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2013年11月10日 (日)

勇者ギデオン      士師記6:11-16 

 イスラエルの民は、カナンを占領した後、12の部族に領土を分けました。しかし、ヨシュアの死後、各部族は妥協し始めました。本来なら先住民を、全部、追い出すべきなのに、そうしませんでした。やがて、彼らがイスラエルの中に住み、結婚する人もいました。イスラエルは彼らの神々を拝み、主の目の前に悪を行いました。すると、主が敵対する民族を立ち上がらせ、領土を侵略させました。イスラエルは「私たちは罪を犯しました」と主に叫び求めます。すると、主は一人の解放者、つまり士師を起こして、イスラエルを救います。でも、また平和になると、イスラエルの民は罪を犯します。すると、敵が領土を侵略します。主に叫び求めます。士師を起こして救われます。こういうことが繰り返し起こるのが士師記です。きょうは、その中でも最も有名な士師の一人、ギデオンについて学びます。


1.勇士よ

イスラエル人たちが、主の前に悪を行ったので、主は7年の間、彼らをミデヤン人の手に渡しました。イスラエル人は、ミデヤン人を恐れ、山々にある洞窟や、ほら穴、要害に隠れました。収穫の時になると、ミデヤン人とアマレク人が地の産物を何もかも奪い去って行き、家畜の餌さえも残さないほどでした。民が自分たちの罪を悔い改め、主に叫び求めました。すると、主は一人の解放者をお立てになられました。あるとき、主の使いがギデオンの前に現れました。しかし、彼はミデヤン人からのがれて、酒船の中で小麦を打っていました。音を立てずに、こっそりと食糧を確保していました。主の使いが彼の前に現れ、「勇士よ。主があなたと一緒におられる」と言いました。ギデオンは「まさか、私のことではないでしょう」と思いました。主の使いは「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人かの手から救え。私があなたを遣わす」と言いました。ギデオンは何と言い訳したでしょう?「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」主がギデオンに「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう」と言われました。すると、ギデオンは「どうかしるしを、私に見せてください」と願いました。最初は、「羊の毛の上だけに露が降りて、土全体がかわいたなら受け入れます」と言いました。主はその願いに答えられました。次は、「羊の毛だけがかわいていて、土全体には露が降りるようにしてください」と願いました。すると、主はそのようにしてくださいました。

ギデオンは臆病者で、とても疑い深い人でした。神さまがこういう人を勇者として用いるなら、だれでも用いられるとは思いませんでしょうか?神さまは、まず、ギデオンのセルフ・イメージを変える必要がありました。ギデオンは自分ことをどう思っていたでしょうか?彼は「ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです」と言いました。「ご存知のように」とは、自分だけではなく、他の人たちも十分に認めているということです。イスラエルの12部族の中にマナセがいました。これは、ヨセフから生まれた部族です。彼の分団、つまり氏族は最も弱いということです。そして、ギデオンは父の家で一番下の子どもでした。おそらく、ギデオンの氏族は「俺たちはマナセうちで最も弱い」と言っていたのでしょう。だから、ギデオンもそう思っていました。さらに、父や兄たちは「ギデオンは小さくて、一人前じゃない」と言っていたのでしょう。だから、ギデオンもそう思っていました。主の御使いは、彼に何と言ったでしょうか?「勇士よ。【主】があなたといっしょにおられる。」と言いました。神さまは人を見る目がないのでしょうか?臆病でセルフ・イメージの低いギデオンを「勇士よ」と言われました。口語訳の聖書は「大勇士よ」となっています。ある英語の聖書は、O valiant warrior「勇敢な戦士よ」という意味です。世の中の多くの若者は、ゲームにはまっています。「モンスター・ハンター」という怪獣を剣1本で倒す勇敢な戦士がいます。しかし、彼らは仮想の世界では勇士かもしれませんが、自分のことを本当に勇士だとは思っていないでしょう。私たちは人からではなく、神さまご自身が私を何と見ているか、何と評価しておられるかということを知らなければなりません。

ギデオンはこのままだと、「最も弱い氏族の、最も年若い」臆病者で終わります。しかし、突然、主の御使いがギデオンの前に現れ「勇士よ。主があなたといっしょにおられる」と言いました。ここで、「いやいや、私はそんな者ではありません。私がイスラエルをミデヤン人から救いことなどできません。人違いです」と言い続けたならどうでしょう?主は他の人をお立てになられるでしょう?でも、ギデオンはしるしを求めながらも、主のおことばを信じました。ギデオンの信仰よりも、神さまの信仰の方が大きかったのです。神さまが「ギデオンは臆病者ではなく、本当は勇士なんだ。私はギデオンと共にいてイスラエルを救おう」とお決めになったのです。しかし、ギデオン自身も「自分は臆病者ではなく、勇士なんだ」と思う必要がありました。この後、主は「あなたの父が持っているバアルの祭壇を取り壊し、そのそばのアシェラ像を切り倒せ」と命じました。ギデオンは一人ではできないので、しもべの中から10人集めました。また、昼間はできないので、夜それを行いました。翌朝、町の人たちは、「だれがこんなことをしたのだ」と怒りました。彼らは、ギデオンの父のところに行って「あなたの息子を引っ張り出して殺しなさい」と言いました。父は彼らに「バアルが神であるなら、自分で争えば良いのだ」と言いました。ギデオンは町の人たちから「エルバアル」と呼ばれました。エルバアルとは「バアルと争う者」という意味です。日本で言うなら、家の大きな仏壇を壊すか、あるいは町の祠を壊すということです。ギデオンは父から「親不孝者」と呼ばれることも、町の人々から「厄介者」と呼ばれることも恐れませんでした。ギデオンは「私は、本当は勇士なんだ」という、信仰が目覚めてきました。

私たちは親からどのように言われて育ったでしょうか?兄弟たちから、どのように言われて育ってきたでしょうか?学校に入ってから、先生からどのように言われたでしょうか?友人と呼べない人たちからどのように言われたでしょうか?会社に入って上司からどのように言われたでしょうか?また、自分がこれまで失敗したこと、挫折した経験によって、自分はどのような人であると思っているでしょうか?おそらく、10人中9人は、「自分は弱くて小さな者である」と思っているのではないでしょうか?「私は三流で、とても一流にはなれない」と思っているのではないでしょうか?私も高校生のとき、ボクシングの試合で敗れてからひどい挫折感に襲われました。たった1回の試合が私に大きなダメージを与えました。インドネシアの解放のキャンプに行ったとき、驚きました。その集会は「チャンピオン・ギャザリング」という名前でした。チャンピオンたちが集まる集会です。「ああ、ほど遠いなー」と思いました。また、最近はジョエル・オースチンのビデオを見ていますが、その始まりで「チャンピオンのための説教です」と歌っています。「ええ、まさか」と思いました。私はどこかで「自分は負け犬であり、どう頑張ってもチャンピオンになんかなれない」と思っていました。しかし、そうではありません。私たちは聖書から、神さまが私たちをどう評価しておられるのか聞かなければなりません。ヨエル3:10「弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ」とあります。私は弱い、人々も私を弱いと思っているだろう。しかし、神さまは弱い者に「『私は勇士だ』と言わせよ」と命じておられます。これは、自分が自分をどう思っているかということではありません。また、「どうか私を強くしてください」と、祈りなさいということでもありません。「もう、あなたは勇士なんだから、『私は勇士だ』と言え」ということです。「あなたはチャンピオンなのだから、『私はチャンピオンだ』と言いなさい」ということです。「あなたは一流でエクセレントなのだから、『私は一流でエクセレントだ』と言いなさい」ということです。思うだけではありません。祈るのでもありません。主がおっしゃるとおり宣言せよということです。主のことばどおり宣言するなら、思いが変えられ、感情や、行動が変えられるのです。

箴言18:21「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる」とあります。親が言うように、先生が言うように、人々が言うように「私は弱い、みじめな存在である」と言うならどうなるでしょう?本当に弱くてみじめな存在になります。多くの人は、サタンが人々を通して言ったことばをそのまま信じて、口に出しています。だから、その人の人生がそうなります。まさしく、「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる」のです。では、どうしたら良いでしょう?詩篇27:1「主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。」アーメン。ヘブル13:6「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」アーメン。弱い人は「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」と言うべきです。また病の人は「キリストの打ち傷のゆえに、癒されました」と言うべきです。必要を覚えている人は「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」と言うべきです。主は「あなたの言ったとおりになるように」とおっしゃいます。


2.攻め下れ

いよいよミデヤン人と戦うことになりました。敵のミデヤン人には13万5000人の兵士がいました。一方、イスラエルには3万2000人しかいません。主はギデオンに「あなたと一緒にいる民は多すぎるから、私はミデヤン人を渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、私に誇るといけないから」と言いました。ギデオンは主から言われたように、「恐れ、おののく者はみな帰りなさい」と言いました。すると、民のうちから2万2000人が帰って行き、1万人が残りました。すると、主はギデオンに「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水のところに下って行け。私はそこで、あなたのために彼らをためそう」と言われました。そこで、ギデオンは民を連れて、水のところに下って行きました。民たちは、言われたとおり、水辺で水を飲みました。ある者は、犬がなめるように、舌で水をなめました。つまり、口に手をあてて水をなめました。また、ある者は、ひざをついて水を飲みました。主は「手で水をなめた300人で、私はあなたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ」と言われました。どういう意味でしょうか?ひざをついて水を飲むとは、顔を下に向けて水を飲むということです。一方、口に手をあてて水をなめるとは、前方を向いているということです。つまり、敵がいつ責めてきても良いように臨戦態勢を取っているということです。そうやって、水を犬のようになめた人はたったの300人でした。なんと、9700人の人たちは、家に帰らされました。うあー、たった300人だけが残されました。これが、「ギデオンの300人」と言われる勇士たちです。

その夜、主はギデオンに「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから」と仰せられました。そこで、ギデオンともう一人が、陣営に偵察に行きました。そこには、ミデヤン人や、アマレク人、東の人々がみな、いなごのように大勢、谷に伏していました。そのらくだは、海辺の砂のように多くて数えきれないほどでした。ギデオンがそこに行ってみると、一人の者が仲間に夢の話をしていました。「私は今、夢を見た。見ると、大麦のパンのかたまりが1つ、ミデヤン人の陣営にころがって来て、天幕の中にまで入り、それを打ったので、それは倒れた。ひっくり返って、天幕は倒れてしまった」。すると仲間は「それはギデオンの剣にほかならない。神が彼の手にミデヤンと、陣営全体を渡されたのだ」と言いました。ギデオンがその夢と夢の解き明かしを聞いて、確信を持ちました。ギデオンは300人を三隊に分け、全員に角笛とからの壺とを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れされました。まことに、変な戦い方であります。彼らは、からの壺にたいまつを灯して、こっそりと陣営の端と端を取り囲みました。ちょうど、夜中の番兵が交代したばかりでした。三隊の者が角笛を吹き鳴らして、壺を打ち砕きました。それから、左手でたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫びました。陣営の者たちは、みな走りだし、大声を上げて逃げました。300人が角笛を吹き鳴らしている間に、主は陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされました。なんと、彼らは暗闇の中、パニックになり、同士打ちをしました。そして、恐れて逃げました。ギデオンはイスラエルの部族に使者を送り、ミデヤン人を追撃させました。中には協力しない人たちもいました。しかし、ギデオンと彼に従う300人は追撃の手をゆるめませんでした。ギデオンたちはミデヤン人の王たちを捕えました。そして、ギデオンたちのおかげで、イスラエルが勝利しました。

戦い方は非常に幼稚なように思えます。しかし、どんな方法でも良いのです。一番重要なことは、「主が敵をギデオンに渡された」ということです。ギデオンと300人も戦いましたが、一番、戦ったのは主ご自身であります。主が彼らに恐れを与え、彼らが同志打ちするようにされました。数で言うなら、敵の方が圧倒的にまさっています。13万5000人というのが本当であるならば、2万2000人ではかないません。主は「それでも多い。恐れおののく者は家に帰らせよ」と言われました。なんと1万2000人が帰り、1万人だけが残りました。もし、私がギデオンだったならば、「えー?」と頭を抱えていたでしょう。しかし、主はそれでも多いということで、水辺で試験させ、たったの300人だけが残りました。13万5000人対300人です。神さまにはお考えがありました。イスラエルの民が「自分の手で自分を救った」と言って、神さまに誇るといけないからということです。もし、300人で勝利したのであれば、完全に人間の力ではできません。ということは、「神さまご自身が戦う、神さまが救ったのだ」ということを知らしめるためであったということです。私たちはどうでしょうか?日本のクリスチャン人口は1%に達しません。30年くらい前にこういう戦略が言われました。ファックスでも自分ひとりでは、ダメで、相手がいなければならない。5%、いや10%普及したなら、どんどん増えると言いました。「同じように、クリスチャン人口が10%に達したら、なだれ減少が起こり、日本人はみなクリスチャンになります。だから、1000万人の救霊を目指すべきです」とある人が言いました。なぜなら、日本人の多くは、横の人たちを見て決めるからです。「あれ、あなたまだ、クリスチャンでないの、流行におくれるよ」と言われたら、「ああ、そうですか。私もクリスチャンになります」。確かにお隣の韓国は25%、中国も台湾も10%前後でしょう。しかし、日本だけが取り残されてしまいました。

キリスト教会の多くは、「2000年まではリバイバルが来る」と本当に信じていました。しかし、今年は2013年です。日本のキリスト教会全体に失望落胆の空気がたちこめています。「何をやってもダメだった」という気持ちです。今は神学校に行く人たちが本当に減っています。牧師になる人がいません。また、地方では牧師の高齢化が進み、3つか4つの教会が合併せざるを得ません。私自身も弟子訓練をしても、セルチャーチをしても、うまくいかなかったので、次の手が出ないというところです。しかし、今では、神さまのリバイバルは突然、やってくると信じています。詩篇126篇にこのようなみことばがあります。詩篇126:4 「主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」砂漠を流れる川は、ワジと言って、ふだんは水が流れていません。しかし、雨が降ると、突然、激流のように流れます。この夏、日本でも各地で豪雨が降り、川が氾濫したことが何度もありました。全く、望みのないようなところに、突然、主のみわざが起こるということです。きょうは、数ではないということを学びました。まず、神さまは一人の男性、ギデオンを選びました。彼は元来、臆病者であり、自分でも「最も若くて、小さい者だ」と思っていました。ところが、主の使いが

ギデオンに現れ「勇士よ。主があなたと一緒におられる」と言いました。主は、あえて、弱そうなギデオンを選ばれたのです。さらに13万5000人もいるミデヤンに対して、どのくらいの数で戦わせたでしょうか?1万人でも少ないのに、たったの300人です。パーセンテージで言うと、なんと0.22%です。日本の人口にたとえたなら、280万人くらいのクリスチャンで良いということです。いくら少なくても、それくらいはいると思います。イエス様は世界を変えるために、たった12人の弟子を選ばれました。ペンテコステの火、聖霊を受けた人たちは120人でした。彼らは迫害を恐れずに福音を宣べ伝えました。やがて、アンテオケ教会から異邦人に向けて宣教師が派遣されました。使徒パウロたちによって、ヨーロッパまで福音が伝えられました。本当に、最初はからし種のような存在でしたが、やがてヨーロッパをひっくり返しました。

では、重要なことは何なのでしょうか?クリスチャンがちゃんとしたキリストの弟子になるということです。ギデオンの300人とは、新約聖書的に言うなら、キリストに命をささげたキリストの弟子たちのことであります。今は「弟子」ということばは、あまり使われません。弟子とは十字架を負ってキリストに従う者であります。何をするにしても、どこへ行くにしても、「キリスト」「キリスト」と言っている人です。現代の私たちは、命を懸けるものがほとんどありません。「命がけ」ということばも、あまり使われません。そういうことばを使わなくても、良いと思いますが、キリストを中心として生きる人が、キリストの弟子だと思います。数も重要ですが、まず、私たちがギデオンの300人になる必要があると思います。イエス様は「あなたがたは世の塩である」と言われました。塩はそんなに多くなくても良いのです。ただ、塩気のない塩は困ります。昔は岩塩と言って、石ころのような塩を紐でつるしておきました。それを鍋の中に、ちょぼ、ちょぼ浸しました。すると、岩塩が溶けて、塩味がつくのです。しかし、しばらくすると塩気のしない単なる石ころになります。そうすると、主婦は道端にそれをポイと捨てます。人々はそれを他の石と一緒に踏みつけるのです。おお、自分が塩気のあるクリスチャンかどうか、吟味する必要があります。福音を自分の中にだけしまっておいたならば、塩気のないクリスチャンです。私たちはギデオンのように、勇士であり、主が共におられる存在です。ですから、自分でも、「私は勇士であり、キリストの弟子である」と告白する必要があります。ハレルヤ!主は小さない者を用いて、大きなことをなされます。主は少ない人数を用いて、大勢を救われます。一人ももれることなく、ギデオンの300人、キリストの弟子になりましょう。


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