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2016年8月26日 (金)

十二使徒の任命 マタイ10:1-15 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.8.28

 1ダースは12です。時計の針も12まであります。干支の数も12です。聖書で12は特別な数字です。旧約聖書を見るとわかりますが、イスラエルの部族は12でした。イエス様が12人の弟子を特別に選ばれたのは、新しいイスラエルを考えていたからではないでしょうか?12人のそれぞれの資質を見ますと、「私たちにもなれそうなのではないか」という励ましを受けます。

 

1. 十二使徒の任命 

 イエス様は多くの弟子たちの中から、12人を特別に選びました。そして、彼らを「使徒」とお呼びになりました。ギリシャ語で使徒は、「派遣された者、使者」という意味です。12人というのはイスラエル部族の数ですから、イエス様は新しいイスラエルを作るという計画があったのでしょう。ところで、神学的に教会はギリシャ語でエクレーシアと言いますが、その当時は違った意味がありました。王様が新しい国を作るとき、何を最初にすべきでしょうか?まず、自分と一緒に国を治める大臣を国の中から招集する必要があります。軍事や外交、財政、法律、商業、産業、建築、学問などを司る大臣が必要です。当時は王様と大臣たちによって構成されたグループをエクレーシアと呼んだようです。そうなると、イエス様と12人の弟子たちこそが、神の王国のエクレーシアということができます。神学的には、イエス様と12人を教会の原型(プロトタイプ)であると言われています。イエス様は12人が王国の働きができるように、特別な力と権威を与えました。マタイ121節を日本語の聖書を読むと、2つの文章に分かれています。権威という言葉が、汚れた霊どもを制することだけにかかってるように思えます。しかし、原文も英語の聖書も121節は1つの文章になっています。直訳するとこうなります。「それから、イエスは12弟子を呼び寄せて、そして、汚れた霊どもを追い出し、あらゆる病気を癒し、あらゆるわずらいを癒すために彼らに権威を与えられた」となります。権威という言葉が、3つのミニストリーにかかるということです。後で、彼らは短期宣教に遣わされますが、イエス様から与えられた権威によって、それらのことを全うすることができたのだと考えられます。

 102-4節まで、12使徒の名前が記されています。このリストを見ますと、いろいろなことを考えることができます。第一はほとんどが一般的な人であったということです。学問のある人や身分の高い人はいません。半数がガリラヤの漁師です。まず、ペテロと呼ばれるシモンです。彼の本名はシモン(葦)でしたが、イエス様からペテロ(岩)というギリシャ語名が与えられました。「お前は葦ではなく、岩なんだ」ということです。彼は弟子たちのリーダー格でありましたが、イエス様を三度も知らないと裏切ってしまいます。シモンの兄弟アンデレは明朗活発な人でした。ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、イエス様から「雷の子」というあだ名が付けられました。すぐかっとなるタイプだったのでしょう。バルトロマイはピリポと一緒に出てきますので、別名ナタナエルかもしれません。トマスは疑い深くて、復活を信じることができませんでした。マタイはローマのもとで暴利をむさぼる元取税人でした。タダイはほとんど活躍していません。ただいるだけです。熱心党員のシモンは国粋主義者でローマの転覆を狙っていました。最後に、「イエスを裏切ったイスカリオテ・ユダ」と書いてあるとおり裏切者です。これらの人たちは、考えや性格が全く異なっています。気質から分けると、ペテロは多血質、ヨハネは粘着質、ヤコブは胆汁質、トマスは憂鬱質かもしれません。思想的に言うと、取税人マタイは親ローマで熱心党員のシモンは反ローマです。12弟子たちはイエス様が十字架にかかる直前まで、だれが一番偉いか争っていました。イザヤ書11章は御国の預言をしています。イザヤ11:6「 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。」彼らは敵対しそうな者たちでしたが、イエス様の傍では仲良くしていました。この集団は後代の教会の縮図であろうと思います。様々な職業も、いかなる気質も、どのような階級も、どのような党派の人もイエス様は引き寄せておられます。そして、イエス・キリストのもとに来るとき、all one in Christキリストにあって1つになることができるのです。

 なぜ、イエス様はわずかな人たちをご自分のもとに集められたのでしょう?私の頃の学校は1クラスが40人前後でした。効率の点から考えると12人は少ないように思えます。マルコ3:14 「そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き…」とあります。「身近」というのは、とても良い訳です。ギリシャ語ではメタという前置詞ですが、「間にまじって」「一緒に」「共に」という意味があります。物理的な関係ではなく、人格的な交わりがあるということです。もし、40人対1となると、一人一人との関係が浅くなります。学問的な知識は与えることはできても、「生き方」とか「生き様」みたいなものは伝えられません。おそらくイエス様は12人の使徒たちと寝食を共にしながら、いのちに関わることを伝授していったのではないかと思います。日本でも師匠と弟子という関係がありますが、それと近いかもしれません。サラン教会の玉(オク)師は「小グループで集まることの利点」ということをある本で述べておられます。第一、自己を開放することが容易であり、霊的成長のためにとても良い。第二、相互の学習によって、自分が人にとって自分が大切な存在であると発見する。第三、指導者ばかりでなく、グループ内の人を見習うことができる。このような説教の場では、私が一方的に会衆に向かって話をしています。しかし、中には私を見ていながら、他のことを考えているかもしれません。また、1つのことが理解できないために、先のことが頭に入らないかもしれません。でも、小グループでこのテーマについて、話し合ったらどうでしょうか?いろんな考えが出てきて、衝突するかもしれません。しかし、「ああ、そうなのか?」と深く理解することもできるでしょう。また、頭だけではなく、心の問題も分かち合うことができ、生活に変化をもたらすことができるでしょう。イエス様が12弟子を身近に置いたのは小グループで訓練することの利点を知っていたからです。イエス様ですら12人しか訓練できなかったのですから、私たちはどうなのでしょうか?大量生産を考えてしまいますが、キリストの弟子を作るためには少人数から始めるべきだということが分かります。イエス様は彼らと親しく交わりながら、生きた知識を与え、本当の弟子にして行ったのです。

2. 十二使徒の短期宣教

 前回、イエス様のミニストリーが三つあると申し上げました。第一は教え、第二は福音宣教、第三は病の癒しであります。これまで弟子たちを伴って、これらのミニストリーをなさって来られました。ところが、働きが拡大して、イエス様お一人では負いきれなくなりました。マタイ937-38そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」イエス様はご自分の働きを拡大し、また継承する必要がありました。そのため12使徒を選ばれた後、短期宣教に遣わしました。短期宣教ですから、「使徒の働き」にあるような全世界に向けての宣教でありませんでした。ですから、マタイ10章には、特別なこと、例外的なことが書かれています。まず、この時の宣教は、イスラエル(ユダヤ人)に限られていたということです。イエス様は「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。」と命じられました。これは、旧約聖書と連続性を持たせるために、イエス様の福音がまずイスラエルから始めなければならなかったからです。全世界に出て行くのは、十字架と復活の後であります。次には、「余分なお金や余分な下着、くつ、杖も持たないように」と言われています。これは旅行が短かったせいもありますが、弟子たちが学ぶべき課題も含まれています。イエス様は「働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです」と言われました。使徒パウロはコリント人への手紙の中で「もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。」(Ⅰコリント911と言っています。余分なお金を持たない中で、必要が与えられるのかということは、信仰の訓練であったと思われます。

 私が聖書学院で聴講していた頃、夏季伝道というのがありました。確かその時だったと思いますが、久保有政インターン生と上原神学生の二人が、山梨と神奈川の県境(たぶん道志村)に短期宣教に出かけました。ものすごい田舎で、渓谷のあるところです。本当に、お金を持たないで、家々を訪問して、福音を宣べ伝えに行きました。すると村の人が納屋に泊めさせてくれたり、ご飯を食べさせてくれたそうです。1週間ほどやってみて、本当に必要が与えられたそうです。最後は無事に座間キリスト教会にたどり着きました。大川牧師がとても感心され、その夜、二人にご馳走してあげたそうです。私はその証を後から聞いて、「聖書の物語を地で行くなんてすごいなー」と感動しました。私も1999年に韓国から来た牧師と5日間、宇都宮に短期宣教に行きました。寝袋持参で、訪問伝道と路傍伝道をしました。2つの教会にお世話になり、宿泊も食事も与えられました。そのとき、確かに神さまが生きて働いておられることを体験しました。しかし、あまりにストレスがかかり、「私は宣教師には向いていないなー」と思いました。おそらく、12使徒も不安と恐れがあったのではないかと思います。

だから、イエス様はこのように言われました。マタイ1016「わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」と。でも、「病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアト(らい病人)をきよめ、悪霊を追い出しなさい」というのは、いささか過激ではないでしょうか?よっぽどの信仰がないと無理なような気がします。果たして、このようなことを彼らはできたのでしょうか?「弟子たちは、ペンテコステの聖霊を受けていなかったのでできなかったのでは」という考えがあります。でも、101節で「イエス様が弟子たちに権威をお授けになった」と書かれているので、その時はできたのではないかと思います。でも、それは一時的であって、できないときもありました。たとえば、イエス様と3人が変貌の山から下りてくると、残りの9人が悪霊を追い出せないために恥をかいています。イエス様は「いつまであなたがたに我慢しなければならないのでしょう」(マタイ1717と嘆いておられます。とにかく、いろんな失敗を重ねながら体得していったと思われます。このようにイエス様は未経験な弟子たちを伝道に遣わしました。うまくいったときもあったでしょうが、失敗した時もあるでしょう。有頂天になるときもあれば、がっかり落ち込むこともあったでしょう。でも、そういうことを通過しながら、体験的に学んで行ったのではないでしょうか。医学においても、研究論文と臨床実験がかみあっていなければならないと言われています。科学においても、前提になる理論と実験による証明が必要です。キリスト教会においてはどうでしょうか?どうしても教理が重要視され、実生活がなおざりにされるところがあります。簡単に言うと、頭ではわかっていても、生活がついていかないということです。「信仰と生活」と言うように、2つを分けて考えてはいけません。「信仰生活」と1つになる必要があります。

イエス様は自分が教えたことを弟子たちに実際にやらせてみました。あるところはうまくいって、あるとことはうまくいかなかったでしょう。その後、イエス様はどうしてうまくいかなかったのか、教えたのではないでしょうか?そうすると、「次からはこうしよう」とステップアップすることができます。伝道も、全くそのとおりだと思います。イエス様の福音を人に伝えるということは容易ではありません。救われたときは、友人や家族に熱心に伝えたと思います。しかし、冷や水を浴びせられ、「うまくいかないな」とがっかりさせられます。10年もたつとあのころの熱心さが冷めて、伝道しようとも思わなくなります。自分の信仰を守ることがせいいっぱいで、他の人に伝えるまでいかないとしたら残念なことです。私たちは新聞やテレビで、いろんな化粧品やサプリメント、健康器具のCMを見ます。そこには実際使ってみて効果が上がった人たちの体験談があります。小さな文字で「人によって効果が異なります」と断っていますが。でも、もし、それが自分に合って、効果があったらどうでしょうか?自分と同じことで悩んでいる人に、「こういうものがありますよ」と紹介したくなるでしょう。なぜなら、自分の中に喜びや自信があるからです。福音も同じで、イエス様を信じてから変えられたことを自分のことばで証することから始まります。もちろん、試行錯誤や失敗はつきものです。でも、それらを乗り越えて、マスターしていくのではないでしょうか?一度や二度の失敗にめげないで、福音を宣べ伝えてきましょう。

3.宣教の戦略

 最後に宣教の戦略strategyが記されています。マタイ1011-12「どんな町や村に入っても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。」とあります。ルカ10章には「もしそこに平安の子がいたら」とも書いています。言い換えると、イエス様は「やみくもに家々を渡り歩くのではなく、特定の家に留まりなさい。その家とは平安の子がいる家である。その家を拠点として村や町の人々に伝道しなさい」と教えておられると思います。この戦略は使徒パウロも用いています。パウロは幻を見て、マケドニヤに渡りました。ヨーロッパ宣教の始まりであります。ピリピに行くと祈り場があり、集まった女性たちに話しました。使徒1614-15「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。ルデヤは福音書で言われている「平安の子」です。パウロは彼女の家に泊まって、ピリピの町で宣教を開始しました。すばらしいことに、パウロが福音を語ったら、主が彼女の心を開いてくださったのです。そして、彼女の家が伝道の拠点になりました。もし、私たちが1つの町を福音化したいなら、まず1つの家を拠点とするべきであります。現代は教会が伝道の拠点になっていますが、みんな遠くからやってきます。実際は別の町に住んでいるのに、礼拝だけ教会のある場所に行きます。しかし、それだと教会に人々を連れてこなければなりません。それよりも、家が伝道の拠点であったならどうでしょうか?札幌に手稲教会がありますが、手稲の町に美しい教会堂があります。しかし、彼らはそれぞれの家を開放して、地域の人が平日集まれるようにしています。それを「家の教会」と呼んでいます。教会は敷居が高いけれど、家の集まりだったら行けるという人がたくさんいます。これはすばらしい伝道方法です。

私もセルチャーチを行う前は、家庭集会を最高10か所くらい持っていました。ギターを抱えていろんな家を訪問しました。セルチャーチの考え方は、信徒リーダーを任命してゆだねることでした。私は信徒リーダーを育てないで丸投げして失敗しました。十数年、私は「伝道しましょう」というメッセージをあまりしてこなかったなーと思います。私自身が伝道していないという負い目があるからかもしれません。昨年、この教会を会場にしてセルチャーチの集まりがありました。司会者が「伝道という言い方が嫌いな人は?」と聞いたら、私と家内が手をあげました。逆に「伝道が好きな人は」と聞いたら、当教会から出席しているメンバーのほとんど手をあげました。普通は逆なのではないかと思います。私と家内は神学生の頃、半強制的に伝道をさせられたので、伝道と聞くと恐れを抱きます。本来なら魂が救われることほどすばらしいことはありません。断食もそうですが、伝道も辛かった経験があると、それがトラウマになるのかもしれません。そして、「伝道しなければならない」と律法主義的になるとさらに、伝道できなくなります。もし、伝道には戦略があるんだと考えるならどうでしょうか?イエス様は「やみくもに家々を渡り歩くのではなく、特定の家に留まりなさい。その家とは平安の子がいる家である。その家を拠点として村や町の人々に伝道しなさい」と教えました。西洋のキリスト教は、個人主義です。一人一人が神さまにつながって入れば良いという考えです。でも、聖書を見ると個人よりも、家族まるごと救われるケースがよく書かれています。言い換えると、一人ではなく家族ごとが一単位です。さきほどのピリピのルデヤですが、「彼女も、またその家族もバプテスマを受けた」と書かれていました。1年後ではありません。おそらくその日に家族全員がバプテスマを受けたのだと思います。その後、パウロとシラスは迫害を受けて牢獄に入れられます。真夜中、大きな地震が起り、看守が「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と聞きました。使徒1631-33ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。アーメン。おそらく、看守とその家族は、その夜、バプテスマを受けたのだと思います。このように聖書には、一個人ではなく、家族丸ごと救われるケースがたくさん記されています。

 私たちは自分が救われてそれで終わりではなく、自分の家族全員が救われるのが当然なんだと信じるべきであります。もし、あなたが家族で最初に救われた人物であるなら、あなたが「平安の子」ではないでしょうか?「平安の子」はその家族を照らす、燭台(ランプ)みたいなものです。家族に神さまの祝福を運ぶため、そして救いをもたらすために神さまによって選ばれた人です。どうぞ、自分ひとりが救われたことに満足するのではなく、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」というところまで行くんだと信じましょう。ヨシュアはこのように祈りました。「私と私の家とは、主に仕える」(ヨシュア2415アーメン。私の4人の子供たちはイエス様を信じて洗礼を受けました。信仰は持っていますが「主に仕える」というところまでは行っていません。私は子どもたちが「イエス様を愛する人になるように。どんな職業であっても、主に仕えることができるように」と祈っています。何年か前に、ニューホープのセミナーに参加したことがあります。ウェンコディーロ牧師がハワイから来られていました。最後の祝祷が、「私と私の家とは、主に仕える」という賛美でした。私たちは「主の祈り」ですが、あの賛美もすばらしいなーと思いました。なぜなら、「たとえ今このところに来ていなくても、やがては一緒に集うんだ」という信仰が与えられるからです。そして、自分が家族の代表、「平安の子」として来ているんだという自覚が与えられるからです。イエス様の宣教の戦略は、町の中にある1件の家を拠点としていました。教会も伝道の拠点ですが、みなさんが住んでいる家が、その町の伝道の拠点であることを再発見しましょう。何よりも、あなたが「平安の子」であり、あなたの家に、地域に神の平和をもたらす器であります。「平安の子」として、家族を照らすことができるように自分を神さまにささげましょう。

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2016年8月20日 (土)

主イエスのミニストリー マタイ9:27-38 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.8.21

 「ミニストリー」って何だろうと思うかもしれません。私は「神さまの働き」とか「奉仕」という意味で使いたいと思います。イエス様の究極のミニストリーは、十字架でご自分の命を与えること、つまり贖いでありました。しかし、地上で3年半、その時代の人たちに仕えました。そのことが4つの福音書に記されています。イエス様は大きく分けて、3つのミニストリーをなされました。第一は教え、第二は福音宣教、第三は病の癒しであります。私たち教会は、イエス様のミニストリーを継続すべきでありますが、果たしてバランスよくしているでしょうか?きょうはそのことを考えながら、神さまの恵みを分かち合いたいと思います。 

1.教え

マタイ935「それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え」とあります。マタイ423「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え」とも書いてあります。ここで言われている「教え」は、単に知識を与えるということではありません。ギリシャ語ではディダケーと言いますが、それは「信仰者がいかに生きるべきかを教える」ということです。ギリシャの哲人は理性によってすべてのことを解明しようとしました。人々は、そういう知者から教えをいただくことが賢明であると考えたことでしょう。しかし、ユダヤ人は、すべての真理は神のみことば聖書にあり、それを解き明かすことが教えであると考えていました。イエス様はラビ(教師)として、今日の旧約聖書(律法や預言者)から教えました。当時はユダヤ教の会堂があちこちにあって、人々は安息日にそこで礼拝を守りました。このところに、「イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教えた」と書いてあります。初期の頃はイエス様も会堂で、律法や預言書から教えました。ところが、律法学者たちから妬みをかい、だんだんそれができなくなりました。仕方なく、人里離れた場所や、人の家で教えるようになります。きょうの箇所を見ると、イエス様が目を癒された人たちに「決してだれにも知られないように」と厳しく戒めています。マタイ931「ところが、彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言いふらした。」悪気はなかったのでしょうが、結果的にはイエス様の働きを邪魔したことになります。当時の人たちは「メシヤはイスラエルという国を復興させてくれる王様だ」と考えていました。そのように誤解されてしまうと、イエス様の教えが正しく届かなくなってしまいます。また、ある人たちは奇蹟だけを求め、イエス様の教えには耳を傾けなくなるでしょう。

 では、イエス様はどのように教えたのでしょうか?マタイ728-29「イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。」当時の指導者たちは、「モーセはこう言う」「あるラビはこのように語る」「律法と預言はこう言う」と教えました。彼らは自分の名によって語ろうとはしませんでした。言い換えると、彼らの教えは「受け売り」でありました。律法学者は自分が経験していないことを教え、自分が実行できないことを教えたのです。民衆は彼らの教えが非現実的なのを感じて、心の中で軽蔑していました。一方、イエス様はどうでしょうか?「昔の人々に…と言われていたのをあなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います」とストレートに言いました。受け売りではなく、ご自分の名で直接教えました。しかも、イエス様は律法の字面ではなく、律法の精神を教えました。そのため人々の心が突き刺されてしまいました。なぜ、イエス様の教えに権威があったのでしょう。それは、イエス様が律法の著者であるとともに、ご自身が生ける神のことばだったからです。弟子のヨハネはイエス様をこのように証言しています。ヨハネ11 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」Ⅰヨハネ11「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわちいのちのことば」。弟子のヨハネはイエス様のそばにいて、「イエス様ご自身が神のことばであり、いのちのことばなんだ」と分かったのです。そして、弟子たちはイエス様がおっしゃったことを書き残しました。それが今日の福音書になっています。英語の聖書には、Red letter editionと言って、イエス様が話されたことばが赤い活字になっています。その聖書を見ると、ヨハネ福音書は赤い活字がかなりの分野を占めています。だからと言って、パウロの教えの方が劣るとは思いません。なぜなら、他の著者たちも、神の霊感によるものだからです。しかし、イエス様が言われたことばを赤い活字で区別したいという気持ちも分からない訳ではありません。イエス様は世界最大の教師と言えます。一方的ではなく、人に考えさせるように教えました。質問されると質問で返す場面が多くあります。また、イエス様はご自分が教えたように生きました。教えと生き方が分離していなかったのです。だから、パリサイ人のニコデモはイエス様を「神からの教師」と言いました。

 では、イエス様の教えで、中心的なテーマとは何でしょうか?それは、天の御国(神の国)であります。マタイ5章から7章は「山上の説教」として知られています。その内容は地上の律法というよりは天の御国の律法です。地上において、イエス様が教えられたように生きることは全く不可能でしょう。「情欲をもって異性を見るなら姦淫」とか、「人を憎むだけで殺人」と言われたら、一体だれが救われるでしょう。しかし、それは天の御国の律法であり、神のご支配のもとだったら可能になるということです。また、マタイ13章を見ると、イエス様はたとえによって「天の御国はどういうものか」を教えておられます。私たちは、天の御国を見たことがありません。イエス様だけが、向こうからこっちにやって来たお方です。私たちはこの地上のことしか分かりません。そのため、イエス様は、この地上のものを用いて、「天の御国はこういうものである」と教えられました。マタイ24章では、イエス様は天の御国がどのようにやってくるか教えられました。マタイ25章では、天の御国において報われる生き方とそうでない生き方を教えられました。私たちはイエス様の教えの中心テーマが「天の御国」であることを知らなければなりません。音楽でも絵でも文章でも、テーマというものがあります。テーマを忘れてしまうなら迷ってしまいます。イエス様は神からの教師として、第一に天の御国について教えてくださったのです。

2.福音宣教

 イエス様の第二のミニストリーは、福音宣教です。マタイ935「御国の福音を宣べ伝え」。マタイ423「御国の福音を宣べ伝え」とあります。福音はgood news「良い知らせ」であります。でも、私たちは福音のもとの意味を知らないと、ただの「良い知らせ」になります。福音はギリシャ語で、ユアンゲリオンですが、もともとは戦勝の知らせでありました。紀元前490年、ギリシャとペルシャの「マラトンの戦い」がありました。ペルシャの勝利はだれの目にも明らかでした。当時は戦争で負けたら、金品が没収され、町は火で焼かれ、人々は奴隷にされました。ギリシャの市民は、勝ったか負けたか、一日千秋の思いで待っていました。もし負けたなら、一目散に逃げなければなりません。そのとき、一人の兵士がマラトンから走ってきました。「喜べ、勝った」と叫んで息が絶えました。その後、マラトンからギリシャまでの走った距離が、マラソンの起源になったと言われています。何を言いたいのか、福音とはもともと「戦争に勝った」という「良い知らせ」だったということです。イエス・キリストは十字架で死なれ、私たちの罪を支払ってくださいました。そして、三日目に復活し、キリストを信じる者は救われ、神の国に入ることができるという保証になりました。イエス様は十字架で死なれただけではありません。イエス様は三日後に復活して「私は死と陰府と悪魔に勝った」という知らせが「良い知らせ」なのです。その後、復活を目撃した弟子たちが、全世界にこの福音を宣べ伝えに行ったのです。これが、キリストの福音、御国の福音です。単なる良い知らせではなく、「キリストによってすべての罪が赦されて救われる」という良い知らせです。

 地上の正統的な教会のほとんどは、キリストの十字架と復活が「良い知らせ」、福音であることを認めます。特に福音派と呼ばれる団体は、キリストの十字架と復活を強調します。でも、そういう団体に限って、癒しとか奇蹟を否定します。彼らは口々に「癒しや奇蹟は終わった。癒しや奇蹟は危ない」と言います。つまり、人が救われるのはキリストの十字架と復活という福音で十分だということです。「癒しや奇蹟を行って人を信じさせるのは邪道であり、ご利益宗教だ」とまで言います。正直、私は彼らから言わせると邪道であり、ご利益宗教の部類に入ります。しかし、私たちが注目すべきことは、「イエス様はどういう福音を宣べ伝えたのか」ということです。さきほど2つのみことばを引用しましたが、「御国の福音を宣べ伝え」と言いました。イエス様は単なる福音を宣べ伝えたのではなく、「御国の福音を宣べ伝え」たのです。これは、ものすごく重要なことです。単なる福音だと、キリストによって罪が赦され、永遠のいのちを持つということです。ヨハネ316「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」アーメン。私はこのみことばが真実であり、文句を言うつもりは全くありません。でも、このところには、永遠のいのちを持った人がどこで生きるかは書かれていません。そのため、イエス様はヨハネ14章で行くべきところは「父のみもと、父の家」であると言われました。端的に、御国の福音と単なる福音との違いは何なのでしょうか?御国とは、ギリシャ語で「神の王的支配」という意味です。ですから、御国を「神の王国」と言い換えても構いません。もし、私たちが神の王国に入りたいと願うならどうしたら良いでしょうか?それは、神と和解して、神の支配を受ける必要があります。もし、人が「私が王であって、神さまが王であることを認めません」と言ったならどうなるでしょう?その人は、神の王国に入ることはできません。なぜなら、王は二人いてはならないからです。つまり、御国に入りたければ、「イエス様を救い主としてだけではなく、王として従います」という従順が求められるということです。単なる福音であるなら、どうでしょう?「私はイエス様を救い主として信じますけど、主としてではありません。なぜなら、従えない分野もあるからです」ということを許すことになるからです。ですから、本当の信仰とは、キリストの十字架と復活を信じるだけではなく、イエスを主として信じて従うということも含まれるということです。私たちは単なる福音ではなく、御国の福音を信じるべきです。

 また、御国の福音と単なる福音はこういうところでも違いが出てきます。イエス様はマルコ福音書で開口一番「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ115と言われました。つまり、福音を信じることは、神の国に入ることなんだということです。イエス様は御国の福音を宣べ伝えただけではなく、ご自分と一緒に御国が来たことを証明されました。イエス様は「バプテスマのヨハネの弟子に、このように報告せよ」と言いました。マタイ115「目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、らい病に冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。」イエス様は福音を宣べ伝えながら、目や足、耳を癒し、病気の人を癒し、死人さえ生き返らせました。福音宣教と癒しと奇蹟がセットだったことがわかります。なぜでしょう?人々に御国の福音を知らせながら、「御国には障害も、病も死もありませんよ」と知らせたかったのではないでしょうか?人々は自分の障害や病が癒されて、「ああ、御国とはこういうものなんだ」と御国の前味を味わったのではないでしょうか?その後、「ああ、私もイエス様の福音を信じます。私も御国に入りたいです」と決断したのではないかと思います。もし、福音しか語らなかったなら、信じた人は半分以下だったでしょう。今日の福音宣教がはかどらないのは、福音しか語らないからかもしれません。使徒パウロはギリシャ世界に福音を宣べ伝えに行きましたが、何と言っているでしょうか?Ⅰコリント24「そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」パウロの宣教はことばだけではなく、御霊と御力の現れだったということです。これは、まさしく癒しや奇蹟のともなった宣教であります。使徒の働きを見てわかりますが、多くの人たちはみことばに伴うしるし(癒しや奇蹟)見て、信じたのです。もちろん、みことばだけで信じる人もいますが、御国が来ていることのしるしを見たらもっと信じるのではないでしょうか?このように、イエス様が宣べ伝えたのは、単なる福音ではなく、御国の福音であったということです。

3.病の癒し

 イエス様の第三のミニストリーは病の癒しです。前のポイントと同じように2箇所から引用いたします。マタイ935-36「あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」マタイ423-24「民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで人々は、さまざまな病気や痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをいやされた。」福音書を見ると、イエス様の病の癒しの記事がとても多い事に驚かされます。何度も言いましたが、病の癒しや奇蹟はイエス様がメシヤであることの証拠でした。また、それは御国がイエス様と一緒に来たことの証でもありました。でも、イエス様は単なるパフォーマンスで行ったのではありません。36節に「群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」とあります。イエス様の病の癒しや奇蹟の動機は、愛でありあわれみであったということです。つまり、イエス様は病や障害をお見過ごしにされなかったということです。なぜなら、それらは神さまが計画したものではなかったからです。イエス様は、病は正常なものではなく、敵として扱いました。だから、病に命令をして癒されたのです。このところに、「あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた」とありますので、イエス様にとって癒されない病は1つもなかったということです。イエス様は病の癒しと同時に悪霊の追い出しもなされました。霊的な束縛からの解放です。

 問題は、「病の癒しや悪霊の追い出しというミニストリーを教会が担うべきか?」ということです。元来、キリスト教は、アジアのイスラエルから始まったのですが、ヨーロッパやアメリカを経由して来ました。言い換えると西洋の服を着たキリスト教です。福音を伝えに来た宣教師に悪気はなかったと思いますが、やっぱり西洋の服を着たキリスト教を伝えてしまいました。西洋の歴史を見るとわかりますが、啓蒙主義という思想が起りました。彼らは人間の理性によって何でも証明できると考え、証明できないものは迷信だと言いました。また、理神論という考えがイギリスで起りました。「神さまは世界を創造したが、その後は関与していない。創造後の世界は、自然の法則で独立して動いている」という考えです。その教えを受けた教会は神さまの聖なる世界と世俗的で物理的な世界を2つに分けてしまいました。そうなると、この世は閉ざされており、奇蹟というのはめったに起らないんだということです。さらに、スコフィールドという学者が時代区分説を唱えました。彼の理論を極端に捉えた人たちは「キリスト教会の発達当時は、まだ未成熟の時代であり、教会の成長と確証のために、目を見張るような、御霊の賜物による働きが必要であった。しかし、新約聖書が完成した今は、そのような賜物の必要性は消えた」と考えます。彼らはその証拠として、「癒しや奇蹟は福音書に多く出てくるが、後半のパウロの書簡には出てこない」と言います。私は「福音書や使徒の働きにたくさん載っているので、重複するので書いていない」と考えます。私は毎週の説教をブログにアップしています。「いのちのことば」と言いますが、かなりの人が見ておられます。毎日のアクセスは100件以上です。その中で、最も見られているのが『癒しに関する信仰』です。恐らく「教会では癒しはないと謂うけど、本当だろうか?」と疑問を抱いているクリスチャンが見ているのかもしれません。そういう意味ではニーズがあるのではないかと思っています。

 私はジョエル・オスティーンのお母さん(ドディ)の本を読んで感動しました。ドディは1歳のとき小児麻痺にかかり、小学校4年生まで左足に金具をはめていました。やがて看護師になり、牧師のジョンと結婚しました。結婚してまもなく、長女(リサ)が生まれました。リサは生まれてまもなく脳に異常があることがわかりました。そのため、手足も動かせず、ミルクを飲む力もありません。医者が言うにはおそらく胎内でいたとき、へその緒が首に絡みつき、大脳に障害が起ったということです。医者は「この子は車いすの生活で、両親が一生面倒みなければならない」とまで言いました。夫のジョンは大きな教会の牧師でしたが、聖書に癒しの記事があることに注目しました。そして、「過去に起ったことは、今日もきっと起るはずだ」と二人で一生懸命祈りました。1か月たってもそのまま、3か月たってもそのままでした。それでもあきらめずに祈っていると5か月目から手足が少しずつ動くようになりました。そして、7か月目からは普通の赤ちゃんのような動作ができるようになりました。夫のジョン牧師は、聖霊のバプテスマを必死に祈り求めました。すると聖霊の油注ぎを受けて、癒しを行うようになりました。教会でも癒しを宣言し、癒しのミニストリーを始めました。そうしたら教会から猛反対が起り、辞職を迫られました。ちょうど1000名入る新会堂を献堂したばかりなのに、辞めることになりました。ドディと夫のジョンは90人の教会員を連れて、廃業したスーパーの建物から再スタートしました。それから数十年後たって、4000名の教会になったそうです。それで終わりではありません。ドディが48歳のとき転移性の肝臓がんと診断され、余命1ヶ月と言われました。長男のポールは外科医でしたが、それを聞いて病室の外で泣きました。ドディは家に帰って、自分の身を嘆いてベッドに臥せったでしょうか?そうではありません。聖書から癒しのみことばを書き写してカードにしました。それらのカードと若くて元気だったころの写真を洗面台、冷蔵庫、戸棚、ありとあらゆるところに貼りました。みことばによる癒しを宣言しつつ、夫と心を合わせて祈りました。黄疸がひどくなり体重も40キロに痩せました。それでも朝早く起きて、体を洗って服を着ました。そして、病人のお見舞いにでかけました。そうするとどうでしょう?急激ではありませんが、徐々に体調が回復していきました。2年ぐらいたって完全に回復し、35年たった今も元気です。現在83歳ですが、彼女のおもなミニストリーを病人のために祈ることです。

 ヘブル138「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」イエス様は今も同じように癒しと奇蹟を行われます。そして、私たちをそのために用いられます。ヨハネ1412「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。

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2016年8月12日 (金)

いのちの主 マタイ9:18-26 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.8.14

 福音書に、イエス様が死んだ人を生き返らせた記事が少なくとも3件あります。1つはきょうの会堂司ヤイロの娘、2つ目はナインのやもめの一人息子、そして3つ目はラザロです。死んでいた時間を考えると、ラザロは4日間でしたが、会堂司ヤイロの娘は1時間前後かもしれません。死はどんな人にも訪れます。お金持ちから貧しい人、子どもからお年寄り、身分の高い人から低い人、どんな人にも訪れます。アダムの子孫であるならば誰一人この死から免れることはできません。しかし、人類でたった一人、死に勝利し、また死んだ人を生き返られた方がいらっしゃいます。それは神が人となられた、イエス・キリストであります。 

1.会堂管理者の信仰

 マタイ918「イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」マタイ福音書はイエス様の教えについて詳しく書かれていますが、奇蹟の記事は簡素です。そのためきょうは、マルコとルカ福音書を参考にしながら、この出来事を見て行きたいと思います。マタイには「ひとりの会堂管理者」となっていますが、他の福音書には「ヤイロ」という実名で記されています。この娘はヤイロのひとり娘であり、年齢が12歳でした。マタイは娘が既に死んでいたように書かれていますが、まだ息があるうちに、ヤイロがイエス様のところにやってきたようです。でも、イエス様とヤイロが家に向かっている途中、娘は死んでしまいました。つまり、一刻も争う状況なのに、12年間長血を患っていた女性が割り込んで来ました。そういう意味では、2つの奇蹟が重なっている特異な箇所であります。きょうは、会堂管理者ヤイロの娘の記事だけを取り上げたいと思います。ところで、会堂(シナゴーグ)というのはユダヤ教の人たちが礼拝を守る建物であり、各所に点在していました。会堂管理者は、会堂の維持管理だけではなく、聖書の朗読箇所の選定、礼拝の司会、朗読や説教者の指名なども行いました。ヤイロは地位だけでなくお金もあったと思われますが、娘の死に対しては何もすることができませんでした。恐らく、医者も治すことができなかったので、イエス様のところに飛んでやって来たのでしょう。

 まず、会堂管理者ヤイロの信仰について考えたいと思います。彼はイエス様の前に、ひれ伏して願いました。彼は「娘がたとえ死んでも、イエス様が手を置けば生き返る」と信じていました。すごい信仰であり、大きなことをイエス様に求めました。少し前の記事では、おことば1つで百人隊長のしもべが癒されました。イエス様は遠くから、ことばを送って、娘を生き返らすこともできたでしょう。ところが、ヤイロの信仰、ヤイロの求めが本当なのか試す必要がありました。試すというよりも彼の信仰を強める必要があったのでしょう。マタイ919-20「イエスが立って彼について行かれると、弟子たちもついて行った。すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。」この先は割愛しますが、ご存じのとおり、十二年の間長血をわずらっている女性が割り込んできました。一刻一秒を争っているのに、何と言うことでしょう。会堂管理者ヤイロの心はジリジリと焦っていたのではないでしょうか。どれだけ暇取ったかは分かりません。でも、悪い知らせが届きました。マルコ福音書535-36イエスが、まだ話しておられるときに、会堂管理者の家から人がやって来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」なんと、家から使いがやって来て娘はもう死んだというのです。そればかりか、「なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう」とまで言うのです。会堂管理者の信仰は風前のともしびです。Its too late「遅かった。もうだめだ」と思ったでしょう。でも、そばで聞いていたイエス様がすかさず彼に言いました。「恐れないで、ただ信じていなさい。」イエス様は会堂管理者の信仰が必要でした。大きくなくても、からし種ほどの信仰があれば十分です。しかし、その信仰の火が今にも消えそうです。そのため、イエス様は「恐れないで、ただ信じていなさい」と信仰の燃料を注いだのです。マルコ536は原文には、overhearing 「聞き流して」ということばが入っています。イエス様は使いのことばを聞き流した、つまり無視したということです。イエス様もご自分の信仰を守ったのではないかと考えられます。

 しかし、それだけでは終わりません。最後の関門が待っていました。マルコ538-40彼らはその会堂管理者の家に着いた。イエスは、人々が、取り乱し、大声で泣いたり、わめいたりしているのをご覧になり、中に入って、彼らにこう言われた。「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなを外に出し、ただその子どもの父と母、それにご自分の供の者たちだけを伴って、子どものいる所へ入って行かれた。家に着くと人々が葬儀の準備をしているではありませんか。イスラエルには大声で泣きわめいたり、楽器を鳴らして、悲しみを盛り上げる「泣き女」がいました。12歳でひとり娘の死ですから、近所の人たちも集まって一緒に嘆いたことでしょう。イエス様は「子どもは死んだのではない。眠っているのです。」と言いました。彼らの反応はどうでしょう?人々は娘が死んだことを知っていたので、イエス様をあざ笑いました。イエス様は彼らをその家から排除しました。そして、イエス様は、子どもの父と母とペテロ、ヨハネ、ヤコブと家に入られました。会堂管理者にとっては最後の関門でした。なぜなら、近所の人たちが葬儀のために集まり、死という現実を見せられたからです。しかし、イエス様は不信仰な人たちを排除し、両親と三人の弟子たちだけを家に入れました。何故、三人かと言うと、何かを証言する場合は二人、もしくは三人の証人が必要だったからです。そのため、この記事は真実だということです。マタイ925-26「イエスは群衆を外に出してから、うちにお入りになり、少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。このうわさはその地方全体に広まった。」最後だけ、マタイ福音書から引用しました。

 私たちはこのところから、会堂管理者ヤイロの信仰を学ぶ必要があります。マタイ77節には「求めなさい。そうすれば与えられます」と約束されています。でも、それは原文では継続形で書かれていると学びました。つまり、「求め続けなさい。そうすれば与えられます」ということです。ヤイロはイエス様に奇蹟を求めましたが、すんなりとはかないませんでした。第一は12年間病を患っていた女性の割り込みがありました。第二は家から使いがやって来て「あなたのお嬢さんはなくなりました。なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう」と言いました。もう死んだ、手遅れだということです。第三は家に着くと人々が泣き叫んで、葬儀の準備をしていました。彼は死んでいる娘を見たのです。このところには、信仰と恐れ、信仰と不信仰、信仰と現実という戦いがあります。イエス様は「恐れないで、ただ信じていなさい」と彼を励ましました。また、家についてから不信仰な人たちを家から追い出しました。ヤイロはイエス様と一緒に死という現実と立ち向かったのです。クリスチャンでも「現実は難しい」と言って、信仰を退けます。確かに現実には力があり、説得力があります。しかし、使徒パウロはこのように言いました。Ⅱコリント418「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」人々は「それは現実逃避だ。妄想だ」と馬鹿にするかもしれません。しかし、「信仰によって歩む」とき、人々がそのように言うのはもっともなことです。同じように「人々はイエスをあざ笑った」のです。信仰とは何でしょう?それは、目に見えないもの、神さまの約束に目を注ぐことです。そして、恐れと不信仰を追い出し、信仰を選び取るのです。たとえば、嵐の海を航海している船のことを考えてみたいと思います。船は、いくら揺らされても、船の中に水を入れないかぎりは沈みません。同じように、信仰という船の中に、恐れや不信仰を入れてはいけません。もし入れたら、船はたちまち沈没してしまうでしょう。イエス様はそうしないように、会堂管理者ヤイロを励まし続けたのです。

 イエス様は、マタイ77節で「求めなさい。そうすれば与えられます」と約束されました。でも、簡単に与えられないものもあります。会堂管理者ヤイロのように、大きな求めに対しては、大きな障害が付きまといます。それでも、信じ続けるならば求めがかなえられ、奇蹟を見ることができるでしょう。でも、大多数の人は途中であきらめて、信仰を捨てるのではないでしょうか?「現実は厳しい」とか「神さまのみこころじゃなかったんだ」と言うでしょう。確かにみこころでないものを求める時があります。でも、神さまは最善をなされ、プランAがだめだったら、プランBを与えてくださいます。プランBがだめだったら、プランCがあります。私たちが信仰を捨てない限り、主は共にいて私たちの船を導いてくださいます。会堂管理者ヤイロは娘が生き返って、どんなに喜んだことでしょう。マルコ542「彼らはたちまち非常な驚きに包まれた」と書いてあります。英語の聖書はastonished という言葉です。喜びというよりは恐れであります。私たちが主の奇蹟に遭遇すると、そのようになるのです。キリスト教は奇蹟の宗教です。イエス様はあなたの人生に奇跡を与えられます。「求めなさい。そうすれば与えられます」アーメン。

2.いのちの主

 後半はルカ8章を引用して、この記事を学びたいと思います。お医者さんでもあったルカは、他の福音書と違う書き方をしています。ルカ852-55「人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑っていた。しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。聖書は死というものをどう定義しているのでしょうか?日本には死というちゃんとした定義はないそうです。おそらく、心臓、呼吸、脳などの生命の停止を死と言うのではないでしょうか?しかし、聖書は生命的なものではなく、もっと霊的であります。まず、イエス様が「死んだのではない。眠っているのです」と言われました。また、イエス様が「子どもよ。起きなさい」命じました。ルカだけが「娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった」と書いています。その後、イエス様は娘に食事をさせるように言いつけました。おそらく、この娘は、長い間、病気で臥せっていたのではないでしょうか。そのため体も衰弱し、起き上がった後、食事をする必要がありました。重要なところは、生き返った時に病気も癒されていたと言うことです。なぜなら、彼女はただちに起き上がり、食事を摂れるくらい回復していたからです。

 では、聖書が言う死とは何なのでしょうか?旧約聖書にラケルの死のことが記されています。創世記3518 「彼女が死に臨み、そのたましいが離れ去ろうとするとき、彼女はその子の名をベン・オニと呼んだ。しかし、その子の父はベニヤミンと名づけた。」旧約聖書は、体からたましいが離れることを死と言っています。新約聖書はどうでしょうか?ヤコブ226「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。」原文のギリシャ語では、「たましい」ではなく、霊spiritとなっています。たましいの中に霊があるので、区別することが難しいかもしれません。でも、聖書では肉体から霊(たましい)が分離することを死と言います。イエス様は十字架で死なれるとき、「父よ、わが霊を御手にゆだねます」(ルカ2346と言われました。つまり、と肉体との分離が死です。死んだ人の霊が肉体から離れ、主のみもと(パラダイス)に行くか、あるいは陰府に下るのです。霊が消えてなくなるということはありません、どこかで生きているのです。そして、聖書は肉体の死を「眠る」(Ⅰコリント1551、Ⅰテサロニケ414)と言っています。肉体は眠るのですから、いつかは目覚めるという概念があります。イエス様は死んでいる少女を「眠っている」と言いました。そして、イエス様は「子どもよ。起きなさい」と言って起こしたのです。そうすると、彼女の霊が戻って来て、肉体に入りました。それで、彼女は起き上がり、食事をすることができたのです。書物などで、信仰者の臨死体験を知ることがあります。だれかが地上で祈っています。すると、イエス様がその人に「地上に帰りなさい」と言います。それで、その人は「上から自分の肉体に飛び込んだ」と言います。そこで、その人は息を吹き返すのです。彼女の両親がそれを見て、どんなに驚いたことでしょう。まず顔に生気がもどり、呼吸をし始め、目を開け、むっくりと起きました。まるで、夢でも見ているような感じだったでしょう。嘆きが喜びに変わった瞬間です。

 このところから学ぶことは、イエス様はいのちの主だということです。聖書にイエス様がいのちの主であることがいたるところに書かれています。ヨハネ6:47-48「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。」ヨハネ11 25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。この奇蹟は、イエス様ご自身が、いのちの主であることを証明されたのです。イエス様がなされた奇蹟にはすべて意味があります。人類の最大の敵は死です。アダムから生まれ者は誰一人として死を免れることはできません。イエス様は地上で少なくとも、3人の死人を生き返らせます。福音書を見ると、イエス様が葬儀に出席して悲しまれたという記事はありません。むしろ、死人を生き返らせて、葬儀をぶち壊してしまいます。リバイバルが起こるところでは、このような死人の生き返りがたくさん起こります。かつて、中国のある村で、死人が生き返り、20万人の人が一時に信じたそうです。タンザニアのガジマ牧師は2011年まで、150人の死人を生き返らせました。13000人が洗礼を受け、たちまち教会員が3万人になりました。こういう話が本にのっていました。ある家族で16歳の女の子が亡くなりました。女の子の名はニベスです。ニベスはクリスチャンではありませんでした。しかし、その家族の13歳の男の子はジョセファット・ガジマ師の教会に通っていました。家族の家に霊柩車がやってきて、ニベスの亡き骸を引き取ろうとしました。ところが、13歳の男の子が言いました。「僕の行っている教会では、死んだ人にイエスの御名で祈るなら生き返ると教わったよ。」お母さんは「だまんなさい!」と叱りつけました。男の子は黙りましたが、遺体のある部屋に入って内側から鍵をかけました。「開けなさい!」と家族が騒ぎます。男の子は主の御名を呼び始めました。「死の霊よ。僕のおねえちゃんから出ていけ!おねえちゃんは死なない。聖書には神様が長寿をまっとうさせてくださると書いてある。」男の子は一時間も祈りました。人々はドアを壊して入ろうとしていました。男の子は「ニベス!戻ってこい」と叫びました。ニベスは起き上がりました。「私は暗闇の中でひどい拷問を受けていたけど、でもあなたの『戻ってこい』という声を聞いて戻ってきたわ。」人々はドアを開けました。霊柩車は霊安室に行く代わりに家族全員を乗せて教会にやってきました。

 実際、リバイバルが起っているところではこういう奇蹟が頻繁に起こります。日本に住んでいますと、「リバイバルが起きたら」と言います。でも、それは「リバイバルが起きなかったら、そういう奇蹟は起らないんだ」という諦めがあります。これまで、日本の教会は、リバイバルが起っている国からたくさんの伝道者(リバイバリスト)を招いてきました。韓国、アメリカ、アルゼンチン、アフリカ、マレーシアと私も10回以上そういう大会に出席しました。でも、日本では簡単な病気しか癒されません。結論的には、日本人は渇きがないからだということです。でも、私は思います。日本は何でも海外から輸入します。キリスト教会もリバイバルの現場から、リバイバリストを連れて来れば日本にもリバイバルが起こるとやってきました。しかし、それは安直な方法ではないかということがようやく分かりました。教会成長なども、成功した外国の教会の方法を取り入れました。彼らと同じマニュアルを作ってやってみました。でも、うまくいきませんでした。「うまくいかない」を英語でいうととても面白いです。Dont work.と言います。直訳は「働かない、機能しない」という意味です。でも、「うまくいかない、役に立たない」と訳すことができます。私は日本には日本のリバイバルがあると信じます。なんでも、「外国のものを持ってきたらうまくいくか」というとそうではないということです。前半では会堂管理者ヤイロがイエス様にひれ伏して願い求めました。彼は自分のユダヤ教という従来の信仰、会堂管理者というプライドも捨てました。一刻も争うという時に、12年間長血を患っていた女性が途中から割り込んできました。時間がとられました。そうこうしているうちに、家から使いがやって来て、「もう死んだので、先生に来ていただく必要はないでしょう」と言われました。踏んだり蹴ったりというのはこのことです。でも、イエス様から「恐れないで、ただ信じていなさい。」と言われました。消えかかっていた信仰のともし火が再び燃えました。家に着くと人々が泣き叫び、葬儀の準備をしていました。目の前に娘の死という現実を突き付けられました。しかし、イエス様があざ笑う者たちを家から出し、「子どもよ。起きなさい」と命じました。マルコ福音書には、少女の手を取って「タリタ・クミ」(少女よ。あなたに言う。起きなさい)と当時のことばで書いています。そうすると、よみに下っていた彼女の霊が戻ってきたのです。霊が彼女のからだに入り、すぐさま起き上がりました。一連のことから、奇蹟が起こるまでには、いくつかの障害を乗り越える必要があることを知るべきです。何らかの妨げ、遅延、悪いニュース、人々のあざけり…そういうものを乗り越えて、奇蹟を見ることができたのです。私たち日本人がそういう苦労をバイパスして、外国から良いものだけをいただくというのは甘いのではないかと思います。イエス様が会堂管理者ヤイロの信仰を強めて行ったように、私たちにも同じことをなされるのではないかと思います。

 「リバイバルが起きたら」という言い訳をやめたいと思います。「外国では起るけど、日本ではなかなか起きない」という負け犬根性も捨てたいと思います。誰に言っているか、というと一般のクリスチャンではなく、おもに日本の牧師や伝道者に対してです。つまり、私自身に対してでもあります。パウロはこのように言っています。Ⅱコリント61神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。アーメン。2000年前、イエス様は十字架で贖いのわざを完成されました。その後、天から御霊が降り、今も私たちの内に働いています。ペンテコステの炎はかつて弟子たちに降っただけではなく、今も求める私たちに降ってくださいます。そして、私たちが奇蹟を行うのではなく、「イエスの御名」を用いるときに、イエス様ご自身が働いてくださるのです。アーメン。

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2016年8月 5日 (金)

新しい皮袋 マタイ9:14-17 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.8.7

 「新しいぶどう酒」と聞くと、ボジョレー・ヌヴォーを想像される方もおられるかもしれません。ヌヴォーは「試飲新酒」という意味で、短期間でワインとして完成させなければならないようです。しかし、本来のぶどう酒は樽に保管して寝かせ、時間がたてばたつほど美味しくなるようです。聖書にも「ぶどう酒」がよく出てきますが、「人生の楽しみ、喜び」を象徴しています。イエス様は「新しいぶどう酒をどういう皮袋に入れるべきか」を話されました。これは当時の生活から生まれたたとえです。イエス様の福音が新しいぶどう酒であるなら、同時のユダヤ教は古い皮袋であると言うことができます。

1.新しいぶどう酒

 今は瓶やペットボトルがありますが、当時は動物の皮で作った入れ物に、水やぶどう酒を入れました。イエス様は「新しいぶどう酒を古い皮袋に入れると破れて流れてしまう。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきだ」と言われました。新しいぶどう酒は、まだ発酵している状態です。一方、古い皮袋というのは伸び切って、皮が硬くなっています。もし、古い皮袋に、発酵中の新しいぶどう酒を入れたらどうなるでしょうか?皮袋がパンパンに膨れ上がり、しまいに張り裂けてしまうでしょう。そうすれば、ぶどう酒は流れ出るし、皮袋は破れてしまい、二重の損失を招くことになります。また、もう1つ手前のたとえは、「真新しい布切れで、古い着物の継ぎをするならどうなるか」ということです。当時の繊維は現代と違って、洗うと一時的に縮みました。何度か着ていると、伸びて安定します。もし、古い着物に真新しい布切れで継ぎ当てをしたらどうなるでしょう。一度洗濯して乾くと、新しい布切れの部分が縮んで、縫ったところが引き裂かれるでしょう。しかし、このところで、イエス様は「生活の知恵」について語っておられるのではありません。現代の私たちは皮袋も使わないし、継ぎ当てを着る人もいません。しかし、その当時、この2つは良く分かるたとえでありました。そのため現代人にも分かるようにこのたとえを説明する必要があります。

 まず、「新しいぶどう酒」は何かということを考えたいと思います。新しいぶどう酒に対して、古いぶどう酒があります。ルカ福音書5章には「人々は『古い物は良い』と言う」と書いてあります。当時のユダヤ教は、信仰の父アブラハムからモーセ、ダビデと綿々たる伝統を誇っていました。突然、ナザレからイエスというラビが現れて「悔い改めさない。天の御国が近づいたから」と福音を語り始めました。ユダヤ教の指導者であるパリサイ人や律法学者は面白くなかったでしょう。しかし、彼らは宗教的で、古いぶどう酒を古い皮袋に入れていました。一方、イエス様が宣べ伝えている福音は新しいぶどう酒でした。もし、このお方の福音を信じるなら、その人に聖霊による新しいいのちが与えられ、内側が喜びに満たされます。もし、ユダヤ教という古い皮袋にこの福音を入れるならば破れてしまうでしょう。古い皮袋とは、モーセの律法と儀式、そして伝統的な因習ということができます。キリストの福音の内容はどのようなものなのでしょうか?イエス様が人類のために十字架で罪を贖ってくださいました。三日後、天の父は救いを確証させるために、御子イエスを死人の中からよみがえらせました。このお方を信じるだけで、罪赦され、永遠のいのちが与えられます。これがキリストの福音です。イエス様が天にお帰りになって十日後(五旬節の日)弟子たちが二階座敷で祈っていました。突然、大きな音とともに天から聖霊が下り、一同が聖霊に満たされました。彼らは大声で預言をしたり、異言を話し出しました。物音を聞いて集まってきた人たちが「彼らは朝から甘いぶどう酒に酔っている」とあざけりました。「甘いぶどう酒」というのは、まだ発酵中の新しいぶどう酒という意味です。しかし、聖霊による新しいいのちを受けた弟子たちはじっとしていることができませんでした。彼らはユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで福音を宣べ伝えに行きました。

 私は19792月(25歳のとき)、職場の先輩に誘われて座間キリスト教会の礼拝に、初めて出席しました。早口で話す男性の話に、いつしか引き込まれました。あんまりすばらしかったので、次の週、付き合っていた彼女を無理やり連れて来ました。ところが、その日は大川牧師ではなく、ご老人が講壇で自慢話をしていました。私は憤慨して、「もう、二度と来ない」と捨て台詞を吐いて教会を出ました。先輩が、休んでいる私のために礼拝のカセットテープを聞かせてくれました。その時の題名が「大穴を開けても近づいた男」とか「夜通し働いても収穫ゼロ」など興味深いメッセージでした。1か月後、様子を見るために、車で教会の前まで来ました。そのとき、入口に『新しいぶどう酒は新しい皮袋に』という立看板が立っていました。「え、新しいぶどう酒って何だろう?」と不思議な感じがしました。でも、その日は、捨て台詞を吐いた手前、教会の中には入れませんでした。「でも、新しいぶどう酒って何だろう?」と内側から興味が湧いてきました。止むにやまれず、次の週の礼拝に出席しました。そして、19796月に洗礼を受けました。洗礼を受けた次の月、彼女が去って行きました。なぜなら、私が真面目になり、口を開くたびに「神さま」「神さま」と伝道するからです。同時に親友も失いましたが、教会に行くことはやめませんでした。心が満たされて、お酒もたばこもパチンコもやめました。洗礼を受けて半年後「イエス様の弟子になりたい。もっと聖書を勉強したい」と神学校に行きました。彼女と親友は私がキリスト教に完全にかぶれたと思っていたのでしょう。かぶれたのではなく、福音という「新しいぶどう酒」に酔ってしまったのです。霊的に新しく生まれ代わり、内側から神のいのちがあふれてきて、どうしようもなかったのです。

 使徒パウロはローマ1章で、「福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」と言いました。力はギリシャ語でデュナミスであり、ダイナマイトの語源になったことばです。福音は、信じた人の内側で、ダイナマイトのように爆発するということです。太陽の塔を作った岡本太郎氏が「芸術は爆発だ」と言いました。パウロも「福音は爆発だ」と言いたかったのでしょう。それはまさしく新しいぶどう酒であります。もし、ユダヤ教という古い皮袋に新しいぶどう酒をしまい込むならば、爆発してしまうでしょう。つまりは、キリストの福音を、モーセの律法や儀式、伝統的な因習という古い皮袋に入れるのは不可能です。新しい入れ物に代える必要があるということです。使徒の働き15章に、歴史上最初の教会会議が記されています。パウロとバルナバが異邦人に福音を宣べ伝えに出かけました。帰ってきて、大勢の人たちが救われたことを報告しました。しかし、パリサイ派から信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」と言いました。激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言いました。「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」最後に、議長のヤコブが「私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います」と言いました。つまり、異邦人クリスチャンは、モーセの律法や儀式、伝統的な因習に縛られる必要はないということです。異邦人クリスチャンは新しいぶどう酒というキリストの福音によって救われました。そして、その人たちをユダヤ教の古い皮袋に入れる必要はないということです。

 初代教会の勢いは迫害を受けながらも、ローマ帝国全土に広がっていきました。ところが、西暦313年コンタスタンティヌスによってローマ国教会になってから堕落してしまいました。それまでは教会は福音の力といのちにあふれていました。しかし、国教会という古い皮袋に入れてしまったのです。どういうことかと言うと、聖書にない組織や階級、儀式、様々な因習を制度化したのです。神さまと聖書ではなく、それに代わってローマ教会(信徒ではなく聖職者によって構成される教会)が権威を持つようになりました。もう、いのちがなくなり、1000年間、暗黒時代が続くことになります。しかし、16世紀、マルチンルターとジョンカルヴァンによって宗教改革がなされました。その後、ジョン・ウェスレーをはじめとする多くのリバイバリストが出現しました。教会というのはまるで生き物であり、すぐ皮袋が古くなります。そうなると新しいぶどう酒をとどめておくことができません。つまり、力といのちがない制度としての教会になってしまうのです。現代、「福音派」と言われる教会がたくさんあります。しかし、油断していると、聖霊の流れからそれてしまって、力といのちを失ってしまいます。教会を構成している人たちが、どうしても律法や制度、あるいは伝統にしばられてしまいます。そうすると、神さまは古い皮袋を破ってでも、新しい教会を起こされるようであります。当時のイエス様と弟子たちは、ユダヤ教にとって脅威的な存在でありました。それと同じように、今日の教会が制度や伝統にあぐらをかくならば、同じ轍を踏むことになります。ですから、私たちは「神さまがなんとおっしゃっているのか?」「聖書が何と言っているのか?」という教会の原点に立ち返る必要があります。イエス様は「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れなさい」と言われました。私たちはキリストの福音という新しいぶどう酒に常に満たされていたいと思います。また、虚心坦懐に神さまと聖書に聞いて、新しい皮袋であり続けたいと思います。

2.新しい皮袋

 新しいぶどう酒とは、キリストの福音と考えられます。同時に福音を信じて与えられる力やいのちとも言うことができるでしょう。ところで、新しいぶどう酒の「新しい」はネオスというギリシャ語が使われています。これは時間的な新しさを意味しており、時代の経過によっても古くならない新しさという意味です。一方、新しい皮袋の「新しい」はカイノスという言葉が使われています。カイノスは質的な新しさを意味します。つまり、永遠に新しい福音を、捕らえ、報じるキリスト教のあり方について暗示しています。人間の宗教的な様式は、時間がたつと、画一化して古くなってしまいます。リバイバルで与えられた教義や伝統や文化もそのときは新しくてもやがては古い皮袋になってしまうでしょう。永遠に新しい福音を入れるために、皮袋がいつでも質的に新しいものにしておくのは人間の務めです。私は1987年に座間キリスト教会から当教会に赴任させていただきました。赴任した頃は「私は来てやったんだ」という高慢さに満ちていました。また、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」と教会の仕組みを変えるために熱心でした。ところが、当教会は日本基督教団に属していましたので、10年間くらいは思うようにいきませんでした。しかし、ゴスペルで人々が救われてきて、2002年から思い切って礼拝形式を変えました。現在にいたっていますが、私も赴任してから29年になります。今度は私がだれかから「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」と言われてしまいます。はじめの頃のギラギラ感が消えて、今はいぶし銀の私ではありますが、具体的に「新しい皮袋」とは何なのでしょうか?

 新しい皮袋の第一は、教会の礼拝方法だと思います。聖書には「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければならない」(ヨハネ424と書いてあります。私たちは本質的なこと踏まえながらも、現代にあった礼拝方法を選ばなければなりません。「恵みの手段」Means of Graceということばをご存じでしょうか?私たちが神様を礼拝するために、媒介するものがあります。聖書、讃美歌、説教、祈りなどがそうです。この地上においては、この「恵みの手段」なしで直接神様を礼拝することはできません。しかし、この「恵みの手段」は時間がたつと形式的になり、古くなります。聖書のことばも、その時代の人が分かるように翻訳していく必要があります。また、讃美歌や聖歌は文語調でよく分かりませんでした。そのため、讃美歌21や新聖歌が作られました。さらに、みことばに曲をつけたワーシップ・ソングや神さまを直接賛美するプレイズも作られるようになりました。リック・ウォレン牧師は「どんな歌を賛美するかが教会に来る人たちを決定する」と言いました。つまり、どんな人たちに伝道のターゲットをしぼるかによって賛美を選び方が違ってくるということです。説教も一方的で難解なものではなく、一緒に適用を考え、例話や証も入れても良いと思います。改革派の教会で、私のように説教に冗談を入れるならば追放されるかもしれません。最近は、礼典的な礼拝から祭典的な礼拝に変わって来ています。礼典的というのはカトリック教会や聖公会のように儀式的だということです。伝統的な礼拝は、プログラムにたくさんの項目があり、司会者が1つ1つ導くものです。会衆が立ったり座ったりするので、霊的な流れが中断するというデメリットがあります。それに比べて、祭典的というのは神さまを喜び、神さまをお祝いするというイメージがあります。詩篇を見ると、いろんな楽器を使い、手をたたいて賛美したり、踊ったりする礼拝が記されています。祭典的礼拝は、司会の代わりワーシップリーダーが前に立って礼拝を導きます。そのためワーシップリーダーには、技術や霊性が要求されます。重要なことは、みんなで神さまの前に出て、礼拝をささげるという心、「霊と真実」であることを忘れなければ良いということです。

 新しい皮袋の第二は教会の組織です。ローマカトリックは聖職者で構成され、階級制度がありました。一般信徒は教会の外に追い出され、神さまのところに直接行くことはできません。任命された司祭が神さまと信徒の間に立って祈ったり、導いたりするのです。ところが、16世紀マルチンルターが「万人祭司説」を唱えました。まことの仲介者はイエス・キリストであり、私たち一人一人は祭司なんだということです。聖職者と信徒の区別はなく、だれでもが神の前に出て、奉仕ができるということです。残念ながら、プロテスタント教会が聖書的になったかというとそうではありません。万人祭司と言いながらも、教職者制度は残りました。教会はこの世と同じ組織を作り、会議を開いて決めます。民主政治は多数決であり、人間が主役になっています。しかし、キリスト教会は神性政治です。教会のかしらはイエス・キリストであり、私たちは祈って聖霊に聞き従うべきなのです。私は1996年頃から、セルチャーチを導入しました。祈祷会や家庭集会、青年会や婦人会、壮年会、各部会をすべてなくして小グループにしました。牧師の権威を返上し、できるだけフラットになるようにしました。数年間は機能していましたが、しばらくたってセルにいのちがなくなりました。なぜかというと、かたちで入ったからです。しかも、丸投げでリーダー訓練をほとんどしていませんでした。紆余曲折はありましたが、現在はたくさんの小グループが自主的に奉仕を請け負って活動しています。従来の教会は使命で行いました。牧師と一部の献身者たちが一生懸命働きました。しかし、聖書を見ると、教会はキリストのからだであると書かれています。からだの器官は、神さまはがされています。教会にとって最も重要なのはことのです。マタイ1618「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」教会はイエス様のものであり、イエス様ご自身が教会を建てるということです。ですから、私たちはかしらなるキリストに聞いて行けば良いのです。

 新しい皮袋の第三は教会のきまりや制度です。当時のユダヤ教にはモーセの律法と儀式、そして伝統的な因習がありました。たくさんの宗教的な規則や因習があり、一般の人たちはそれが重荷でした。イエス様はたくさんの律法を「神を愛することと、隣人を愛すること」の2つにまとめました。使徒パウロの頃になると、たった1つになりました。ガラテヤ514「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という一語をもって全うされるのです。」アーメン。私たちはガラテヤ書から良く学ぶ必要があります。なぜなら、教会は律法主義に逆戻りする可能性があるからです。今日のある教会は、きまりにきまりを加えて、身動きできない教会になっています。ガラテヤの教会をみますと、はじめは「信仰によって救われる」というパウロの福音に根差していました。ところが、ユダヤ教から救われた人たちがやってきて、モーセの律法を守り、割礼を受けなければ救われないと言い出しました。パウロは「恵みによって救われたのに肉で仕上げるのか」と怒りました。肉というと悪いイメージがありますが、美しい肉もあるのです。肉には宗教性があります。神さまに近づくためにいろんな条件を付けます。たとえば、日曜日には男性はスーツにネクタイ、女性はワンピースでなければならない。ジーパンやぞうりなんどとんでもない。酒やたばこはもちろん、映画やダンスもだめ。聖日礼拝を厳守し、10分の1献金は当たり前、祈祷会や奉仕には必ず参加する。神を第一にするということは、教会を第一にするということである。牧師を尊敬し、牧師の言うことに喜んで従う。最後の部分は良いかもしれませんが、こういう律法主義的な文化が外国から入ってきました。宣教師に悪気はなかったのですが、イエス様がおられた頃のユダヤ教に逆戻りしていたのです。もちろん、色んな人が集まっているのですから、最小限のきまりは必要です。しかし、ガラテヤ書には何と書いてあるでしょう。ガラテヤ51「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」アーメン。使徒パウロは肉に対して、律法は全く役に立たないと言っています。ですから、教会がたくさんのきまりを作っても、この世と同じで、隠れた所で罪を犯します。ガラテヤ51618「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。…しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。」そうです。律法ではなく、御霊によって歩むことが大切なのです。

 結論的に、教会が新しい皮袋を保つ秘訣とは何なのでしょうか?それは、「本質は何か」ということをたえず追求するということです。また、新しいふどう酒であるキリストの福音によって与えられた力といのちに満たされているということです。言い換えるなら、イエス様の十字架のあがないをかけがえのないこととして感謝しているということです。十字架の贖いこそが、私たちが義とされて、御国で生きられることの根拠です。『十字架の他に誇れるものなし』という賛美があります。私たちはどのように神さまの前に出るでしょうか?自分の良い行いでは全く不可能です。ある人は「悔いた心でなければならない」と言うかもしれません。でも、罪の悔い改めが徹底しているなら神の前に出られるわけではありません。十字架の贖い、キリストの血によってであります。このことを意識するならば、私たちの生活の良し悪しは関係ありません。宗教は私たちにいろんなことを要求するでしょう?罪があるかないか、正しい行いをしているかどうか問うでしょう。神の前に出るためには、どんな賛美が良いのか、どんな服装が良いのか問うでしょう。しかし、そのようなことはどうでも良いことです。一番重要なのは、新しいぶどう酒である、キリストの福音に感動しているかどうかです。十字架の他に誇れるものはないのです。

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