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2009年9月20日 (日)

キリストの賜物       エペソ4:7-12

 エペソ4章の後半は、エペソ人への手紙の山場でもあります。 こういう箇所を読むと私は非常に、興奮します。 教会形成において、あまりにも有名な箇所だからです。 みなさんも、一緒に興奮してもらいたいと思います。

1.キリストの賜物

エペソ4:7「しかし、私たちはひとりひとり、 キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。」このとこ ろに、「恵み」ということばがありますが、これはギリシャ語で「 カリス」と言います。本来、カリスとは愛らしさ、好意、 恵みという意味です。しかし、これが「カリスマ」になると、 霊的な賜物という意味になります。つまり、 神様は私たちが霊的に生まれ、クリスチャンになると、 ご自身が持っておられる様々な能力を与えてくださるということで す。何のためですか?奉仕の働きをし、 キリストの体なる教会を建て上げるためであります。 神様は私たちに賜物として、 永遠のいのちを与えてくださいました。しかし、 それだけではありません。この世において、 神様や人々に仕えることができるように、 霊的な賜物も与えてくださったということです。ハレルヤ! しかし、霊的な賜物と生来の賜物とは違います。生来の賜物とは、 生まれつき与えられた才能、 あるいはその人が努力して勝ち取った能力であります。 ピアノが弾ける、計算ができる、暗記ができる、運動神経が良い、 リーダーシップがある、細かい手作業が得意… これらはみな生来の賜物であります。でも、 クリスチャンになりますともう1つ別な、 能力が与えられるということです。それを霊的賜物、 あるいはカリスマと言います。カリスマというと世の中では、 人を魅了する超人的な能力、 またその能力を持つ人間を言うようでありますが、 本来はそうではありません。 神様が下さる霊的能力のことであります。

しかし、ここに「キリストの賜物の量りに従って」とあります。 これはどういう意味でしょうか?これはかしらなるキリストが、「 この人にはこの賜物を、あの人には別の賜物を」と、 分け与えるということです。つまり、キリストの主権によって、 クリスチャン一人一人に分け与えるということです。そうなると、 「私は、預言は良いけど、異言はけっこうです」とか「 教えは良いけど、奉仕はきらいです」とは言えなくなります。 また、人々にその量と言いましょうか、 大きさも違うということです。この世では器と言いますが、 賜物を用いることのできる大きさが異なるということではないかと 思います。ある牧師は1万人を牧会できるが、 ある牧師は100人を牧会できる。また、同じ癒しの賜物でも、 ある人が祈ると難病や重病人が癒されます。これは、 自分が決めるというよりも、 キリスト様の量りに従ってですから仕方がありません。でも、 タラントのたとえで教えられているように、 わずかなものに忠実な人には、 たくさんの物を任せるというのも真実であります。 多くのクリスチャンは、霊的賜物が与えられているにも関わらず、 それを地面に埋めているというのが実情ではないでしょうか? 恵み深い神様は、私たちが奉仕できるように、 その能力も与えておってくださるということです。ハレルヤ! しかし、エペソ4章は種々の賜物のことは教えていません。 クリスチャンを指導する5つの賜物しか書いていません。もし、 他の賜物について調べたければ、ローマ12章、Ⅰ コリント12章、Ⅰペテロ4章等にあります。先週は、 常磐牧師セルがあって、当教会に12人集まりました。 セブンスディの宮本先生が、 私たちに霊的賜物のチェックをしてくださいました。 半分近くの先生が信仰の賜物がありました。他に、 見分けの賜物や伝道がありました。 私はどういう訳か教える賜物が目立ちました。 人に何でも教えたがるということでしょうか。テレビを見ながら、 「家内に○○は知っているか?」と聞きます。私は「 こういう意味だよ」と言います。 すると家内はけげんそうな顔をして、「 別にあなたから教えてもらいたくないわ」と言うんですね。 賜物があっても、押し付けは良くないということです。とにかく、 クリスチャン一人ひとりに、神様の働きができるように、 霊的賜物が与えられているということです。 これをみなさんが発見し、用いる責任があるということです。

2.職務(五職)の賜物

 エペソ4:11「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、 ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、 お立てになったのです。」これら5つの賜物を、職務の賜物、 あるいは五職の賜物と呼んでいます。この賜物は、 聖徒たちを整えるために、キリスト様が与えたものであります。 偉いとか偉くないではなく、機能としての賜物であります。 たとえば、心臓や脳が体にとっては大事な器官であります。でも、 この2つがあれば人が生きられるというわけではありません。 他の内臓や神経、血管、手足も必要であります。しかし、 職務の賜物とは、他の器官に対して指導的な働きをしています。 それでは、職務の賜物を1つ1つ簡単に説明したいと思います。

①使徒 

本来、イエス様のもとにいた12弟子が使徒です。でも、 バルナバとか直接イエス様と会っていない人たちも、 聖書では使徒と呼ばれています。現代は「使徒職が復活した」 と言われています。そして、「私は使徒です」とか「使徒○○」 と名前の上に称号のように付けたりします。 私はそれには反対です。それよりも「使徒的な働きをしています」 ぐらいが謙遜で良いと思います。使徒の賜物は何でしょうか? 使徒は福音が宣べ伝えられていない新しい地にでかけ、 福音を宣べ伝え、教会を設立します。そして、 キリスト教の教理を分かり易く教え、 教会の基礎を作ることができます。使徒は、 5本の指の親指のような存在です。親指は人指し指、中指、薬指、 小指、どれにも接することができます。他の指どうしならば、 できても2つか3つくらいです。ちょっと顔がゆがみます。でも、 親指は自在です。これはどういう意味かと言うと、使徒は預言者、 伝道者、牧師、教師、何でもできるということです。 使徒パウロがそうでした。パウロは牧師であり教師であり、 伝道者でした。でも、使徒には1つだけ欠点があります。 同じところにずっと留まっていることができません。 1つの教会ができたら、新しいところに出かけて、 また新しい教会を設立したくなります。使徒的な人は、 1つの教会だけではなく、日本の教会、 世界の教会を視野に入れています。「すべての国民を弟子とする」 これが彼のキーワードです。

②預言者

 旧訳聖書にはたくさんの預言者が登場します。では、 新約でいないかというとそうではありません。 使徒の働きにはアガボという預言者が載っています。 預言者はどういう働きをするかと言うと、 教会に神の御心を示したり将来の導きを与えてくれます。 彼は神のみことば、幻、あるいは絵によって示します。 その預言を受けた人は、「ぱぁーっ」と信仰と希望が出てきます。 また、預言者は人々に霊的な賜物を注ぐ器としても用いられます。 彼が按手すると、御霊に満たされたり、 御霊の賜物を直接授けることができます。 リバイバルになるとこういう器が用いられます。でも、 欠点もあります。罪を示したり、悪霊を追い出したりしますので、 信徒がびくびくして近寄ることができないときがあります。 彼は大勢ではなく、少人数を霊的に指導する傾向があります。 新松戸教会の津村先生がそのような人ではないかと思います。 しょっちゅうイスラエルに行って、不思議な体験をしています。 悪霊を追い出し、霊的刷新を与え、 賜物を付与することに専念しています。だから、 あまり人が増えないというところがあります。でも、 たまに預言者を呼んで、 そのようなミニストリーをしてもらったなら教会は健康になります 。

③伝道者

 この人はどんなところへ行っても福音を語ることができます。「 滅び行く魂の救い」こそが、彼のキーワードです。大勢の前でも、 また個人でも、いつどんな時でも、 福音を語って人々を救いに導こうとします。 彼のメッセージはとても単純です。でも、 彼が語ると人々が霊的に感動し、「信じます」と、 前に出てきます。多くのリバイバリストは、 この伝道者が多いです。DL.ムーディ、チャールズ・フィニー、 ビリー・グラハムがそうです。 天に召されましたが本田弘慈先生がそうです。 本田先生は常にトラクトを持っていて、 電車に乗っても伝道します。また、温泉に入ると、 隣の人につかつかと寄って、「気持ち良いですね、 天国みたいですねー。ところで、あなたは天国を知っていますか? 」と伝道します。伝道者が教会に来ると、「 あなたは伝道していますか?あなたも伝道しなさい」 と突っついてくれます。教会が内向きになっているとき、 伝道者を呼ぶと失われた魂に関心を持つように勧められます。 伝道者の人が牧師になるとどうでしょうか? 外にばかり出て行って、牧会が留守になります。 いつもメッセージが単純なので教会員が養われません。 栄養失調がちになります。でも、 教会が外向きになって魂を捕らえることのため、 とても重要な賜物です。

④牧師

 牧師は人々の霊的な状態に気を配ります。そして、 みことばを与え、彼らを養います。ちょうど、 羊飼いのようであります。牧師は同じ場所で、同じ会衆でも、 ずっとやっていくことができます。人々を養い、養い、 さらに養います。欠点は何でしょうか?信徒が栄養過多、 太りすぎて活動が鈍くなるということです。だから、 使徒や伝道者が来て、お尻をひっぱたくことが必要です。以前は、 人々のお世話をすることが牧師だと思われてきました。 神学校でも、みことばによって、人々を慰め、 人々に仕えることが牧会だと教えています。しかし、最近は、「 真の牧師とは、人々を整え、 彼らが奉仕できるようにすることなんだ」 と弟子訓練を強調するようになりました。つまり、 お世話型の牧師から、訓練型の牧師になるとことです。もし、 牧師が問題の火を消す消防士だったらどうでしょうか?四六時中、 電話から離れらず、しょっちゅう出かけて、 火を消すというのはどうでしょうか。もちろん、ある時は、 そういうことも必要でしょう。でも、信徒が訓練され成長し、 自分たちで問題を処理できたら何と幸いでしょうか?ですから、 問題が起こる前に、教えと訓練を与えておく必要があります。

⑤教師

 教師は聖書を学問的に良く学び、 それを体系的教えることができます。 教師は書斎にこもり本を読むのが大好きです。 ギリシャ語やヘブル語、いろんな人の学説、いろんな資料から、 みことばを解き明かします。「そんな問題は、 重箱の隅をつっつくようなものでしょう」と言われても、 意に介せず、とことん研究します。こういう人は、 神学校の教授に向いています。欠点は何でしょうか?それは、 教え過ぎるということです。 そのかわり実践や適用がほとんどありません。そのため、 教会の信徒は頭でっかちになります。教師の賜物の先生は、 元雪ノ下教会の加藤常昭先生、ホーリネスの小林和夫先生、 教団教派の中にたくさんいらっしゃいます。教師の賜物は、 勧めの賜物とか牧師や伝道者と連携するならば、 豊かに用いられます。一人だけだと、象牙の塔にこもって、 ひたすら研究に没頭することになります。教師の賜物は、 自分が発見した真理を実践し、 適用するように教会に働きかけていけば良いのです。

 このように神様は教会に五職の賜物を与えられました。 それは教会を健全に建て上げるためであります。 牧師は教会の指導的な立場におりますが、 牧師の中に5種類の人がいます。使徒的な牧師、預言者的な牧師、 伝道者的な牧師、いわゆる牧師、教師的な牧師です。 さきほど申しましたが、自分の賜物だけを強調したならば、 かならず偏りが出てしまいます。 私はいわゆる牧師でありますから、 他の4つの職務の賜物から定期的に学ぶ必要があります。 最近のスケジュール表を少しご紹介します。 私たちは7月5日に中野雄一郎牧師を迎えました。 先生は伝道者の賜物です。 8月23日午後は教団から倉橋先生をお招きし、 教会の組織について学びました。先生は教師の賜物です。 私はその後、新松戸教会に行きました。 津村先生は預言者の賜物です。9月3日からは、浦安でD- CATがありました。ウェインコディロは伝道者の賜物です。 私は9月12日は丸屋先生の学びに行きました。 丸屋先生は教師の賜物です。9月15、 16日は関東コーチングがありました。 練馬の小笠原先生は教師の賜物です。9月19― 22日はメンズセミナーが開かれています。講師のエディ・ レオ先生は使徒の賜物を持っておられます。 自分と違った賜物の先生と会いますと、刺激を受け、 視野が広くなります。 当教会にも様々な立場の先生をお呼びしますが、 そういうチャレンジを受けるためであります。ですから、 神様は教会やセルが、バランスを取りながら成長できるように、 5つの職務の賜物を与えておられるということです。

3.聖徒を整える

 エペソ4:12「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、 キリストのからだを建て上げるためであり」。教会にどうして、 職務の賜物が与えられているのでしょう? それは自分たちだけでやるためではありません。「 聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、 キリストのからだを建て上げるためです」。聖徒たちとはだれでし ょう?それはみなさん一人ひとりです。イエス様のときは、 弟子と言いましたが、 パウロはヨーロッパに渡るとあえて弟子とは言いませんでした。 なぜでしょう?当時、 弟子とはソクラテスなど哲学者の弟子を想像させました。それで、 パウロは聖徒(セイント)と呼んだのであります。ですから、 私たちクリスチャンが聖徒なのであります。 私たちは行ないによらず、 キリストを信じるだけで聖徒になれるのです。ハレルヤ!でも、 喜んでばかりはいられません。 私たちは整えられる必要があります。整えられなければ、 奉仕の働きや教会形成のために用いられることはないからでありま す。整えるとは、幾つかの意味があります。まず1つは「 網を繕う」という意味があります。心が癒され、 人格的に成長するということです。ペテロは、 リーダーシップはありましたが、非常に不安定な人でした。 サタンに振るわれてイエス様を3度も知らないと言いましたが、 後に大使徒となりました。また、「整える」は、equip、「 装備する」という意味もあります。 これは軍隊用語から来たもので、「必要な道具、 装置を装備させる」ということです。もし、 兵士が訓練も受けていない、武器も持っていないならば、 どのようにして戦いに出て行くことができるでしょうか? 敵の餌食になるでしょう。そういう意味で、 私たちは恵みによって聖徒にはなりましたが、 さらに恵みによって整えられ、 訓練される必要があるということです。

 ここで気付くことは、聖徒が奉仕の働きをし、 教会を建て上げてゆくということです。「昔、あんたが主役」 と言うことばがありました。 牧師や一部の献身者が奉仕の主役ではありません。 奉仕の働きをするのは、聖徒たち一人ひとりだということです。 また、 奉仕というのは教会の建物でなされることばかりが奉仕ではないと いうことです。働きは、英語では、ミニストリーであります。 どこにミニストリーがあるのでしょうか?みなさんが、 遣わされているところで奉仕のミニストリーがあるということです 。Ⅰペテロ1:9「あなたがたは王である祭司」とあります。 私たちは王である祭司として、遣わされる場所、 場所において奉仕のミニストリーがあるということです。 どんなミニストリーがあるのでしょう? 家庭では子どもたちのために祈ることができます。 職場では社員や同僚のために祈ることができます。 私たちはただお金を得るために会社で仕事をしているのではありま せん。そこの場所において、 あなたは王である祭司として奉仕の働きをするのです。そして、 チャンスがあれば福音を伝え、 御国の民になるように勧めるのです。 牧師はあなたの家庭や職場や学校に出向くことは不可能です。 みなさん一人ひとりが、その場所で、 いろんな人と出会っています。つまり、 最先端で奉仕の働きをしているのは、 みなさん一人ひとりだということです。ハレルヤ!では、 教会は何のためにあるのでしょうか? それは聖徒を整えるためにあるのです。つまり、 クリスチャンのトレーニングセンターです。これまで教会は、「 神様、私を祝福してください。私のビジネスを祝福してください。 私の病気が癒され健康になりますように」と求めてきました。 牧師も日曜日の度ごとに、みなさんを祝福します。でも、 それだけだと本当の教会ではありません。 整えられて派遣されるのです。1週間、戦場に出かけ、 人々を祝福する奉仕の働きをするのです。戻ってきたら、 教会で癒され整えられ、また派遣されます。

 キリストのからだなる教会を建てるのは、 みなさん一人ひとりです。教会にいらしてから、しばらくは、 お客さんかもしれません。しかし、 いつまでもお客さんでは困ります。先輩のクリスチャンは、 今度は新しく来た人の面倒を見るのです。いつまでも、 牧師から養われていたならばどうなるでしょうか? いい年をした人が、スプーンで口元まで離乳食を運んでもらう。「 紅茶が良いですか?コーヒーが良いですか?」と世話してもらう。 それは真の教会ではありません。なぜなら、 みなさんの教会だからです。そういう意味で、 私たちは成熟した大人のクリスチャンを目指すべきであります。 皆さんは、天国に行くだけのクリスチャンでありたいでしょうか? それとも、神の国の建設のために用いられたいでしょうか? この世に出て行って、 失われた人たちをキリストのもとに勝ち取る。彼らを養育し、 訓練してから、兵士として遣わす。そして、 奉仕の働きを拡大していくのです。 これを牧師一人でやっていては、足し算的な増え方です。でも、 救われた人が整えられて、派遣されていくならば、倍、 倍となって増えていくでしょう。これまで、 教会はクリスチャンをベンチに座らせておく観客にしていました。 牧師や一部の献身者がプレーをしています。 観客であるクリスチャンはポップコーンを食べながら「 がんばれよー、献金するからなー」と応援しています。しかし、 それはおかしいですね。競技場で実際にプレーをするのは、 皆さん方一人ひとりです。牧師はいわばコーチのような存在です。 敵を打ち破り、 点数をあげるのはプレイヤーである皆さん方一人ひとりです。 あなたが主役、あなたが選手なのです。みなさん、 観客席でただ見ているのと、グラウンドで汗を流して競技する方、 どっちが面白いでしょうか?確かに、 ねそべって見ている方が楽です。でも、 勝利の喜びを味わえるのは、見ている人ではなく、 プレイヤーであります。そして、 賞をもらうのもプレイヤーであります。どうぞ、 単なる聖徒ではなく、イエス様の同労者になりましょう。 群集の一人ではなく、イエス様の弟子になりましょう。

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