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2016年10月21日 (金)

サタンの国と神の国 マタイ12:22-29 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.10.23

 ジョン・ウィンバーという人が『力の伝道』という本を書きました。その中の一節です。温暖前線と寒冷前線が衝突するとき、気象が乱れることを私たち知っています。雷が起こり、雨や雪が降り、竜巻やハリケーンが発生することもあります。二つの前線がぶつかるとき、そこに大きな力が解放されるのです。何が起こるか複雑で予測がつかず、コントロールすることは困難です。力の対決も、これとよく似ています。神の国がこの世の王国に侵入して直接にぶつかり合うとき、そこに激しい戦いが生まれます。 

1.サタンの国

 事の起りは、イエス様が悪霊につかれて目も見えず、口もきけない人を癒してあげたことでした。群衆は驚いて「この人はダビデの子なのだろうか?」と言いました。ところがパリサイ人たちは「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ」と言いました。後で彼らは「聖霊を冒瀆する罪は、永遠は赦されない」と言われました。そして、イエス様はとても興味深いことをおっしゃいました。マタイ1225-26イエスは彼らの思いを知ってこう言われた。「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません。もし、サタンがサタンを追い出していて仲間割れしたのだったら、どうしてその(彼の)国は立ち行くでしょう。」このところで、注目すべきことはサタンに国があるということです。国はギリシャ語で「バシレイア」でありますが、王権、支配、王国という意味です。神の国も「バシレイア」であり、神さまが支配している王国です。問題は、「サタンがどこを支配しているのか?」ということです。イエス様が公生涯に入る前に、サタンから誘惑を受けました。第二の誘惑の箇所です。ルカ45また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」何と、サタンは世界の国々のいっさいの権力と栄光が私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げることができると言いました。もし、それが嘘であるなら、イエス様は「馬鹿をコケ、神さまのものだ」と一蹴したでしょう。イエス様は「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてあると言っただけです。イエス様はこの世がサタンのものであるということに反論していません。

 本来は「国々のいっさいの権力と栄光は」神さまが人間に与えたものでした。ところが、人間が神に逆らって堕落したために、その権利をなくしてしまいました。その隙を狙って、サタンが横取りしたのです。そして、今や「この世の神」として私たち人間を支配しています。聖書はサタンの堕落について比喩的に記しています。1つはエゼキエル書28章です。彼は「全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった」と言われています。ところが「あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。そこで、私はあなたを地に投げ出し、王たちの前のみせものとした」(エゼキエル2817)とあります。もう一箇所はイザヤ14章です。「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか…あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き神のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。(イザヤ1412-15このところで言われている「神の星々」とは、天使のことではないかと思います。サタンはいと高き神のようになろうとして、堕落したのです。そのとき、天使の三分の一を引き連れたものと思われます。黙示録124「その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた」と書いてあるからです。サタンと一緒に堕落した天使が、悪霊になっているのです。サタンあるいは悪魔が、王国の王であり、その下にいろんな階級があるようです。神から離れた人間社会を聖書では「この世」と呼んでいます。そして聖書ではサタンを「この世の神」(Ⅱコリント44と呼んでいます。さらに、Ⅰヨハネ519「世全体は悪い者の支配下にあることを知っています。」こういうことを言うと、教会の中でも反論する人たちがいます。創世記1章を引用して、「神さまが人間に対して『この地を支配するように』言われました。だからこの世は私たちが支配しているのです」と言います。でも、本当でしょうか?人がエデンの園を追われてから、土地が呪われ、いばらとあざみを生ずるようになりました。堕落以降、罪と死とサタンが人間を支配するようになったのと考えるのが聖書的です。パウロはエペソ2章で「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた。…空中の権威を持つ支配者のもとで、霊に従って歩んできた」と言っています。私たちは「何から救われたのか?」「どこから救われたのか?」と言うことを知るのはとても重要です。

 使徒26章でパウロは救いというものがどういうことなのか説明しています。使徒26:18 「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」つまり、救いとは「暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせる」ことなんだということです。原文には「御国」ではなく、inheritance「相続」となっています。この世ではなく、神さまが新たに場所を下さるということでしょう。もっと分かり易いのが、コロサイ1章です。コロサイ113「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」私たちは救われる前は、暗やみの圧制、つまりサタンの支配下にありました。こんどは、神の御子の支配に移されたのです。イメージ的に言うと、一方にサタンの国があります。その中に私たちが囚われていました。キリストの福音を信じた時、神さまによって、御子の支配(神の国)に移されたのです。Delivered移されたのです。つまり、救われるとはサタンの支配から、神の御子の支配に移されるということなのです。クリスチャンは、この世にいながらも、神の支配(神の国)に住んでいるのです。言い換えると、私たちは死んでから御国(神の国)に入るのではなく、生きているうちに御国(神の国)に入るべきなのです。

2.サタンの国の侵略

 福音書にはサタンの国がどのように侵略され、私たちが救われたのか物語のように書かれています。マタイ1229「強い人の家に入って家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。」このところで言われている「強い人の家」とは「サタンの国」です。家財とは「サタンに捕えられている人間」です。マタイは「略奪する前に、まずその人を縛ってしまわなければならない」と言っています。ルカ福音書には、もっと詳しく書かれています。ルカ1120-21「強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。」このところで言われている「もっと強い者」とはイエス様のことです。サタンは武装しています。しかし、イエス様がサタンを襲って、彼の頼みにしていた武具を奪うと書いてあります。サタンの武具とは何でしょうか?武具とは人間を攻撃し、捕えるための道具です。黙示録1210「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」このところでは、サタン(悪魔)は、兄弟たちの告発者、神の御前で訴える者と言われています。神の力とキリストの権威によって、投げ落とされたと書かれています。サタンの武具とは、私たちの罪を神の前で訴えることです。同時に、私たちの良心にも訴えるので私たちは罪悪感の虜になってしまいます。イエス様は私たちを救うために、まずサタンの武具を奪い取る必要があります。それは2000年前カルバリーの丘でなされました。イエス様は私たちの罪を負って身代わりに死なれました。それは同時に、サタンの武具を奪うことになったのです。なぜなら、キリストの贖いによって、サタンはもう神さまに私たちの罪を告発できなくなったからです。イエス様は十字架で「すべてが完了した」と叫ばれました。それは、サタンのかしらを打ち砕いたという決定的な勝利であったのです。

 その後、戦いがないかというとそうではありません。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがヨーロッパを支配していました。連合軍の勝利はいつ確定したのでしょう?それは、194466日、連合軍はナチスの領域に攻め込み、ノルマンディの海岸でヨーロッパを取り戻しました。ドイツ軍は連合軍の上陸をくいとめられず、連合軍の勝利は避けられないものとなりました。その日が連合軍の勝利、D-dayとされています。ところが、ドイツ軍は全滅したでしょうか?そうではありません。連合軍が戦争を実際に終結させるまでにはさらに11ケ月が必要でした。その間にも、何千という人たちが流血の戦闘で命を落としました。そして、194558日に戦争は終結しました。その日を、ヨーロッパの勝利の日、 VE- dayと言うそうです。イエス・キリストが十字架でサタンのかしらを打ち砕きました。それがD-dayです。でも、その後も戦いは続いています。敵は武装解除されたとはいえ、まだ、そこいらにウヨウヨしています。マルチン・ルターは「キリストの復活によってサタンの敗北は確定したが、今は掃討戦(そうとうせん)である。残っている敵などをすっかり撃ち払うための戦いだ」と言いました。そうです。敵は私たちがボヤボヤしているなら、今だに大きな被害を私たちに与えるだけの力を持っています。以前、アメリカのテレビ伝道者の何人が姦淫の罪で倒れました。日本でも牧師がそういう罪で倒れることがあります。すると、人々は「牧師が堕落したらどうなるんだ」と眉をひそめます。違うのです。これは、戦いなのです。戦争には、死傷者が出るのが当たり前です。サタンは「親亀コケたら、皆コケたー」とばかり、指導者を狙ってくるのです。皆さん、クリスチャンはキリストの軍隊に属する、兵士なのです。神の武具で身を堅め、みことばのつるぎと御霊によって戦う兵士なのです。まもなくイエス様が来られ、サタンに完全に勝利してくださいます。それまで、私たちは悪しき霊と戦いつつ、福音を語り神の国に一人でも多くの人を迎い入れるべきなのです。

 ところが、この霊的戦いをあまりにも強調し、バランスを欠いている人たちもいないわけではありません。彼らは「霊的地図」を書いて、その地域を支配している悪霊を特定します。そして、これを縛り、うち破ることによって、その地域における伝道が飛躍的に前進すると主張します。そのために神社仏閣の前で祈ったり、山頂の祠の前で祈ったりします。彼らはそれを「地域における霊的戦い」あるいは「戦略レベルの戦い」と主張します。確かに、その地方を支配している階級の高い悪霊がいるでしょう。文化や宗教の上で人々を支配している悪霊がいると思います。でも、何事も順番があります。まず、個人レベルの霊的戦いに勝利する必要があります。その後、教会同士が一致して町や地域のために祈るのです。日本の場合は、教会がバラバラで全く一致を欠いています。イエス様は「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません」と言われました。ここに「キリスト教会」も入れるべきであります。私たちはライバルではなくて、神の国の拡大のために一緒に戦う仲間であります。現在は、教団・教派の壁がまだ色濃く残っています。でも、リバイバルが来たなら、そういう柵も取り除かれるでしょう。インドネシアでは広い池にあひるを飼っています。それぞれの持ち主が池に柵を設けて、自分のあひるを区別しています。しかし、台風がやってきて池の水があふれると、柵を越えてあひるが1つの群れになるそうです。持ち主はどれが自分のあひるか分からなくなるそうです。日本という小さな国に100以上の教団・教派がひしめきあっています。クリスチャン人口が1%にも満たないのに何ということでしょう。ひょっとしたらサタンは日本の教会を全く恐れていないのかもしれません。私たちは知るべきです。イエス・キリストが十字架でサタンのかしらを打ち砕いてくださったこと。サタンよりも、もっと強い人であるイエス様がサタンの武具を奪ってくださいました。今なお戦いはありますが、サタンに捕らわれていた人たちを奪回する使命が残されています。私たちは勝利するために戦うのではありません。勝利はすでに決まっています。私たちはイエス様が来られるまで、勝利のために戦うのです。

3.神の国の侵略

 マタイ1228「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」並行記事でありますルカによる福音書からも引用いたします。ルカ1120「しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。」ルカ福音書では、神の御霊ではなく、「神の指」となっています。イエス様がその人から悪霊を追い出されたので、その人はものを言い、目も見えるようになりました。そのことが、神の国があなたがたのところに来ている証拠だということです。聖書には「神の国はあなたがたに来ている」と優しい口調で書いてあります。しかし、この世がサタンに支配されていると考えたらどうでしょう?もし、そこにイエス様が来られ、悪霊につかれている人から悪霊を追い出して、障害を癒されたとします。それは、サタンの国が侵略されているということです。ルカ11章に書いてあるように「もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝っている」状態です。自分の持ち物が奪われるのですから、これはサタンにとって我慢できないことではないでしょうか?ビル・ジョンソンという人が『天が地に侵入するとき』という本を書いています。英文では”When Heaven Invades Earth”となっています。Invadeというのは、インベーダー・ゲームで知られています。UFOが地球に侵略して来るのを、こちらが撃ち落とすというゲームです。Invadeは他国を侵略するという意味です。征服・略奪を目的に軍隊が行う侵略行為です。ということは、イエス様がこの地上に来られて、サタンの国を侵略し、捕虜である人間を奪還しているということです。昔、ランボーという映画がありましたが、イエス様はまさしくランボーであります。ランボーはたった一人で戦いましたが、イエス様の場合は「神の指」である聖霊がご一緒しておられました。イエス様はいわゆる人間でありましたが、「御霊の力を帯びて」(ルカ414)ミニストリーをしておられました。これはイエス様だけができることというよりも、イエス様が模範になられたということであります。つまり、私たちもイエスの御名の権威と聖霊の力によって、イエス様と同じことをするように召されているということです。マルコ1617-18「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」アーメン。

 聖書ではクリスチャンは「神の兵士」であると記されています。司令官はイエス・キリストであります。「いや、私はそういう戦いは嫌いです。平穏な生活をしたいのです」と言う人もいるかもしれません。しかし、サタンは「神につくのか、私につくのか」迫ってきます。クリスチャンは例外なく、サタンの国から救われ、神の国に移された人たちです。だから中立はありえないのです。問題は私たちが神の武具を身に着け、敵であるサタンに対抗するかどうかです。また、司令官であるイエス・キリストの命令に従うかどうかです。イエス様の最大の願いは何でしょう?それはサタンに捕らわれ、失われた魂を一人でも多く奪回してほしいということです。また、サタンに奪われている健康と豊かな人生を取り返すように願っておられます。イエス様はヨハネ10章でこのように言われました。ヨハネ1010「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」クリスチャンなのに、みじめな生活をしているなら、父なる神さまは決して喜ばないでしょう。私たちは神の子らしく、胸を張り、サタンとその子分たちに命令することができます。イエス様はそのために私たちに権威を与えてくださいました。マタイ2818「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って…」と書いてあります。今から10年ほど前、インドから無名の伝道者が来ました。水島兄弟から紹介されて、「ぜひ、日本の宣教のために協力してください」とのことでした。彼と電話で話しました。そのとき彼は「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。だから福音を宣べ伝え、病人を癒し、奇蹟を行うことができる」と言いました。私は彼が日本のことを知らないくせに、あまりにも幼稚な気がしました。結局、彼とは会いませんでした。ところが、今、私は同じみことばを引用しています。私は日本に長く住んで伝道しているので、日本がいかに難しいかをたくさん話すことができます。「日本は偶像崇拝の国で悪魔によって人々が捕えられており、福音には耳を傾けない。それほど簡単ではない。」と言えます。それだったら、信仰のない人たちと同じです。なぜなら、「できない」という信仰だからです。

 ジョン・ウィンバーの『力の伝道』という本に「伝道のエンゲル係数」ということが書いてありました。エンゲル係数というのは家計と食費との関係ですが、これは「たとえ」です。多くの人たちはキリスト教に対して、無知であるか無関心です。しかし、奇蹟とか癒しを目の当りにすると、エンゲル係数がぐっとアップして福音に心を開くのではないでしょうか?イエス様は伝道するとき御霊の賜物を用いました。木の上で隠れていたザアカイに、「ザアカイ降りて来なさい」と実名で呼びました。会ったこともないのにイエス様から名前を呼ばれて、彼は心を開いたことでしょう。使徒の働き3章に、ペテロが生まれつきの足なえを立たせた記事が書かれています。その奇蹟を知って大勢の人が集まり、何千人もの人たちがイエス様を信じました。奇蹟や癒しは邪道だと言うならば、イエス様もペテロもそれらを用いたのは何故でしょうか?「神の国が来ている」と言われても、人々は霊的なことが分かりません。また、理性的な人に限って、物質的な世界に支配されています。しかし、そのところに神の国が来ていることが如実に現れたらどうでしょうか?すぐさま、心が開かれて「ああ、神さまはおられるかもしれない」と心を開くでしょう。ですから、これは邪道なのではなく、むしろ聖書的なのです。聖霊は今も私たちと共にいらっしゃっています。そして一緒に働きたい、神の働きを現したいと願っておられます。伝道を妨げているのはサタンではなく、むしろ私たちにあります。私たちがイエス様に自分を伝道の道具にささげていないからです。そして、人に馬鹿にされても「神の国が来ていることを証明させてください」と願うなら、神の国はそのところに力強く現れてくださるでしょう。

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