなるかもしれません」と言われたそうです。数日後、「今、少し、意識が戻りました。先生、伝道してください」と電話がありました。駆けつけた私は「五藤さん、天国に行きたいですか?行きたかったら、イエス様を信じましょう」と言いました。すると「うん」と答えました。隣にいた五藤姉妹は「行きがけに答えたのよ、もう一度、聞いて」と言うので、もう一度伝えると、「うん」と答えました。その日の次、アメリカからクリスチャンのお嬢さんが帰って、五藤姉妹ともう一度、確認したそうです。病床の父、五藤さんに二人が福音をはじめからおさらいし、「信じる?」と聞いたそうです。すると、ウウウと首を横に振ったというのです。お嬢さんは、そのあとアメリカに戻られたのですが、私はそのニュースを聞いてガックリしました。「私がせっかく導いたのに、どうして蒸し返すようなことをするんだ。そんなことをするなら最後まで責任を取って、それからアメリカに帰るべきじゃないか」と憤慨しました。もう、私の心の中に恐れがやって来て、お見舞いに行くのも気が重くなりました。「はっきりと拒否されたらどうしよう、イヤダなー」と思いました。それでも、何回か病院を訪れ、お祈りして帰ってきました。だんだん意識もはっきりしてゴハンも食べられるようになり、私は「元気になりましたね」と声をかけるだけで、信仰のことにはひとことも触れませんでした。そして、「ただ、主よ、あなたが、どうぞ、夢でも見させて下さい」とお祈りしていました。

 ところが次の日の午後、五藤姉からお電話があって、私のお話しをもう一度聞きたいと言っているというのです。行ってみると、私のことを覚えておられ、「お元気になって良かったですね」言いました。すると、「元気になったとは何ですか?天国に行くと言ったじゃないか?」と半分笑いながらおっしゃいました。「いや、いや、天国とは死んでから行くもんじゃなくて、生きているうちに入るもんですよ」と色々話して、もう一度、信じますかとお聞きしますと、信じますとニコニコしながらうなずかれました。私もこの時とばかり洗礼も受けましょうと言うと承諾してくれました。山崎長老と同行し、亀有病院の病室で洗礼を授けました。話を聞くと、夢の中に私が出たり、イエス様が出たりしたそうです。五藤さんが半分意識のないとき、ウンウンとうなずいたのは、頭ではなく、もっと深い霊の世界で理解されたのではないかと思います。五藤姉妹からご主人は「宗教のことはよく知っていて、大変理屈っぽい」と聞いていました。もし、五藤さんが元気で何も問題がなければ、福音を跳ね返したかもしれません。しかし、私がまるで引導を渡すように、イエス様を信じなければ天国に行けないよと言ったことに、幼子のように単純になって信じたのだと思います。五藤兄弟はそれから元気になり退院しました。2年後に本当に天に召されました。福音は浸透します。祈りも浸透します。あきらめないで、いきましょう。

 きょうはからし種のたとえと、パン種のたとえから学びました。どちらもこの世的には力もないし、迫力もありません。しかし、からし種の成長力はどうでしょう?また、パン種の影響力はどうでしょうか?決して馬鹿にはできません。イエス様がこの地上に神の国を持ってこられました。最初は12弟子ではじまりましたが、今では世界中に広がっています。極東の日本に住む、私たちも福音に感化され、神の国に入ることができました。確かに日本人クリスチャンは少ないかもしれません。でも、極東の、しかも伝道が一番難しいと言われている日本にもクリスチャンがおり、教会があるのです。鉄や銅や結構採れます。ダイヤモンドはなかなか採れないので希少価値があるのです。文化国でクリスチャン人口が1%も満たないという稀な日本です。私たち日本人クリスチャンは神の目から見たら、ダイヤモンドのように価値があるのではないでしょうか?

|

« 麦と毒麦のたとえ マタイ13:24-30 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.11.27 | トップページ | ありえないこと ルカ1:5-13 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.12.11 »