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2010年9月 5日 (日)

男と女の違い  箴言27:17、Ⅰコリント13:4-7

 何故、この世には男性と女性がいるのでしょうか?創世記127「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」と書いてあります。「神のかたちとは何か」ということが、神学的に色々と議論されてきました。バルトという神学者は「男と女の愛し合う関係こそが、神のかたちなのだ」と言いました。神さまは父、子、聖霊と3つのペルソナ(位格)を持っていらっしゃるのに、1つのように愛し合っておられます。これが三位一体であります。そのような愛のかたちに、神さまは男と女を造られたのであります。男と女が結び合うのが結婚であります。結婚して家庭を作るのでありますが、1つになるのがとても困難です。なぜなら、お互いに違うからです。同じものが1つになるよりも、違ったものが1つになることの方が、がっちり組み合います。頭では分かるのですが、実際に二人がひとつ屋根に住むようになるとバトルが繰り広げられます。解決の道とは何でしょう?それはお互いの違いを認め、歩み寄ることのできるところは歩み寄るということです。

1.男と女の違い

まず、男性と女性の違いを知ることが重要です。代表的な違いを5つ上げたいと思います。第一は、男性は全体的で女性は部分的であるということです。たとえば家を建てるときはどうでしょうか?モデル・ハウスになどに行くと良くわかります。男性は構造とか間取りに興味があります。壁や土台の耐震性、防火性なども考えるでしょう。一方、女性は台所やキッチン、カーテンや壁の色、インテリアに興味があります。女性の場合は、あの人が何を着ていたか衣服の色まで覚えています。男性は細かいことはさっぱり覚えていないのです。

第二は、男性は計算的で、女性は直感的です。男性は左脳で論理的に考える傾向があります。悪く言うと理屈っぽい。あまり、感情に左右されません。一方、女性は、右脳で直感的に捉える傾向があります。ピピッピと一瞬にしてわかるのです。キリスト教は頭では分かりません。だから、クリスチャンには女性が多いのもそのためかもしれません。でも、一旦、男性が信じると、神学的な学びにのめりこんでしまいます。

第三は、男性は目的を達成することに興味があり、女性は過程(プロセス)に興味があります。たとえば買い物にしても、男性は望んでいる品物を買うためにそのコーナーに向かいます。品物を買ってしまえばおしまいです。一方、女性はあれを見たりこれを見たりする、ウィンドウ・ショッピングが楽しいのです。「買うのかな?」と思ったら買わない。別に買わないで帰ってきても満足するようです。男性が買い物に付き合えないのが、そういうところにあります。車の運転でもそうです。男性は「ここに行くぞ!」と決めたら、ひたすら目的地に向かって車を走らせます。サービス・エリアで休むと、「ずいぶん後ろの車に抜かれたなー」と思います。一方、女性は周りの景色とか、途中寄る「道の駅」とか、名所に興味があります。

第四に、男性は性によって愛情を表現しますが、女性は会話によって愛を感じるようであります。なぜ、結婚してうまくいくかいかないのでしょうか?男性が愛を感じるNo1.は性、セックスによる喜びです。残念ですが、女性は、性は大体3番目か4番目の優先順位です。女性はそれよりも親しい愛情のこもった会話が第一なのです。だから、聞いてもらいたい。しかし、男は結論を出したり、教えたりしがちです。No!ただ聞けば良いそうです。「くやしいです!」

第五、男性は革命的であり、女性は保守的(安定的)です。男性は現状維持では満足できません。冒険をしたい、新しいことにチャレンジをしたいのです。今、NHKの大河ドラマで坂本竜馬をやっています。坂本竜馬は本当に落ち着きがないですね。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、じっとしていません。一方、女性は保守的で今の生活を維持したい方です。昔、「もしも、私が家を建てたなら」という歌がはやりました。女性は、男性よりも幸福や安定を好みます。もしも、人類が男性だけだったら、この世はオーバーヒートするでしょう。女性が、水をかけて冷やすから良いのです。車のエンジンのまわりには、水が流れています。あれはエンジンを冷やしているのです。もし、そうでなかったなら、エンジンが焼け付いてしまうでしょう。男は世界を動かすと言われます。しかし、世界を動かす男性を動かしているのは女性であると言われます。

これまでのものは一般論でありましたが、結婚して、夫婦の関係になりますともっと複雑になります。人によっていろんな性格や好みがあるからです。人というのは大体、自分が持っていないものに憧れ、全く反対の人を求める傾向があります。たとえば、外交的な男性は、おしとやかな女性を求めます。パラフルで支配的な女性は、おとなしくて従順そうな男性を求めるでしょう。中国では陰と陽という考えがあるようですが、本能的にバランスを取るところがあります。私たちの場合は、私がしゃべる方で、家内はあまりしゃべらない静かな方でした。しかし、結婚すると家内もずいぶんとしゃべるようになりました。私はおちつかない方ですが、家内は結構、落ち着いています。2年くらい前に「カップルズ・コース」というのをやったことがあります。その中に「違いを確認する」という項目がありました。「もし、私たちが全てにおいて同じ意見だったら、結婚はとても退屈でしょう。初め、互いの違いはお互い引き合い、夢中にさせたものです。しかしそれから、ハネムーン段階が終わり、だんだん熱が冷めてくると、魅惑的だったこれらの違いは衝突を引き起こす刺激物になってしまうことがあります。この段階では、違いを取り除く試みが共同生活をする上で必要となります。脱いだ靴下を洗濯機に入れるか、はしの持ち方など、自分と同じことを要求します。要求する、巧妙にごまかす、イライラする、不満を口に出す。これらの全ては必然的に親密な関係を失わせてしまいます。悲しいことにたくさんのカップルがそのとき、自分たちはうまく行かないと結論を出してしまいます。しかし、実際はそうではありません。違いはお互いを補完するものであって、共同の利益を得るために作用します。私たちは違いや多様性について排除を試みるのではなく、貴重なものとして評価することが必要です。」と、そのように書いてありました。アーメンです。

さらに、そのテキストには、私たちには異なる5種類のタイプ・性格がありますと書いてありました。さきほどの男女の違い5つと、生活の違い5つを合わせると立体的になるかもしれません。第一は外交的な人または内向的な人です。外交的な人は人と交わることによってエネルギーを得ることができます。このような人は他人と一緒にいることに、より多くの時間を費やすことを望み、パーティーでは生き生きしています。一方、内向的な人は対照的に静かな状況から、エネルギーを得ることができます。考えやアイディアの内部の世界に自然な焦点を当てます。温かく、親切で、気配りですが、あまり多くの社交的な状況が続くと落ち込んでしまいます。回復するためには自分自身の時間が必要となります。

第二は論理的または直感的か?これは男女の違いでお話しました。第三は仕事志向か関係志向か?仕事志向の人は目標や期限を明確にします。そして、効率や、正義、真実といったもので動きます。一方、関係志向の人たちは、目標よりも人間関係を優先させます。他人の感情や気持ちを深く思いやり、大切にします。

第四は組み立て型か、または柔軟型の人です。組み立て型の人生を好む人は、自分の行動計画を先に作成してから進みます。柔軟型の人は流れに乗るタイプです。自由と自然さを愛する人です。変幻自在、悪く言えば行き当たりばったり。

第五はリーダーまたはサポーターです。リーダーは新しいアイディアを考え出し、苦もなく決定を下し、変化を恐れません。サポーターは自分以外の人が主導権を握ることを好みます。前回、夫は家庭のリーダーとしての機能を持っていると申し上げました。しかし、妻の方がリーダーの賜物がある場合があります。「それはダメだ」と言ってはいけません。賜物であり、性格なのですから、夫がそれをうまくささえるべきです。キリスト教会で有名なカップルは、三浦綾子さんと夫の光世さんです。また、米子さんと夫の田原先生かもしれません。

神さまは違う者同士をあえて巡り合わせて、ご自身のかたちに似るようにと導かれているのかもしれません。箴言2717「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」とあります。一番自分を研いでくれるのは、妻であり、夫であるかもしれません。だけど、刃と刃が「バチバチ」と、ぶつかるとき、火花も散るでしょう。マルチン・ルターは、自己中心的な考え方をより薄め、イエス・キリストのようになる方法は2つあると言いました。「第一の方法は修道院に入ることである。そして、第二は結婚へと船出することである」と言いました。Ⅰコリント12章には「愛は寛容である」と書かれています。寛容さを表現する英語はたくさんあります。しかし、ある人がそこの箇所を「愛は理解することである」と言い換えました。理解するは英語で、understandであります。分解すると、下に立つであります。上から見下ろすと分かりませんが、相手の下に立つと「なるほどなー、さもありなん」ということが良くあります。その人の生まれとか生い立ちを、ちょっと理解すると「ああ、そうならざるを得ないのかな?」と同情心がわいてきます。多くの場合、理解するのではなく、相手を「こっちに来なさい」と、自分の方にひっぱろうとします。すると、相手も負けじとばかり、「あなたこそ、こっちに来なさいよ」と主張します。まるでパワーゲームであります。では、「相手の言いなりになるのか?」、そうではありません。相手を変えようとするのではなく、できるだけ相手を理解しようと努力するのです。そうすると、小さなことはあまりどうでもよくなります。むしろ、相手のこだわりが可愛らしく思えてくるのです。そうすると、相手は「ああ、つまらないことに意地を張っていたなー」と自ら変わってくれるのです。ですから、「愛は理解する」というのが、すばらしい解決法ではないかと思います。

2.親密になるために

ポール・トルニエというスイスの精神医学者は「意見の不一致があることは全く普通で、実際それはとても良いことである。結婚がうまくいっている人は、その問題に共同に取り組み、克服している人です」と言いました。後半は、「お互いに違う二人が、どのような問題をクリアーしたら、より親密になるのか」2つのことをお話ししたいと思います。二人が親密になるための、第一の課題は「コミュニケーション」です。まず、一日に発することばは男性と女性とで随分と違います。女性の方は男性の倍以上、話さないと満足できないという統計が出ています。男性は会社で全部、話すべきことばを話してしまいます。だから、家に帰ったら、もうめんどうくさくて話したくないのです。それでも、結婚前は、二人ともよく会話をしていました。しかし、結婚して数年経つと、あまり話さなくなります。妻がしゃべるのを、夫は新聞を読みながら、あるいはテレビを見ながら聞いています。「あなた聞いているの!」「聞いてるよー」と、しかたなく答えます。英語で「聞く」ということばが2つあります。1つはhearです。これは、風の音や猫の鳴き声が「聞こえる」という意味です。もう1つはlistenです。これは、意識して聞く、耳を傾けるという意味の聞き方です。音楽の演奏とかラジオはこちらの方です。でも、夫は、妻がしゃべるのをhear「あ、聞こえるなー」ぐらいで聞き流してしまう。これが問題なのですね。女性の場合は、感情面のコミュニケーション、感情を伝えたいのです。でも、男性はそれを情報として左脳で受け取り、分析して、「これはどうだろう」と、教えてしまうのです。違うんです。女性は自分の感情を分かち合いたい、受け止めてもらいたいんです。私も結婚して、29年たちますけど、今でも「ああじゃない、こうじゃない」と教えたりします。男性諸君、女性の話を聞きましょう。頭で聞くのではなく、心でlisten、聞きましょう。

また、コミュニケーションの障害になるのが、途中で口を挟むということです。相手がまだ、話しているのに、途中から割り込んで話すということを気づかないでやっています。2年くらい前に、カップルズ・コースというのをやったことがあります。「口を挟まないように聞く」というレッスンがありました。夫婦どちらかですが、ハンカチを持っている人が話すようにします。ハンカチを持っていない人は、ひたすら耳を傾けることに集中します。今度は、ハンカチを交代し、ハンカチを持っている人が話します。私はそれまで気がつきませんでしたが、結構、私たちは相手がまだ話しているのに、口を挟んで自分のことを話してしまいます。常磐牧師セルを私たちは月一回持っています。10教会くらいの牧師が集まるのですが、何組かはご夫婦で来られます。順番に近況報告をするのですが、ご夫婦になると、どちらかがやっぱり口を挟みます。他の牧師が話すときはさすがに遠慮しますが、夫婦になると遠慮がないのですね。ハンカチの話をしたら、「なるほど」と言われました。ハンカチ落としというゲームがありますが、それではありません。どうでしょう?レッスンのために、ハンカチを持った人が話し、持っていない人は相手に耳を傾ける。でも、ハンカチを奪い合って、引きちぎらないように。4、5分間くらい、交替交替でやったら良いですね。相手に自分の気持ちを伝えることができた。また、相手も自分の気持ちを受け止めてくれた。これは本当に幸せです。こういうコミュニケーションは、親密さを作り上げるために、非常に重要だと思います。

第二の課題は「不一致の管理」です。「衝突を解決する」と言っても良いでしょう。前半のポイントで、男性と女性との違い、また個人個人の性格や好みからくる違いということを申し上げました。神の愛によって、お互いを理解し、受け入れ合うということももちろん重要です。でも、具体的なスキルというか知恵もあったら良いと思います。丸屋真也先生が結婚カウンセリングの学びで「不一致の管理」ということを教えてくださいました。少し引用させていただきます。夫婦はすべてが一致することはありえません。でも、親密になるためには、共有する部分を作る必要があります。共有部分はある意味では絆ということができます。これを増やしていくのです。でも、すべてが1つでなくて良いのです。夫婦の間で共有できない問題もあります。たとえば、趣味において、夫はサッカーが好きです。妻は、スポーツは一切ダメで美術や芸術が好きです。夫は、美術は興味ありません。これまで美術館に一緒に行きましたが、いやな顔をしていました。妻は一年に一回サッカーに行ったら気絶しました。ここに、関係的妥協が必要です。関係的妥協とは何でしょう?サッカーは夫の趣味なので、サッカーは自分の友人と行くことを許します。また、妻の場合は、美術に関しては同じ趣味の人と行くことを許します。次に「交代で」というのもあります。今回はピカソ、次回は優勝決定戦に行くのです。でも、どうしても無理な場合は、他の人との関わりの中で満たしていくのです。お互いを認めてあげることによって、不一致が適切に解消します。これを関係的妥協と言うようであります。私と家内が結婚して一番ぶつかり合ったのが、医療の問題です。子どもたちが小さい頃、よく風邪をひいてぜん息気味になりました。私はどちらかと言うと神の癒しを信じる方です。「イエスの御名によって祈ります。アーメン」と。しかし、家内は安心できません。「やっぱり、医者に行こう」と言うのですね。「私は祈ったじゃないか。風邪なんか薬を飲まないで、あったかいものを食べて、寝るのが一番なんだ」と主張します。家内は看護師なので、医学的な知識が豊富なので、「手遅れになったらこういうことになる」と色々浮かんでくるのです。しかし、私は楽天的です。それで最初はよく喧嘩をしました。しかし、あるときから「ああ、両方やれば良いじゃないか」と思うようになりました。先ず、病気のために祈ります。さらに、お医者さんに行く必要があるならば行くということです。

カップルズ・コースに書いてありましたが、お互いが衝突するとき、2つのタイプに分けられるということです。ある人はサイのようになります。攻撃されると、自分も攻撃的になるということです。また、ある人はハリネズミのようになります。その人は威嚇されると内にこもってしまうのです。みなさんのカップルは、それぞれ、どちらのタイプでしょうか?サイvsハリネズミでしょうか?それともサイvsサイでしょうか?あるいは、両者ともハリネズミでしょうか?そうなっちゃうと、もう関係が持てなくなります。我慢はよくありません。あとから、「どっかん」と爆発してしまうからです。それよりも、冒険を犯してでも、自分の気持ちを伝える努力をすべきであります。以心伝心なんというのは「幻」です。衝突を解決するために、ある程度、まとまった時間を取る必要があります。夜10時以降は遅すぎます。夕食を食べて、落ち着いた時間が良いでしょう。それから、お互いを攻撃するのではなく、問題点を話し合います。そのときに「あなたはいつもこうなんだから」とレッテルを貼らないということです。「あなたはいつもそうだ」「あなたはいつも○○してくれない」そういう言い方は避けましょう。もう1つは「私メッセージ出語る」ということです。「○○と言われると、私は軽蔑された気持ちになるの」とか「私はそういうふうに思う」というように、です。逆に「あなたが」「おまえが」というと、さばいているように聞こえるからです。そういうふうに、話していくと、必ず解決の糸口が見えてきます。そして、一番の解決はお互いに祈り合うということです。祈るとイエス様が間を取り持ってくださり、また、結び合わせてくださるからです。神さまはあえて、違う者どうしを引き合わせてくださったのです。その後、不一致、あるいは違うところを認め合って、さらに解決していくことによって、本当の親密さが生まれてくるのです。はじめから親密なカップルというものはおそらく存在しないのではないかと思います。親密さは、お互いの努力と神さまの恵みによって生み出されてくるものであると信じます。

伝道者の書4:12「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」このみことばは、ひとり、ふたりとなっていて、最後には「三つ撚りの糸」となっています。おそらく、二人の間に、イエス様が間におられるカップルではないかと思います。生身の人間は「ヤマアラシの論理」のようです。近づくとお互いの刺によって傷つけ合ってしまいます。かといって、離れると寒い。二人の間に、イエス様をお招きしたなら、イエス様が、両者の刺を受け止めてくださる。だから、私たちは教会内における兄弟姉妹との交わりでも、夫婦においてでも、私たちはイエス様を通して、互いに愛し合うことが可能なのです。

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