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2011年7月10日 (日)

泣き叫びなさい     ヤコブ5:1-6

本日のテーマは、みなさん全員にあてはまらない可能性がありますので、少しだけ、先週開かれた「JCMN関東コーチングセミナー」の証しをさせていただきます。浅草の東京ホープチャペルで「ネットワーク」という主題で学びました。JCMNというのは、ジャパン・セルチャーチ・ミッション・ネットワークの略ですから、それ自体がネットワークになっています。ネットワークと言うとどのようなことをイメージするでしょうか?まず、テレビ局が全国、ネットワークでつながっています。それから、私たちがよく使うパソコンのインターネットもネットワークです。今はフェイスブックというのがあり、瞬時に映像も送れたりして、若者たちの間ではやっています。ネットワークは21世紀の新しい組織です。では、キリスト教会はどうでしょうか?伝統的な教会は、自分の教団内だけで、関係を持っています。しかし、多くの場合、ピラミッド型です。何か要請された場合、こちらから報告をするみたいになっています。しかも、形式的で表面的です。当亀有教会は、教団から独立する手続きをしていましたが、13日の水曜日に都庁から申請が降りることになりました。私自身は、前からいくつかネットワークに属して、いろんな情報を得てきました。しかし、教団の中に属している先生方は、どうしても情報が偏るので、「自分のところが最高だ」みたいに思っています。今や、教団教派を超えた、ネットワークの時代が教会にもやってきました。

ネットワークの特徴は、ボスがいないということです。みんな網の目のようにつながり、1つ1つが中心です。そして、自分もその中にいなければ、ちゃんと情報が流れて行きません。また、ネットワークは従来の組織よりも、早くて、変幻自在です。教会においても、東日本大地震のとき、ネットワークが注目をあびました。一番、早く現地に行ったのが宣教師の団体です。ワールド・ビジョンやクラッシュジャパンに私たちも献金しました。その後、教団や教会が被災地に乗り込みました。自分の教会につながらなくても、物心共にささげました。必要なものが刻々変わるので、ネットワークがとても役立ちます。現地に行くと、何教会も何教団もなく、ただ、愛と福音の種を蒔きます。その中から、イエス様を信じる人が起こされているそうです。聖書に「蒔く者と刈る者は違っても、共に喜ぶ」という箇所があります。当教会でも南三陸町の歌津というところに行かれた兄姉がおられました。なんとか、魂の救いに繋がるように祈り求めていきたいと思います。今、本当に霊的に飢え渇きがあるようです。

では、「ネットワークというのが聖書にあるのか」と言うと、あります。Ⅰコリント12章に教会はキリストのからだであると書いてあります。からだの構造はまさしくネットワークです。消化器系統、呼吸器系統、骨格、神経、血管、リンパ腺、みなつながりあって、それぞれの働きをしています。教会で言うならば、かしらがキリストで、私たち聖徒がからだの器官です。器官を英語でメンバーと言います。私は「信徒」「信徒さん」ということばが好きでありません。教会員、あるいはチャーチ・メンバーです。Ⅰコリント12章には「目が手に向かって、あなたを必要としないと言うことができない」と書いてあります。また、「1つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しむ」と書いてあります。なぜなら、一人ひとりがからだの器官として、つながっているからです。当亀有教会も、聖書が言うキリストのからだなる教会を目指していきたいと思います。ネットワークは網目と似ていますが、大事なのは結び目と結び目どうしをつなぐ線です。結び目とは個人でありセルということができます。そのため個人個人が成熟する必要があります。また、結び目どうしをつなぐ線はコミュニケーションとか協力関係です。そして、ネットワークを妨げるものは、「自分だけが正しい。自分だけが優れている。だから、他の人に頼る必要がない」と言う考えです。孤立とか高慢、分裂分派は、からだなる教会にはふさわしくありません。たとえば、「私は心臓だから一番偉い。私はからだの外で、自分ひとりで頑張る」と言ったらどうなるでしょう?心臓がからだの外で動いていたら、空気しか送れません。やはり心臓はからだの中にあるとき、血液を送るポンプとして使命を果たすことができるのです。とにかく、当亀有教会は、みながかしらなるキリスト様に聞き従う、共同体でありたいと願います。

さて、ここからヤコブ書5章のメッセージに入りたいと思います。きょうの箇所を読んで、「ああ、私には関係ない。なぜなら、私は金持ちじゃないから」と思われたのではないでしょうか?でも、ほとんどの人は、「ああ、もっとお金があったらなー。できれば、お金持ちになりたい」と思っておられるのではないでしょうか?だれにでも、金銭欲や物質欲があります。「それにつけても、金の欲しさよ」というのは、必ず下の句としてくっつくようです。「古池やかわず飛び込む、水の音。それにつけても、金の欲しさよ」。「いや、私はそういうものはありません」という方がおられましたら、どうぞ教会におささげください。喜んでお受けいたします。

1.金持ちの限界

 金持ちに対する警告は、ヤコブ書の1つのテーマであります。この箇所でヤコブは金持ちに対して、富や財産には限界があること教えています。2節、「富は腐っており」と書いてあります。昔の富とは、麦、牛、羊、肉桂、香料、オリーブ油でした。その中には10年もたないものもあります。3節、「着物は虫に食われており」とあります。これはなんとなく分かります。昔は亜麻布、紫布、絹、緋糸とかいろいろありました。化繊だったらそういうことはありませんが、高級品ほど保存に弱いかもしれません。それから「金銀にさびが来て、そのさびがあなたがたを責める証言となる」とあります。金銀はさびることがないと思います。でも、その中に不純物があるとやはりさびます。聖書には「金すらも朽ちる」と書いてあります。その意味は、永遠ではないということです。ヤコブ書は終わりの日について言及しています。だから、3節に「あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました」と書いてあります。

 終わりの日とは、世の終わりの審判であります。ノアの時代の審判は大水でありました。でも、世の終わりの審判は、天から火が降ってきます。そうなると、富や着物が燃え、金銀ですらも熔けてなくなるでしょう。このたびの、東日本大地震で、多くの金庫が流されたそうです。テレビで、それが回収され、アイロンでお札をのばしているシーンを見ました。幸いなことに、いろんな証券が一緒に入っていたので、持ち主が分かったようです。でも、気仙沼のように流出した石油に火ついて大火災になりました。そうなると、鉄骨も飴のようになります。被災した人たちには大変気の毒ですが、ヨハネの黙示録をみますと、それが世界的規模になることが預言されています。黙示録8:7「雹と火が現れ、地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼けた」と書いてあります。また、福島の原発もなかなか納まりません。黙示録8:11「その星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一が苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ」と書いてあります。苦よもぎとは、チェルノブイリを示唆するものとして有名です。規模の差はあれ、世の終わり、そのようなことが現実に起こるのです。私たちは被災地が復興することを祈りながら、同時に、世の終わりに備える必要があります。

 私たちは富や財産、金銭を天国に持っていくことはできません。1坪の土地も、1円すらも天国に持ってゆけないのです。イエス様は福音書で、何とおっしゃっているでしょうか?マタイ6:19-20「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」アーメン。ある人たちは、子どもに財産を残すかもしれません。しかし、「児孫のために美田を買わず」とあるように、子どもに財産を残したために、かえってダメになる場合もあります。私が筑波学園都市で働いていた頃、40年近くなる昔話です。あの当時、筑波とか、鹿島などで土地を売った人がいっぱいいました。いわゆる成金というのでしょうが、子どもたちが外車を乗りまわし、仕事もしない。もう、すさんだ生活をした人がたくさんいたようです。そのようなお金は、ギャンブルとか遊びに使ってぱっとなくなってしまいます。そればかりか、1億円以上の財産を子どもたちが相続する場合、90%くらいは争議になるそうです。「こっちが少ない、そっちが多い」と争い、儲かるのは弁護士だけです。そういうことになる前にどうぞ、教会にささげてください。イエス様は「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」とおっしゃいました。お金を縁の下に隠していると、いつも地面を見るでしょう。下手にあると、心配で夜も眠れません。でも、天国にささげていたら、「ああ、いつか私のものになるんだ」と天に目を注ぐでしょう。天に宝を積む生涯こそが、お金と財産に支配されない、幸いな生き方です。

2.金持ちの罪

 金持ちたちは、自然に金持ちになったのではなく、あくどいこともしているようです。4節には「労働者への未払いの賃金」とあります。労働者の叫び声が、万軍の主の耳に届いているということです。5節は「地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけっている」とあります。6節には「正しい人を罪に定めて、殺した」とあります。その当時は、大地主がいたと思われます。代官たちとつるんで、小作人たちを苦しめていたのでしょうか?そういうことは、東洋も西洋も同じように思います。でも、一番、問題になるのはキリスト教会、つまりクリスチャンがそういうことに関わったかどうかであります。17世紀から20世紀まで、キリスト教国と言われる国が、未開発の国を植民地化した歴史があります。カトリックのスペインはどうだったでしょう?マヤ文明、アステカ文明、インカ文明といったアメリカの文明を破壊して金や銀を奪い、莫大な富をスペインにもたらしました。ポルトガルの場合は、南アメリカもそうですが、アフリカにも植民地を築きました。フランスはアフリカとカナダ、アジアの一部を植民地化しました。プロテスタントではイギリスがインド、アフリカ、オーストラリア、カナダ、そして中国にも進出しました。まさしく、大英帝国であります。オランダは西インド諸島を植民地化しました。最後に日本が彼らの真似をしたのです。

問題なのは、一応、キリスト教国と名乗る国が、海外に渡り、その国を支配したということです。その土地とその土地の産物を奪い、その国民を小作人もしくは奴隷のように使ったということです。もし、ヤコブ書5章がその当時、読まれていたならそんなことはしなかったはずです。私たちがおいしいとたべているチョコレートの原産はアフリカです。ココナッツを現地の人々が取って、それをヨーロッパが加工して高く売っています。私たちが食べているエビだって、どこか遠くの海のものです。フィリッピンのバナナは、大地主がすべての土地を所有しています。本来は国民の土地なのに、国民の土地じゃないのです。不条理、不合理を強いられています。支配した国がキリスト教国ですが、イコール、クリスチャンということかは分かりません。でも、聖書の教えや価値観が、政治まで及んでいなかったということは確かです。「聖書は聖書、生活は生活」、そういう考えが、搾取、侵略や戦争まで合法化していったのかもしれません。

ある教会はこういう不平等や差別をなくするために、社会運動をしています。当教会は福音的な立場なので、直接的な運動はしません。その代わり、聖書的な教えを人々に浸透させようとしています。聖書に「神さまご自身が不正をしている金持ちたちをさばく」と書いてあります。賃金をもらえない人たちが叫んでいます。その叫び声が万軍の耳に届いています。万軍の主という表現が旧訳聖書によく出てきますが、それは「敵を滅ぼす、戦いの神さま」です。だから、5節に「殺される日にあたって、自分の心を太らせました」と書いてあります。これは、肥え太った豚が堵殺場で殺されるという意味です。金持ちが、贅沢に暮らし、快楽にふけっているのは、太った豚になるのと同じだということです。このようにヤコブ書には金持ちに対して辛らつなことばが多数あります。よっぽど恨みがあったのか、神さまがそういう人たちが嫌いなのか、どちらかです。みなさんの中にそういう人がいるかどうか分かりませんが、人は金持ちになると傲慢になります。お金でなんでも叶えられると本気で思うようです。逆らう人には「だったら良いよ、他の人にやらせるから」みたいな首切りも平気にするでしょう。お金は大きな誘惑です。お金は人を狂わせます。ないときは、わかりませんが、一旦、持つと本性が現れます。私たちは富に対する罪を避けたいと思います。

3.お金にまどわされないために

 最後にお金に支配されないために、どうしたら良いでしょうか?何度か引用したことがありますが、こういうイギリスの古い格言があります。「お金は悪い主人ではあるが、良いしもべである。」もし、あなたがお金をよく管理できればお金は、あなたに仕える小さなしもべとなります。ところが、あなたがお金に支配されるなら、お金はあなたを奴隷にするひどい主人となるでしょう。私たちはお金を正しく管理することが必要です。そのためには、優先順位ということを学ぶ必要があります。私は貧しい家に育ったので、あればあるだけ使い、貯金ができないタイプです。だからお金の管理は苦手です。でも、クリスチャンになってこれだけは、守っています。それは、収入の10分の1を神さまにささげるということです。ささげるというよりも、神さまに、お返しすると言った方が良いかもしれません。私は洗礼を受けたその日に躓きました。それは、献金袋です。洗礼のお祝いでいただいた袋の中に、本と献金袋が2つも入っていました。会堂献金と月定献金でした。私はそのとき「ああ、教会もこの世の中と同じなんだ!」とがっかりしました。でも、私を導いてくれた職場の先輩が、ちゃんと献金の意味を教えてくれました。「近くに、そういう人がいてくれて感謝だなー」と思いました。給与をいただいたら、使う前に10分の1を分けておくと良いです。また、週の始まりである日曜日を神さまに捧げます。一日の始まりである朝を神さまにささげます。そのように、優先順位を神さまにもっていくと、他のことが多少いい加減でも、なんとかなります。

 ロックフェラーといえばアメリカの大富豪です。彼はビル・ゲイツよりも上回る大富豪だそうです。ロックフェラーの自叙伝の中に、「母親との3つの約束」という項目がありました。彼は自分が成功した秘訣として、幼い頃に母と交わした3つの約束を生涯守り通したことを挙げました。その3つの約束とは…、

1.十分の一献金をささげること。

2.教会に行ったら、一番前の席に座って礼拝をささげること。

3.教会に素直に従い、牧師を悲しませないこと。

 彼の自叙伝を読んだ新聞記者が、「世界大富豪になれた秘訣は何ですか?」とロックフェラーに聞きました。彼は「それは子どもの頃、母が与えてくれた3つの信仰の遺産です。これこそが私が大富豪になった秘訣だと思います」と答えました。すると記者は、「3つの信仰の遺産とは、具体的に何のことでしょうか?」と質問しました。ロックフェラーが答えました。「第一の信仰の遺産は、十分の一を必ず捧げることです。それは子どものときから守らされました。私がお小遣い20セントをもらうと、そのつど、母から十分の一献金をささげなければならないと教えられました。もし、私がそのとき、母からそのような教育を受けていなかったら、後で百万ドルを稼いだときに10万ドルもの十分の一献金をささげることができなかったでしょう」。記者は「第二の遺産は何ですか?」聞きました。彼が答えました。「大富豪として成功することが出来た第二の信仰の遺産は、教会に行くと一番前の席に座って礼拝をささげることです。母は幼い私を連れて、40分ほど早く教会に着きました。そして一番前の席に座って礼拝をささげました。母はそうすることによって牧師のメッセージに集中できるし、より多くの恵みを受けることができると言いました」。記者は「第三の遺産は何ですか?」聞きました。彼が答えました。「大富豪として成功することのできた第三の信仰の遺産は、教会に素直に従い、牧師の心を悲しませることをしてはならないということでした。ですから、私は、少し気に入らないことがあっても、いつも牧師のことばに従いました。」すごいですね、特に第三番目が良いと思います。

 母親の遺言は実は10個あって、今、紹介した3つのほかに7つあります。その他の7つを項目だけ紹介させていただきます。

4.実の親以上に、神さまに仕えなさい。

5.誰であっても敵は作らない。

6.朝はいつも、その日の目標を立て、神様の御前で祈りをささげなさい。

7.寝る前には、必ず一日を悔い改める祈りをささげなさい。

8.他人を助ける力があるときには、精一杯助けなさい。

9.日曜日の礼拝は必ず、所属している教会でささげなさい。

10.朝、目覚めた時に、まず神さまのみことばを読みなさい。

 ロックフェラーのとおりにやれば大富豪になれるとは約束できません。でも、はっきりいえることは、彼のとおりにやれば大富豪になっても富に支配されることはないということです。神さまと教会を第一にしている。これは地味ですが、時代を超えて、大切なことであろうと思います。ある人は「神さまを愛しているし、神様に従います。でも、教会は愛していないし、教会には従いません」と言うかもしれません。でも、教会はキリストのからだであり、キリストご自身が住まわれるところです。神さまを愛するなら、キリストがご自身の尊い血しおで買い取った教会をも愛すべきです。神様を愛し、教会という神の共同体に属するときに、健康な信仰が保たれるからです。これはお金にまどわされないための秘訣でもあります。

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