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2016年8月26日 (金)

十二使徒の任命 マタイ10:1-15 亀有教会牧師鈴木靖尋 2016.8.28

 1ダースは12です。時計の針も12まであります。干支の数も12です。聖書で12は特別な数字です。旧約聖書を見るとわかりますが、イスラエルの部族は12でした。イエス様が12人の弟子を特別に選ばれたのは、新しいイスラエルを考えていたからではないでしょうか?12人のそれぞれの資質を見ますと、「私たちにもなれそうなのではないか」という励ましを受けます。

 

1. 十二使徒の任命 

 イエス様は多くの弟子たちの中から、12人を特別に選びました。そして、彼らを「使徒」とお呼びになりました。ギリシャ語で使徒は、「派遣された者、使者」という意味です。12人というのはイスラエル部族の数ですから、イエス様は新しいイスラエルを作るという計画があったのでしょう。ところで、神学的に教会はギリシャ語でエクレーシアと言いますが、その当時は違った意味がありました。王様が新しい国を作るとき、何を最初にすべきでしょうか?まず、自分と一緒に国を治める大臣を国の中から招集する必要があります。軍事や外交、財政、法律、商業、産業、建築、学問などを司る大臣が必要です。当時は王様と大臣たちによって構成されたグループをエクレーシアと呼んだようです。そうなると、イエス様と12人の弟子たちこそが、神の王国のエクレーシアということができます。神学的には、イエス様と12人を教会の原型(プロトタイプ)であると言われています。イエス様は12人が王国の働きができるように、特別な力と権威を与えました。マタイ121節を日本語の聖書を読むと、2つの文章に分かれています。権威という言葉が、汚れた霊どもを制することだけにかかってるように思えます。しかし、原文も英語の聖書も121節は1つの文章になっています。直訳するとこうなります。「それから、イエスは12弟子を呼び寄せて、そして、汚れた霊どもを追い出し、あらゆる病気を癒し、あらゆるわずらいを癒すために彼らに権威を与えられた」となります。権威という言葉が、3つのミニストリーにかかるということです。後で、彼らは短期宣教に遣わされますが、イエス様から与えられた権威によって、それらのことを全うすることができたのだと考えられます。

 102-4節まで、12使徒の名前が記されています。このリストを見ますと、いろいろなことを考えることができます。第一はほとんどが一般的な人であったということです。学問のある人や身分の高い人はいません。半数がガリラヤの漁師です。まず、ペテロと呼ばれるシモンです。彼の本名はシモン(葦)でしたが、イエス様からペテロ(岩)というギリシャ語名が与えられました。「お前は葦ではなく、岩なんだ」ということです。彼は弟子たちのリーダー格でありましたが、イエス様を三度も知らないと裏切ってしまいます。シモンの兄弟アンデレは明朗活発な人でした。ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、イエス様から「雷の子」というあだ名が付けられました。すぐかっとなるタイプだったのでしょう。バルトロマイはピリポと一緒に出てきますので、別名ナタナエルかもしれません。トマスは疑い深くて、復活を信じることができませんでした。マタイはローマのもとで暴利をむさぼる元取税人でした。タダイはほとんど活躍していません。ただいるだけです。熱心党員のシモンは国粋主義者でローマの転覆を狙っていました。最後に、「イエスを裏切ったイスカリオテ・ユダ」と書いてあるとおり裏切者です。これらの人たちは、考えや性格が全く異なっています。気質から分けると、ペテロは多血質、ヨハネは粘着質、ヤコブは胆汁質、トマスは憂鬱質かもしれません。思想的に言うと、取税人マタイは親ローマで熱心党員のシモンは反ローマです。12弟子たちはイエス様が十字架にかかる直前まで、だれが一番偉いか争っていました。イザヤ書11章は御国の預言をしています。イザヤ11:6「 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。」彼らは敵対しそうな者たちでしたが、イエス様の傍では仲良くしていました。この集団は後代の教会の縮図であろうと思います。様々な職業も、いかなる気質も、どのような階級も、どのような党派の人もイエス様は引き寄せておられます。そして、イエス・キリストのもとに来るとき、all one in Christキリストにあって1つになることができるのです。

 なぜ、イエス様はわずかな人たちをご自分のもとに集められたのでしょう?私の頃の学校は1クラスが40人前後でした。効率の点から考えると12人は少ないように思えます。マルコ3:14 「そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き…」とあります。「身近」というのは、とても良い訳です。ギリシャ語ではメタという前置詞ですが、「間にまじって」「一緒に」「共に」という意味があります。物理的な関係ではなく、人格的な交わりがあるということです。もし、40人対1となると、一人一人との関係が浅くなります。学問的な知識は与えることはできても、「生き方」とか「生き様」みたいなものは伝えられません。おそらくイエス様は12人の使徒たちと寝食を共にしながら、いのちに関わることを伝授していったのではないかと思います。日本でも師匠と弟子という関係がありますが、それと近いかもしれません。サラン教会の玉(オク)師は「小グループで集まることの利点」ということをある本で述べておられます。第一、自己を開放することが容易であり、霊的成長のためにとても良い。第二、相互の学習によって、自分が人にとって自分が大切な存在であると発見する。第三、指導者ばかりでなく、グループ内の人を見習うことができる。このような説教の場では、私が一方的に会衆に向かって話をしています。しかし、中には私を見ていながら、他のことを考えているかもしれません。また、1つのことが理解できないために、先のことが頭に入らないかもしれません。でも、小グループでこのテーマについて、話し合ったらどうでしょうか?いろんな考えが出てきて、衝突するかもしれません。しかし、「ああ、そうなのか?」と深く理解することもできるでしょう。また、頭だけではなく、心の問題も分かち合うことができ、生活に変化をもたらすことができるでしょう。イエス様が12弟子を身近に置いたのは小グループで訓練することの利点を知っていたからです。イエス様ですら12人しか訓練できなかったのですから、私たちはどうなのでしょうか?大量生産を考えてしまいますが、キリストの弟子を作るためには少人数から始めるべきだということが分かります。イエス様は彼らと親しく交わりながら、生きた知識を与え、本当の弟子にして行ったのです。

2. 十二使徒の短期宣教

 前回、イエス様のミニストリーが三つあると申し上げました。第一は教え、第二は福音宣教、第三は病の癒しであります。これまで弟子たちを伴って、これらのミニストリーをなさって来られました。ところが、働きが拡大して、イエス様お一人では負いきれなくなりました。マタイ937-38そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」イエス様はご自分の働きを拡大し、また継承する必要がありました。そのため12使徒を選ばれた後、短期宣教に遣わしました。短期宣教ですから、「使徒の働き」にあるような全世界に向けての宣教でありませんでした。ですから、マタイ10章には、特別なこと、例外的なことが書かれています。まず、この時の宣教は、イスラエル(ユダヤ人)に限られていたということです。イエス様は「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。」と命じられました。これは、旧約聖書と連続性を持たせるために、イエス様の福音がまずイスラエルから始めなければならなかったからです。全世界に出て行くのは、十字架と復活の後であります。次には、「余分なお金や余分な下着、くつ、杖も持たないように」と言われています。これは旅行が短かったせいもありますが、弟子たちが学ぶべき課題も含まれています。イエス様は「働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです」と言われました。使徒パウロはコリント人への手紙の中で「もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。」(Ⅰコリント911と言っています。余分なお金を持たない中で、必要が与えられるのかということは、信仰の訓練であったと思われます。

 私が聖書学院で聴講していた頃、夏季伝道というのがありました。確かその時だったと思いますが、久保有政インターン生と上原神学生の二人が、山梨と神奈川の県境(たぶん道志村)に短期宣教に出かけました。ものすごい田舎で、渓谷のあるところです。本当に、お金を持たないで、家々を訪問して、福音を宣べ伝えに行きました。すると村の人が納屋に泊めさせてくれたり、ご飯を食べさせてくれたそうです。1週間ほどやってみて、本当に必要が与えられたそうです。最後は無事に座間キリスト教会にたどり着きました。大川牧師がとても感心され、その夜、二人にご馳走してあげたそうです。私はその証を後から聞いて、「聖書の物語を地で行くなんてすごいなー」と感動しました。私も1999年に韓国から来た牧師と5日間、宇都宮に短期宣教に行きました。寝袋持参で、訪問伝道と路傍伝道をしました。2つの教会にお世話になり、宿泊も食事も与えられました。そのとき、確かに神さまが生きて働いておられることを体験しました。しかし、あまりにストレスがかかり、「私は宣教師には向いていないなー」と思いました。おそらく、12使徒も不安と恐れがあったのではないかと思います。

だから、イエス様はこのように言われました。マタイ1016「わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」と。でも、「病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアト(らい病人)をきよめ、悪霊を追い出しなさい」というのは、いささか過激ではないでしょうか?よっぽどの信仰がないと無理なような気がします。果たして、このようなことを彼らはできたのでしょうか?「弟子たちは、ペンテコステの聖霊を受けていなかったのでできなかったのでは」という考えがあります。でも、101節で「イエス様が弟子たちに権威をお授けになった」と書かれているので、その時はできたのではないかと思います。でも、それは一時的であって、できないときもありました。たとえば、イエス様と3人が変貌の山から下りてくると、残りの9人が悪霊を追い出せないために恥をかいています。イエス様は「いつまであなたがたに我慢しなければならないのでしょう」(マタイ1717と嘆いておられます。とにかく、いろんな失敗を重ねながら体得していったと思われます。このようにイエス様は未経験な弟子たちを伝道に遣わしました。うまくいったときもあったでしょうが、失敗した時もあるでしょう。有頂天になるときもあれば、がっかり落ち込むこともあったでしょう。でも、そういうことを通過しながら、体験的に学んで行ったのではないでしょうか。医学においても、研究論文と臨床実験がかみあっていなければならないと言われています。科学においても、前提になる理論と実験による証明が必要です。キリスト教会においてはどうでしょうか?どうしても教理が重要視され、実生活がなおざりにされるところがあります。簡単に言うと、頭ではわかっていても、生活がついていかないということです。「信仰と生活」と言うように、2つを分けて考えてはいけません。「信仰生活」と1つになる必要があります。

イエス様は自分が教えたことを弟子たちに実際にやらせてみました。あるところはうまくいって、あるとことはうまくいかなかったでしょう。その後、イエス様はどうしてうまくいかなかったのか、教えたのではないでしょうか?そうすると、「次からはこうしよう」とステップアップすることができます。伝道も、全くそのとおりだと思います。イエス様の福音を人に伝えるということは容易ではありません。救われたときは、友人や家族に熱心に伝えたと思います。しかし、冷や水を浴びせられ、「うまくいかないな」とがっかりさせられます。10年もたつとあのころの熱心さが冷めて、伝道しようとも思わなくなります。自分の信仰を守ることがせいいっぱいで、他の人に伝えるまでいかないとしたら残念なことです。私たちは新聞やテレビで、いろんな化粧品やサプリメント、健康器具のCMを見ます。そこには実際使ってみて効果が上がった人たちの体験談があります。小さな文字で「人によって効果が異なります」と断っていますが。でも、もし、それが自分に合って、効果があったらどうでしょうか?自分と同じことで悩んでいる人に、「こういうものがありますよ」と紹介したくなるでしょう。なぜなら、自分の中に喜びや自信があるからです。福音も同じで、イエス様を信じてから変えられたことを自分のことばで証することから始まります。もちろん、試行錯誤や失敗はつきものです。でも、それらを乗り越えて、マスターしていくのではないでしょうか?一度や二度の失敗にめげないで、福音を宣べ伝えてきましょう。

3.宣教の戦略

 最後に宣教の戦略strategyが記されています。マタイ1011-12「どんな町や村に入っても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。」とあります。ルカ10章には「もしそこに平安の子がいたら」とも書いています。言い換えると、イエス様は「やみくもに家々を渡り歩くのではなく、特定の家に留まりなさい。その家とは平安の子がいる家である。その家を拠点として村や町の人々に伝道しなさい」と教えておられると思います。この戦略は使徒パウロも用いています。パウロは幻を見て、マケドニヤに渡りました。ヨーロッパ宣教の始まりであります。ピリピに行くと祈り場があり、集まった女性たちに話しました。使徒1614-15「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。ルデヤは福音書で言われている「平安の子」です。パウロは彼女の家に泊まって、ピリピの町で宣教を開始しました。すばらしいことに、パウロが福音を語ったら、主が彼女の心を開いてくださったのです。そして、彼女の家が伝道の拠点になりました。もし、私たちが1つの町を福音化したいなら、まず1つの家を拠点とするべきであります。現代は教会が伝道の拠点になっていますが、みんな遠くからやってきます。実際は別の町に住んでいるのに、礼拝だけ教会のある場所に行きます。しかし、それだと教会に人々を連れてこなければなりません。それよりも、家が伝道の拠点であったならどうでしょうか?札幌に手稲教会がありますが、手稲の町に美しい教会堂があります。しかし、彼らはそれぞれの家を開放して、地域の人が平日集まれるようにしています。それを「家の教会」と呼んでいます。教会は敷居が高いけれど、家の集まりだったら行けるという人がたくさんいます。これはすばらしい伝道方法です。

私もセルチャーチを行う前は、家庭集会を最高10か所くらい持っていました。ギターを抱えていろんな家を訪問しました。セルチャーチの考え方は、信徒リーダーを任命してゆだねることでした。私は信徒リーダーを育てないで丸投げして失敗しました。十数年、私は「伝道しましょう」というメッセージをあまりしてこなかったなーと思います。私自身が伝道していないという負い目があるからかもしれません。昨年、この教会を会場にしてセルチャーチの集まりがありました。司会者が「伝道という言い方が嫌いな人は?」と聞いたら、私と家内が手をあげました。逆に「伝道が好きな人は」と聞いたら、当教会から出席しているメンバーのほとんど手をあげました。普通は逆なのではないかと思います。私と家内は神学生の頃、半強制的に伝道をさせられたので、伝道と聞くと恐れを抱きます。本来なら魂が救われることほどすばらしいことはありません。断食もそうですが、伝道も辛かった経験があると、それがトラウマになるのかもしれません。そして、「伝道しなければならない」と律法主義的になるとさらに、伝道できなくなります。もし、伝道には戦略があるんだと考えるならどうでしょうか?イエス様は「やみくもに家々を渡り歩くのではなく、特定の家に留まりなさい。その家とは平安の子がいる家である。その家を拠点として村や町の人々に伝道しなさい」と教えました。西洋のキリスト教は、個人主義です。一人一人が神さまにつながって入れば良いという考えです。でも、聖書を見ると個人よりも、家族まるごと救われるケースがよく書かれています。言い換えると、一人ではなく家族ごとが一単位です。さきほどのピリピのルデヤですが、「彼女も、またその家族もバプテスマを受けた」と書かれていました。1年後ではありません。おそらくその日に家族全員がバプテスマを受けたのだと思います。その後、パウロとシラスは迫害を受けて牢獄に入れられます。真夜中、大きな地震が起り、看守が「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と聞きました。使徒1631-33ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。アーメン。おそらく、看守とその家族は、その夜、バプテスマを受けたのだと思います。このように聖書には、一個人ではなく、家族丸ごと救われるケースがたくさん記されています。

 私たちは自分が救われてそれで終わりではなく、自分の家族全員が救われるのが当然なんだと信じるべきであります。もし、あなたが家族で最初に救われた人物であるなら、あなたが「平安の子」ではないでしょうか?「平安の子」はその家族を照らす、燭台(ランプ)みたいなものです。家族に神さまの祝福を運ぶため、そして救いをもたらすために神さまによって選ばれた人です。どうぞ、自分ひとりが救われたことに満足するのではなく、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」というところまで行くんだと信じましょう。ヨシュアはこのように祈りました。「私と私の家とは、主に仕える」(ヨシュア2415アーメン。私の4人の子供たちはイエス様を信じて洗礼を受けました。信仰は持っていますが「主に仕える」というところまでは行っていません。私は子どもたちが「イエス様を愛する人になるように。どんな職業であっても、主に仕えることができるように」と祈っています。何年か前に、ニューホープのセミナーに参加したことがあります。ウェンコディーロ牧師がハワイから来られていました。最後の祝祷が、「私と私の家とは、主に仕える」という賛美でした。私たちは「主の祈り」ですが、あの賛美もすばらしいなーと思いました。なぜなら、「たとえ今このところに来ていなくても、やがては一緒に集うんだ」という信仰が与えられるからです。そして、自分が家族の代表、「平安の子」として来ているんだという自覚が与えられるからです。イエス様の宣教の戦略は、町の中にある1件の家を拠点としていました。教会も伝道の拠点ですが、みなさんが住んでいる家が、その町の伝道の拠点であることを再発見しましょう。何よりも、あなたが「平安の子」であり、あなたの家に、地域に神の平和をもたらす器であります。「平安の子」として、家族を照らすことができるように自分を神さまにささげましょう。

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