« 神様との親密な交わり    詩25:10-14  | トップページ | 神様との会話    Ⅰテサロニケ5:15-22 »

2008年4月13日 (日)

礼拝と想像の刷新   ローマ1:22-28

1.想像の力

想像には大きな力があります。1つ実験をしたいと思います。みなさん、目をつぶってください。ここに新鮮なレモンが1つあります。私は、レモンをまな板にのせました。そして、包丁でまっぷたつに切りました。「ぷーん」となんだか香ってきました。さあ、口を開けてください。私が、半分に切ったレモンをあなたの口まで持っていきます。そして、レモンをぎゅっと絞りました。うぁあー、すっぱい果汁があなたの口に一杯広がりました。どうぞ目を開けてください。単に想像しただけですが、体がすっぱいと反応したでしょう。なぜ、反応したのでしょうか?それは、あなたの想像が、あなたの体の一部だからです。イエス様はマタイ6:22、23でこのようにおっしゃいました。「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。」この目とは何でしょう。エディ・レオ師は「目は想像力のことである」と言いました。もしあなたの目、つまり想像力が健全なら、あなたの全身が明るいでしょう。しかし、あなたの目、つまり想像力が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。あなたは神を礼拝したいでしょうか。それならば、想像力を守らなければなりません。なぜなら、あなたは想像力を働かせて偶像を作り出すことができるからです。あなたの想像力が、あなたの人生を決定していくのです。この想像力は、非常に力強いものです。あなたの想像力が間違っているなら、あなたの体全体が暗くなってしまいます。しかし、あなたの想像力が正しければ、良いものであるなら、あなたの生活は光り輝くものとなるでしょう。

ローマ1章後半には、人間のさまざまな罪が記述されています。情欲と不品行、あらゆる不義と悪とむさぼり、ねたみと殺意と争い…。それらの罪の発端となったものは何でしょう?それらは自分たちが礼拝している想像から始まったのです。ローマ1:22-23「というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたち(イメージ)に似た物と代えてしまいました」。本来、人間は想像力を働かせるなら、神を見ることができます。しかし、神を礼拝したくないのです。そして、神のイメージを人間か、あるいは動物のイメージに代えてしまいます。彼ら自身が考えたイメージを礼拝する、これが偶像礼拝です。もし、彼らのイメージが汚れているなら、彼らの体も汚れたもととなります。なぜなら、私たちが想像することが、体のあかりだからです。偶像礼拝の成れの果てが、ローマ1:24です。「それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。」神様が「それなら、どうぞお好きなように」と、汚れに引き渡されるのです。神様が懲らしめをあたえるうちは、まだ希望があります。でも、神様から「好きなようにしなさい」と言われるほど、悲惨なことはありません。27節に行くと、同性愛のことが書かれています。神様は人間が同性愛を行なうことを許されます。この性的な罪はどこから来ているのでしょうか。私たちの想像、イメージから来ています。これら罪に打ち勝ちたいならば、まず、間違ったイメージに打ち勝つ必要があります。

では、使徒パウロはこの教えをどこから得たのでしょうか?おそらく、パウロは、エゼキエル書を参照にしながら書いたと思われます。預言者エゼキエルは、神様からエルサレムの神殿を見せられました。彼は霊によって、壁の穴を通り抜け、中に入ってみました。エゼキエル8:10「私がはいって行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた」。外側から見ると、神殿はすばらしいものでした。しかし、中に入ってみると、彼はびっくりしました。神殿の中の壁に、様々な偶像が満ちていました。イスラエルの長老たちが、忌みきらうべきことをしていました。彼らは、香をたいて偶像を礼拝していたのです。新約聖書で、使徒パウロは、「私たちの体は神の宮、神殿である」と言いました。テキストにはこのように書かれています。「私たちはみな、神の宮の中に、『想像』と呼ばれる1つの部屋があります。想像の世界は、力強い個人的な世界です。多くの男性は、個人的な想像の部屋を女性の裸やポルノや性的な幻想に満たして、それらを礼拝し続けています。それゆえに、多くの男性は性的な束縛から自由になることができません。多くの男性は自分たちの欲望にしたがって、女性に対するイメージを作っています。女性を映画スターのような顔にして、肌の色や体の線なども作り上げます。そのため、多くの男性は、性的な幻想の束縛やマスターベーションから解放されないまま、長い年月、そのような想像の奴隷となっています。」

わぁー。日曜日の朝、講壇からすごいことが語られています。外側から男性を見ると、「そんなことはないですよ」という顔をしています。しかし、穴を開けて、想像というプライベートな部屋を覗いたらでどうでしょうか?わぁー、壁一面に女性という偶像に満ちています。では、解決法はあるのでしょうか?人間は礼拝する存在です。もし、私たちが心の中に何も入れ替えないで、つまり、主を礼拝することなしに、汚れた想像と戦うならば勝利することは不可能です。汚れた想像が浮かんできたら、ただちに、主を礼拝することにそれを置き換えるのです。

2.想像の転換

 2年前の6月に、インドネシアからエディ・レオが当教会に来られました。そして、このようなメッセージをされました。すべての人間は、自分だけの部屋を持っています。このプライベートな部屋とは私たちの想像です。だれも、他の人は見ることが出来ません。あなたも、私のプライベートな部屋を見ることができません。私もあなたのプライベートな部屋を見ることができません。だれもが、プライベートな部屋な部屋を持っています。そこで神様を礼拝しています。しかし、それと同時に、たくさんの偶像もそこに入っています。そのプライベートな部屋の中に、多くの石像があります。彼らの想像のスクリーンに様々なものが映されています。そして、その絵を楽しんでいます。「おおー」「ああー」「ああー」。様々な絵があります。どんな絵でしょうか。「おー、女性だ」。裸の女性。「ああー」。インターネットで調べていく。「ああー」。そして、自分のイメージの中に入れる。すごく良いコンピューターを持っている。何ギガバイトもある。ペンティアムⅥ。カラフル。サラウンドサウンド。「おおー」「ああー」「おおー」。そして、それを保存する。すべての画像を保存する。それが大好き。だれもがそのようなプライベートな部屋を持っている。そして、それを楽しんでいる。そして、こう言います。「神様はそれを見ていない。神様はここはおられない。どこか外にいる。神様はそれを見ていない。」それが、プライベートな部屋です。そのプライベートな部屋で、私たち男性は、色んなイメージを作ります。私たちは自分の好きな女性たちをそこに作ります。「ああ、私は黒人の女性が好きだ。でも、髪の毛はちょっとアジア系の女性が良い。」「ああ、私はこのモデルが好きだ」。そして、毎日これを拝む。「おお、あなたは何と美しい方だろう。あなたと会えることを嬉しい」。そのように、私たちは様々な想像を作っています。そして、それを拝んでしまう。これが姦淫です。これによって、性的な罪が起こされるのです。不品行は偶像礼拝の1つです。この問題を解決するにはどうしたら良いでしょうか。

これもエディ先生がおっしゃっていたことです。先生はある時、説教をしていました。聞いている人たちにこう尋ねました。「女性たちは、どのくらいの頻度で、性について考えるでしょうか」。ある女性が立ち上がりました。彼女は、「1ヶ月に1回ぐらいです」と答えました。男たちはみんな笑いました。男性にとっては、1ヶ月に1回ではないからです。それは1週間に1回でもない。1日に1回でもない。1時間に1回でもない。男たちが、セックスのことを考えるのはどのくらいの頻度でしょうか。エディ先生は様々な心理学者と話しましたが、これは調査に基づいた結果です。もし、男性が仕事をしないでくつろいでいる時、セックスについてどれだけ考えるでしょうか。1日に240回です。男性は一日に約240回性的な誘惑を受けます。睡眠の8時間を引くと、4分に1回の割合で誘惑を受けることになります。これは必ずしも罪ということではなく、誘惑です。男性はたくさん、こういう誘惑を受けます。女性方は軽蔑するかもしれませんが、男性はこういう存在なんです。朝、目が覚めて、カレンダーを見る。「ああ、奇麗な女性がいる」。トゥウーンー、まず、第一のイメージ。そして、ジョギングをする。ああ、奇麗な娘が通りかかった。トゥウーンー、第二のイメージが生み出される。また、全く女性と関係のないものを見る時も感じる。木を見る。「ああ、何とこの木はセクシーなんだろう」。これが男なのです。何でも見たものから、セックスについて考える。どのようにしてこれを克服できるだろうか。エディ先生は本当にイライラしました。「イエスの御名によって出て行け!」ニューェー(引き出す)。だが、4分たつとピューと入って来る。「イエスの御名によって出て行け!」ニューェー(引き出す)。4分たつとピューと入って来る。だから、イライラしてしまう。そして、敵は私を罪悪感で満ち溢れさせる。「あなたは良い牧師ではない。牧師はそういうことを考えたりはしない。」そのようにして、私を告発する。

しかし、解決はあります。イエス様はマタイによる福音書でこのように言われました。マタイ12:43-45 「汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」つまり、こういうことです。「イエスの御名によって出て行け」とやって、汚れた思いが出て行ってもその家が空っぽでした。その家がだれも支配していなかったのです。人間は神様を礼拝する存在として作られました。もし、私たちが本当の神を礼拝しないならば、何か他のものを礼拝してしまいます。だから、24時間、神を礼拝していないならば、そこに真空状態が生まれてしまいます。つまり、家が空っぽの状態と同じです。私たちは神の家です。それを空っぽにしないように。「イエスの御名によって、出て行け!」ニューェー(引き出す)。しかし、空洞が残ってしまう。それではまた入られてしまいます。引き出したと同時に、神様を礼拝するのです。「ハレルヤ!イエス様、あなたを礼拝します」。しかし、4分後に、また誘惑がやってくる。「ハレルヤ!イエス様、あなたを礼拝します」。また4分たつと誘惑がやってくる。「ハレルヤ!イエス様、あなたを礼拝します」。どういうことが起こるでしょうか?するとあなたは、1日に240回、4分毎に、神様を礼拝できる。男性は、女性よりももっと神様を礼拝することができるのです。女性は想像において男性ほど誘惑を受けないので、主をそんなに数多く礼拝することができないのです。ハレルヤ!

3.想像の刷新

最初に「もしあなたの目、つまり想像力が健全なら、あなたの全身が明るい。あなたの想像力が、あなたの人生を決定していく」と申し上げました。まず、申し上げたいことは、私たちは旧約時代の人たちとは違うということです。イスラエルの民は神様と契約を結び、そのとき律法を与えられました。しかし、神様に従うことができませんでした。なぜでしょう。心と思いが新しくなっていない状態では、外からの圧力によって従うことはできません。では、新約時代の恵みとは何でしょう。ヘブル8:10に「私は私の律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書き付ける」と書いてあります。私たちはイエス様を信じると、聖霊によって新しく生まれます。すると、聖霊が内側から神の律法、神のみこころを語ってくださるのです。私たちの霊の部分に、聖霊が臨在して、そこから私たちの魂に何やら発信してくださる。結構、その声は静か過ぎて、最初は分かりません。でも、クリスチャン生活を続けていくうちに、「ああ、これは神様が私に語っておられるんだなー。これは神様の声だなー」ということが分かります。ヘブル8:10に「思いの中に入れる」とありますが、この「思い」こそが、テレビのブラウン管であり、またスピーカーなんです。「思い」というところに、神様の御声とか、神様のビジョンが、「ピッ、ピッ、ピッー」と浮かんでくる。しかし、「思い」というところに、神様の御声だけではなく、自分の声、悪魔の声、そして人の声までもが、聞こえてくるのです。なぜなら、悪魔も人間も、そして神様も霊だからです。だから、私たちは周波数を聖霊のチャンネルに、合わせ、雑音や雑念を排除していく必要があります。あなたの霊的チューナーは大丈夫ですか?あなたはだれの声に周波数を合わせていますか?人の声ですか?悪魔の声ですか?それとも自分の声ですか? どうぞ、神様の御声にチャンネルを合わせましょう。

14日目のテキストには「あなたは心の内部でだれと語り合いますか」と書いてあります。「ある人たちは、いつも自分自身と会話をしています。これを自分との対話(セルフトーク)と言います。自分との対話はしばしば、過去に源を発しています。それは、過去の罪や失敗、苦々しさ、そして怒りに満ちたものです。もし、私たちが自分との対話を続けるなら、信仰がなくなるでしょう。ある人たちは、最後に自分を誤った道に導くサタンと会話しています。旧約聖書のアサフは、誇り高ぶる者をねたみ、悪者が栄えるのを見ました。アサフは「彼らの死には、苦痛がなく、彼らのからだは、あぶらぎっている。悪者はいつまでも安らかで、富を増しているではないか」と自分自身に言いました。そのためアサフは失望し、もう少しで神様から離れるところでした。しかし、感謝なことに、アサフは神の臨在に入って真実がわかりました。神様ご自身が悪者を滅びに突き落とされるということを悟りました。アサフはこのように悔い改めています。「私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。」(詩篇73:22-24)。神様は真実な方ですから、必ず答えをお与えになります。だから、答えを人ではなく、神様に求めてください。イエス様はヨハネ10:3「羊はその声を聞き分けます」とおっしゃいました。アーメン。

想像の刷新のために何をすべきでしょうか?まず、第一にできることは神のみことばを思い巡らすことです。テレビや新聞を見ますと、この世の不正、不条理、悪い出来事にあふれています。やがて、アサフのように「この世には正義がなされていない。神はいないんじゃないか」と疑うようになるでしょう。あなたは何を自分の思いに入れるべきでしょうか?私たちが何よりも優先すべきことは、神のみことばに聞くということです。私たちが聖書を瞑想しながら読むとき、私たちの思いに、つまり想像に神の御声が植えられるのです。箴言4:23「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」。アーメン。あなたの心に何を入れますか?コンピューターもそうですが、悪いデーターを入れたら、悪いものが出てきます。汚れたものを入れたら、汚れたものが出てきます。神様のみことばを入れましょう。そうすれば、聖霊様が信仰と希望と愛を内側からあふれさせてくださいます。第二に、想像の刷新のためにできることは、あらゆる問題を通して主を見ることです。民数記13章に書いてありますが、12人の偵察隊がカナンの地から帰ってきて報告しました。「そこは、まことに乳と蜜が流れている。だが、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、そこで巨人のようなアナクの子孫を見た」と言いました。12人は同じものを見てきました。しかし、10人はさらにこう付け加えました。「地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」10人は、問題ばかりを見て、不信仰に陥りました。そして、「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから」と結論を下しました。10人の偵察隊が失敗したのはなぜでしょう。城壁や巨人、目に見えるものを見続けたからです。しかし、あとの2人、ヨシュアとカレブは違いました。この二人は目を上げて、霊的な領域を見たのです。民数記14:9 「ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」アーメン。

使徒パウロは、患難を神の栄光をもたらす機会となるためにどうしたでしょうか?Ⅱコリント4:18「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」私たちはしばしば、ため息をつきながら、「現実はきびしいからな」とつぶやきます。そうではありません。現実よりもまさるものは、目に見えないものです。なぜなら、この世界は神のことばという目に見えないものによって造られたからです。どうぞ、問題や患難に出会ったら、目を上げて、霊的領域を見させていただきましょう。ある朝、エリシャのしもべは、町を囲んでいる敵を見て恐れました。エリシャは「どうぞ、彼の目が開かれるように」と祈りました。目が開かれたしもべは、自分たちと共にいる天使たちが、敵よりもはるかに多いことが分かったのです。神のみことばを心の中にたくわえましょう。そして、どんな問題が起きても、目を上げて、霊的な領域を見る機会にいたしましょう。

|

« 神様との親密な交わり    詩25:10-14  | トップページ | 神様との会話    Ⅰテサロニケ5:15-22 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/40287/20194890

この記事へのトラックバック一覧です: 礼拝と想像の刷新   ローマ1:22-28:

« 神様との親密な交わり    詩25:10-14  | トップページ | 神様との会話    Ⅰテサロニケ5:15-22 »