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2010年4月11日 (日)

霊的束縛からの解放  出エジプト19:1-6、エペソ4:26-27

クリスチャンが、悪霊によって束縛されることはありえるでしょうか?悪魔は、私たちの救い、つまり永遠のいのちを奪い取ることは決してできません。しかし、私たちの罪や傷が解決されていない場合、私たちのある一部が悪霊によって束縛されることは十分ありえます。エペソ4:27「悪魔に機会を与えないようにしなさい」と書いてあります。機会とは、ギリシャ語ではトポスと言います。トポスとは「場所」あるいは、「駐屯地」とも訳せることばです。ローマ時代、軍隊が敵地に乗り込むとき、作戦行動の拠点となるところをトポスと言いました。霊的な意味では、悪魔が人々を支配するために設ける、足場、足がかりとも言うことができます。「わぁー、そんなものがあるのですか?」と驚くかもしれませんが、実際にあるのです。私たちにはどのようなトポス(足場)があるのでしょうか?3つの分野からお話したいと思います。

1.霊的な罪

霊的な罪とは、偶像礼拝からくるものです。悪魔(サタン)はかつて、自分は神のようになりたいと高慢になって、堕落しました。だから、悪魔は自分も神様のように礼拝を受けたいと願っています。たとえば、アニミズムでは大木を拝みます。神木というかもしれませんが、木自体は悪魔と何の関係もありません。しかし、人が木を拝み続けるなら悪魔がそこにやってきます。なぜなら、悪魔は自分が礼拝されることを求めているからです。そして、悪霊は、木を拝んでいる人の一部をつかまえるでしょう。また、仏壇は物ですから、本来は悪魔と何の関係もありません。しかし、人が仏壇に向かって毎日、お焼香して祈るならどうでしょうか?悪魔は「ああ、私も拝まれたい」と思ってそこにやってきます。そして、悪霊がその人の一部をつかまえるでしょう。聖書には悪霊につかれたゲラサ(ガダラ)人のことが記されています。イエス様が「お前の名は何か」と尋ねました。彼は「私の名はレギオンです」と答えました。おそらく、イエス様は、その人物に名を尋ねたのでしょう。でも、彼の内側にいた悪霊が「レギオンです」と答えました。つまり、彼は人格まで完全に支配されていたのです。しかし、こういう人はめったにいません。ほとんどの場合は、一部分が捕まれて、そのためにコントロールされるのです。たとえば、耳でも捕まれたらどうでしょうか?痛いので、そちらに、顔を向けてしまうでしょう。小指だって捕まれたら、体全体がそちらに持っていかれます。私たちがまことの神様を礼拝するなら、神様の愛と恵みのもとで、自由と喜びにあふれた生活をすることができます。しかし、偶像礼拝をするならば、心や体、霊的な面において何らかの束縛を受けることになるでしょう。

では、偶像礼拝にはどのようなものがあるのでしょうか?第一はアニミズム、神道、仏教に関するものです。日本で行なわれる年中行事はみなそれらの偶像と関係しています。また。ほとんどのお葬式は仏教であり、家には仏壇や神棚があるでしょう。天皇家は天照大神であり、いわば太陽神です。第二は、オカルト関係です。占い、風水、霊能者、超能力などがそうです。昔、「こっくりさん」とか「キューピットちゃん」というのがありました。第三はキリスト教の異端、および異教からくるものです。統一教会は今でも存在しています。また、明治以降、日本にはたくさんの新興宗教が生まれました。あるところは政党まで持っています。外国からニューエイジ・ムーブメントも入ってきています。一部の啓発セミナーやヒーリングミュージックはニューエイジと関係があると言われています。こういうものと関係するとどうなるのでしょうか?悪魔の策略は、まことの神様から人間を限りなく離すことです。そのためには良いものも与えます。病気の癒し、商売繁盛、能力アップ、災いから守ってくれるかもしれません。悪魔がイエス様をどのように誘惑したでしょうか?マタイ48,9「悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」と言いました。悪魔は良いものを与えるかもしれませが、その代わり、その人の魂(いのち)をもらうのです。そのため、救いを得ることができず、悪魔と同じ永遠の滅びに行くしかありません。クリスチャンも悪魔や悪霊に束縛されることがあります。それは、信仰を持つ前に、あなたの親もしくは、あなた自身が偶像と関係を持ったからです。主は、偶像崇拝をした「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼす」と言われました。では、そういう人はどんな害を受けるのでしょうか?家系を渡ってくる呪いがあります。金銭トラブル、暴力、離婚、自殺、ガン、精神病、偏頭痛、事故死などです。聖書を読んでも、祈っても集中できません。神様を信じてはいるのですが、混乱や恐れがあります。「自分は何をしてもうまくいかない。どうせまた失敗するんだ」という思いが離れない。神様の約束を信じ切れないというか、深いところに疑いがあります。金縛りにあったり、恐い夢を見ます。変な声が頭の中に聞こえたりする。これは悪霊に対して開かれたドアがあり、そこから暗闇の力があなたに襲いかかっているからです。

どうしたら良いでしょうか?まず、偶像礼拝のチェックリストから、自分が拝んだものや、霊能者から拝まれたことがあるかを調べる必要があります。特に問題なのは、親か自分が偶像の神様と祈願をして契約を結んだ場合です。契約ですから、たとえクリスチャンになっても有効になっているときがあります。ですから、イエス・キリストの御名によって先ず、悔い改めましょう。その後、イエスの御名と血しおによって、それらの契約を破棄するのです。つまり、関係を断ち切って、後ろのドアを閉じる必要があります。その後、主イエス・キリストと父なる神さまに自分自身を捧げる祈りをすべきです。悪霊に離れることを命じてから、霊と魂、身体、すべての部分を主が支配してくださるように願うのです。一度で全部、できないときもありますから、過去の偶像礼拝を思い出したとき、同じようにすれば良いのです。結構、重い場合は、スポンサーから断ち切りの祈りをしてもらった方が良いでしょう。なぜなら、自分で自分自身のロープを切れない場合もあるからです。イエス様は「信じる者は、私の名によって悪霊を追い出すことができる」と約束しておられます。もちろん、偶像礼拝と関係のあるものは全部、処分することが肝心です。

2.魂の傷や罪

前回、「十字架による心の癒し」というメッセージをしました。きょうの場合は、魂の傷や罪から悪霊が入った場合です。全部が全部ではありませんが、そこを足場にして、悪霊が攻撃している場合もあります。エペソ4:26-27「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」これはどういう意味でしょうか?怒りは必ずしも罪ではありません。イエス様も神殿が汚されているのを見たとき、怒りました。しかし、人が怒ったままでいるならば、そこに悪魔が足場を設けることがあるということです。つまり、人が怒りをコントロールしないならば、「悪魔がそこから入り込みますよ」ということです。この世では、ある人たちは、怒りを治めることができず、殺人を犯してしまいます。ほとんどの人たちは、罪を犯してから、「ああ、自分はなんてことをしたんだろう?」と反省するでしょう。でも、後の祭りです。悪魔は、最初は「さあ、殺っちまえ!」とけしかけます。しかし、罪を犯したあと、一変して、「ああ、お前はなんてことをしたんだ。神様もお前を赦さないぞ」と言います。怒りと似ていますが、人を赦さない罪も、悪魔に場所を与えます。マタイ18章には、1万タラントを王様から赦されたしもべのたとえが記されています。1タラントは6000日分の賃金に相当しますが、その1万倍ですから、とほうもない金額です。しかし、そのしもべは、100デナリ借りのある仲間を赦すことができませんでした。仲間は「もう少し待ってくれ」と頼みましたが、承知せず、借金を返すまで牢に投げ入れました。主人はそれを聞いて「私がお前をあわれんでやったように、お前も仲間をあわれんでやるべきではないか」言いました。「主人は怒って、借金を全部返すまで彼を獄吏に引き渡した」と書いてあります。私は、この獄吏にあたるのが、悪霊ではないかと思います。ある人を絶対に赦さないという人がおられますが、心や肉体の病気になるというデーターがあるようです。

もう1つ悪霊が私たちを支配する場所は思い(マインド)であります。悪魔はいつも私たちのマインドに働きかけようとします。もし、悪魔によって思いの中に足場(拠点)が設けられるとどうなるのでしょうか?それはコンピューターのプログラムのように働き、考えや行動パターンが自分の意思ではどうすることもできなくなります。1つの習慣みたいになります。私たちの思いがどうして、悪魔の足場となるのでしょうか?第一は、家族をはじめ、人生で出会う人たちから来るものです。たとえば、「そんなこともできないのか?お前は、何をやってもダメだなー」と親や先生から言われたとします。すると自分の中に劣等感ができてしまいます。その人は、人から認められるために一生懸命頑張ろうと、パフォーマンスに走るでしょう。あるいは「あんたは汚い」あるいは「あんたは醜い、可愛くない」と拒絶されたとします。すると自分の中に怒りと拒絶の悲しみが残り、人を心から愛せなくなります。なぜなら、自分には愛される価値がないと思っているからです。ある牧師が三歳のときこのようなことがあったそうです。お姉ちゃんがノートを買ってくれと言ったら、お母さんは「消しゴムで消したら、もう一度仕えるだろう」と言ったそうです。その当時、ノートは10円でしたが、三歳の子どもは「うちは貧乏なんだ。贅沢はできないんだ」と思ったそうです。大人になっても、中古の車、借家で甘んじていました。解放されるまで、父なる神様に自分の欲しい物を願うことができなかったそうです。第二の足場はトラウマ体験から来るものです。アルコール中毒の父親があばれて、とっても恐くて押入れに隠れました。その人は大人になっても、臆病さが消えません。学校のいじめも子どもにとっては大きなトラウマになります。どの子供も自分がいじめられないように、小学校、中学校でどうやって関門を抜けるかと言うことを考えているようです。いかにいじめに会わないか、ということを考え、勉強どころではありません。両親の離婚もトラウマになりますが、一番ひどいのは虐待や性的虐待です。親は世界で最も信頼できる人なのに、その親から虐待を受ける。虐待を受けた子どもは「自分には愛される価値がないんだ」と石の心を持つでしょう。石の心を持った人を、どんなに愛しても、全部、外に流れてしまいます。その人が愛と信頼感を回復するためには、子供のときの何百倍もの愛を受けなければ、差引勘定が合わないのです。

では、どのようにして癒しと解放を受けることができるのでしょうか?これは前回「十字架による心の癒し」の続編でもあります。違うところは、罪や傷の部分に悪霊がくっついているということです。どうしたら悪霊が離れさるのでしょうか?それは生ゴミを出さなければなりません。生ゴミがあると、カラスやねずみがやってきます。多くの場合、カラスやねずみをおっぱらうだけです。でも、また戻ってくるでしょう。そうではなく、原因となる生ゴミを処分したら、もうカラスやねずみはやってきません。同じように、私たちも解放のミニストリーをすべきであります。まず、心を開いて、愛なる神さまに打ち明けることです。オープンにしない限り、癒しと解放もありません。まるで、下水道のドブさらいみたいかもしれません。腐ったものや空き缶、ドロドロしたものが出てきます。そして、あなたに被害を与えた人たちを赦しましょう。赦すということは、復讐したいという権利を放棄することです。加害者はともかく、あなたがそのことによって自由になることがもっと重要です。赦すということは忘れることではありません。また感情でもありません。赦す感情は永遠にやってきません。大事なのは、「赦します」という意志なのです。その後、イエス様の血しおと聖霊によって傷口を洗い聖めてもらいましょう。最後に、得られなかったもの、失ったものを父なる神様から満たしていただきましょう。父なる神様は救い主イエス様を与えたように、すべての良きものを与えてくださいます。また、思い(マインド)の中にある間違ったものを、イエス・キリストの御名によって、打ち砕きましょう。アンインストールです。そして、正しい神のみことばと入れ替えるのです。聖書は何と言っているでしょうか?あなたには価値がある。あなたはありのままで受け入れられている。あなたは王の子どもであり、御国の世継ぎです。あなたは最良のものを受けることができるのです。アーメン。

3.身体的な罪

身体的な罪とは、悪習慣です。悪習慣とは、救われる前から持っていたものであり、救われた後のものではありません。例えば、クリスチャンになってからタバコの悪習慣を身につけるようになった人がいるでしょうか?また、クリスチャンになってから、麻薬を始めた人はいるでしょうか?そんな人はまずいません。そうです。いつでもクリスチャンの成長を妨げるのは、救われる以前からの罪であり、悪習慣です。悪霊は霊的な存在であり、住む家をさがしています。なぜなら、悪霊は肉体を持っていないからです。彼らの性質を発揮するためには、彼らが住むべき家が必要なのです。だから、聖書には「彼らは地を歩き回って。だれかの体をさがす」と書いてあります。悪霊は絶えず同じ性質を持った住み良い家を探しています。あなたは家を買うときに、あなたの好みに合った家を探すでしょう。同じように、悪霊も自分に合った家を探しています。つまり、悪霊と同じ性格をもった人を探して、そこに住みたいと願っているのです。では、悪霊にそのような場所を与えてしまうのは、どういうプロセスによってでしょうか。悪霊が心の中に入って、その人がそういう性質になるというのではありません。実際は逆です。それは人が心の中に、悪霊にふさわしい性格を育ててしまうからです。たとえば、ある人が心に情欲を育てたとします。いつも「おお、おお」と、ポルノ雑誌やビデオを見ています。女の人を見たら、「おお、おお」となります。そのように長い時間をかけて、情欲の性質ができてしまいます。そのとき悪霊がやって来て、「おお、良い家を見つけたぜ!この家は私と同じ性質だ!」と喜んで入ります。すると、その人の情欲はもっとひどくなり、性的中毒、さらには性的犯罪にまでエスカレートするでしょう。

身体的な罪、つまり悪習慣には、他にどんなものがあるのでしょうか?いま上げた性的罪のほかに、ことばの罪があります。悪口、ゴシップ、嘘、不平不満です。私の口には悪口と不平不満があふれていました。家が貧しかったので、母には不平不満をいつも言っていました。父はとても批判的な人でした。兄や姉たちは自分たちのことを自慢し、私を見下げました。だから、私は学校で自己主張し、他の人の悪口を言いました。結婚してから分かりました。家内が私に「あなた、テレビに向かって、馬鹿、馬鹿と言っているわよ!」と。私は人から批判されると、その何倍も返して、戦ってきました。口に悪霊がいたかどうか分かりませんが、私の性格の一部になっていたことは確かです。神様がくちびるの汚れた者を、贖い取って、ご自分の栄光のために用いるとは一体どういうことでしょうか?神様のあわれみにただ感謝するばかりです。他に、盗み、ギャンブル、ストーカー、食べ物、薬物、ゲームがあります。最近は依存症と言いますが、昔は中毒と言いました。仕事も中毒になります。もちろん、アルコールも中毒になります。そういう悪習慣の背後に、悪霊がひっついているならどうなるでしょうか?やめたくてもやめられない。自分ではどうしようもなくなります。ますます、下降線をくだり、最後は死です。しかし、渦中にある人たちはどうでしょうか?助けを求めるなら希望があります。多くの場合、それらを否認して、「自分はたいしたことない。いつでもやめられる!」と言うのです。そういう罪を光の中に出さなければ、決して解放されることはありません。

こういう身体的な罪から解放されるためには3つのことが必要です。第一は自分の罪を言い表すということです。エペソ5:11-14 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」第二番目は、悪霊を追い出します。「この宮は、キリストによって贖い取られた聖なる宮である。イエスの御名によって出て行け!」と命じます。しかし、それだけだとまた悪霊がやってきます。7人の友達と一緒に「この家にもう一度、入ろう」とやって来ます。第三番目の悔い改め、つまり人格的な変化が必要です。悔い改めはギリシャ語で、メタノイアと言います。メタノイアとは方向を変えるということです。イエス様の時代に、ローマ兵士は行進をしました。「1・2、1・2、1・2、1・2、メタノイア」(方向を変える)。「1・2、1・2、1・2、1・2、メタノイア」(方向を変える)。「1・2、1・2、1・2、1・2、メタノイア」(方向を変える)。これがメタノイアです。メタノイアとは、反対に方向転換するということです。では、情欲の逆は何でしょう。きよい愛です。だから、情欲からきよい愛へと変えることです。盗みをしている人はどうすべきでしょうか?盗むのをやめるだけでは、まだメタノイアしてはいません。「困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働く」ことです。反対のことを行なうために方向転換をすることがメタノイアです。「盗み、盗み、盗み、メタノイア」(方向を変える)。「与える、与える、与える」です。悪口、ゴシップはどうしたら良いでしょう?「ゴシップ、ゴシップ、ゴシップ、メタノイア」(方向を変える)。「建て上げる、建て上げる、建て上げる」です。アルコール中毒の人はどうしたら良いでしょうか?アルコールをやめるだけではなく、メタノイアして、こんどはみことばの中毒になることです。依存症(中毒)の場合は、サポートグループに入って、互いに励まし合うことが必要です。

イエス・キリストはルカ4章でこのように言われました。「主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」アーメン。主は今も生きておられ、霊と心と体が縛られている人たちを自由にしてくださいます。ヨベルの年、つまり悪魔の奴隷状態から、私たちを解放してくださるのです。

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